東金城(とうがねじょう)
東金城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 千葉県東金市東金字谷台方大門他
旧国名
- 上総国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 酒井定隆
築城年
- 大永元年(1521)
主な改修者
- -
主な城主
- 酒井氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、櫓台、横堀(空堀)、堀切、土橋、虎口、鍛冶遺構、小土坑
指定文化財
- 市史跡(東金城址)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
土気城(千葉県千葉市)[6.5km]
成東城(千葉県山武市)[6.8km]
西野城(千葉県山武郡)[6.8km]
中野城(千葉県千葉市)[8.3km]
本納城(千葉県茂原市)[9.8km]
大椎城(千葉県千葉市)[9.9km]
根古屋城(千葉県八街市)[12.1km]
御茶屋御殿(千葉県千葉市)[14.0km]
多部田城(千葉県千葉市)[15.1km]
坂田城(千葉県山武郡)[15.8km]
東金城の解説文
東金城の口コミ情報
2022年06月06日 マグロ常陸介祐平
東金城
かなり前に訪れた時は整備されていて城址やトーチカを見学できたのですが、現在は門が閉まっており、廃道と化しているようでした。別にルートはあるのでしょうか。
2022年01月04日 寺左京大夫にゃん
東金城
倒木の影響で、まともにリア攻めができませんが、御殿山入口の門から若干は入って行けます。
2021年03月11日 昌幸近江守晩秋リア旅
田間城[東金城 周辺城郭]
田間城(たまじょう)は永正六年(1509年)に、土気城より移った酒井定隆によって築かれる。
主郭と副郭に多くの腰郭を配した城だったが、城地が狭かったため2㌔南に鴇ヶ根城(東金城)を築き、本拠を移す。
その後、東金酒井氏領域における東端の「境目の城」として機能し、天正18年(1590)東金城の落城とともに廃城となった可能性が高い。
城地が狭いと言っているが、そんなことはなく、むしろ広い。
千葉の城は「比高はないが険峻」の印象だが、田間城はフカフカした土の城で、大手・搦手以外にも登城口を複数持っていたようだから、それらを守れるだけの兵士の確保が難しかったのかなと思う。
遺構は門跡がしっかりと残っているので、ここにはどんな門が建っていたのだろうと想像を膨らませるのが面白い。
麓の田間神社の駐車場が利用可能。
営業時間 9:00〜16:30
※駐車場:営業時間外は封鎖される可能性あり。
東金城が2021年3月現在も登城不可となっています。酒井氏の前の居城として、この田間城を訪れてみてはいかがでしょうか。
【写真の説明】
①田間神社からの登城路にある門跡
②主郭-副郭間の堀切
③腰郭から副郭を見る
④水の手に配した郭群
⑤搦手側の門跡
⑥主郭から腰郭を見る。社は田間神社の本宮
⑦本郭の物見台跡
⑧主郭-副郭の堀切から繋がる竪堀
2021年02月23日 上総介尾張守
東金城
2021年2月23日現在も登城口閉鎖されています
2020年03月19日 昌幸近江守晩秋リア旅
東金城
「台風による倒木で当分の間、通行を禁止します」との貼り紙があります。登城口も封鎖されています。
2017年05月05日 Nabeppu左馬頭
東金城
駐車スペースは東金高校北門前の八鶴湖前になります。
城への登城は、東金高校北門右側と本漸寺の間を少し進むとあります。因みにこの門4時には閉まります。
四郭迄は整備されてますが、三郭からは、藪漕ぎ必須です。一郭の先に堀切がありますがコンクリで固められてます。
2015年02月27日 中務少輔きたろう三世
東金城
東金城は、土気城主酒井氏によって築かれ、江戸時代には、家康の鷹狩りの際の御殿が置かれた。少し離れた正法寺に御殿の一部が移築されて残っている。
第二次大戦末期には、連合軍の九十九里上陸からの東京侵攻作戦「コロネット」を阻むため、東金一帯に陸軍による築城が行われ、現在も地下陣地などが残っている。東金城は近隣を見下ろす立地から、二ノ曲輪に観測所が造られ、現在も良好に残っている。
整備された散策路の開門時間は、9時~16時。
2012年07月05日 アルディー
東金城
説明板にて確認
御殿山の登山道入ってすぐに太平洋戦争時の防空壕跡・山の中腹に蛸壺があった
城の本丸跡の石碑などは皆無(;o;)
東金城の周辺スポット情報
説明板(碑・説明板)
田間城(周辺城郭)
道の駅 みのりの郷 東金(御城印)
駐車場(駐車場)
八鶴湖(その他)
東金酒井氏の本城として、天正18年(1590)まで機能していたことが確実である(「関八州諸城之覚書」『毛利家文書』、「豊臣秀吉朱印状」『難波創業録所収文書』)。本城の初見は、「鎌倉大草紙」によると、享徳の乱(1454~1482)の初期、美濃より下向した東常縁の家臣浜春利が拠ったとされることである。
昭和63年(1988)に行われた発掘では、15世紀末~16世紀前半頃とされる瀬戸美濃系の擂鉢の断片が出土している。標高74メートルの最頂部に主郭を置き、西側に一段低い細長い第2郭を配する。比較的緩傾斜の北側斜面には、腰曲輪や支尾根の堀切、段差などを設け、防御している。
また、西端の尾根に大堀切・竪堀(消滅)を入れ、西尾根続きからの侵入を防いでいる。
遺構もよく残り、本城に関する一級史料もあることから、東金市の歴史を語るうえで、貴重な文化財であると言える。