西野城(にしのじょう)
西野城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 千葉県山武郡九十九里町西野下村字城之内
旧国名
- 上総国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
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東金城(千葉県東金市)[6.8km]
成東城(千葉県山武市)[9.4km]
本納城(千葉県茂原市)[10.8km]
土気城(千葉県千葉市)[10.8km]
大椎城(千葉県千葉市)[13.9km]
中野城(千葉県千葉市)[14.8km]
一宮城(千葉県長生郡)[16.9km]
坂田城(千葉県山武郡)[17.1km]
根古屋城(千葉県八街市)[19.0km]
犬成城(千葉県市原市)[20.1km]
西野城の口コミ情報
2023年09月04日 syokumi 雅楽頭
西野城
西野城跡は大六夫神社という名称で保存されています。
2022年11月29日 国府左京大夫城介
大関城[西野城 周辺城郭]
畠山重忠の支族が上総に築いた城
【歴史】
元久元年(1204)に、畠山重忠の支族が安房から上総に移り、城を築いたという。
室町時代後期になると、畠山重康が現れ、一時的に土気城を落とすなど武威を示している。しかし、長享2年(1488)に酒井定隆(中野城主)により城をおわれて、大関城へ落ち延びた。その後、酒井氏との争いが続くが、大永6年(1526)に酒井隆敏(定隆の三男で東金酒井氏の祖)により、攻め滅ぼされた。
上総国誌によると、周囲は深い泥に囲まれ、大手門は狭隘の道であるため、酒井隆敏は攻めあぐねていた。そこで、城内に忍者を放ち、守将の今関勘解由と山岸主税が内通した。そして、山岸主税により畠山重康が殺され、その首を持って、開城したとのことです。
【遺構】
東金城の南東4.8kmに位置し、真亀川と南白亀川に挟まれた標高5mほどの浜堤砂丘地帯に築かれている。現在は水田となっているが、かつては河川も入り込んだ湿地帯にある水城であった。
主郭は大関神社のあたりで、二の丸は北側に、大手門は南にあったと類推されている。堀、土塁、物見台等の遺構が残っている。
【感想】
現在の地形からは確認できませんが、往時は湿地帯に浮かぶ水城だったそうです。主郭にあたる大関神社あたりは水田よりやや高い地形にあることが分かるくらいで、遺構はありません。
説明版によると、「依古島・砂古瀬付近に濠・土塁・物見台等がある」という記述があったので、周囲を探索したところ、大関神社の南にある砂古瀬神社の付近に、堀や土塁、物見台らしきものがあります。これが大関城の遺構なのかはっきりとは分かりませんが、物見台に相応しい3~4mほどの高台や、薬研堀と思える堀の両脇に土塁が造られていることを確認しています。おそらく砂古瀬神社も一つの曲輪であり、その一部が残存したものと考えられます。
【アクセス】
東金駅からバス(豊海線)で「工場団地入口」で降車し、徒歩20分。
【写真】
①主郭(大関神社)
②砂古瀬神社
③堀と土塁か?
④⑤堀跡か?
⑥物見台?
⑦二の丸付近
2022年11月27日 国府左京大夫城介
西野城
公共交通機関でリア攻めするのであれば、東金駅から、バス(九十九里鉄道の片貝線・豊海線)に乗車し、下西野で下車し、徒歩5分。
本数は一時間に一本あるが、リア攻め自体はほぼ秒殺なので、コスパはよくない。サンキューちばフリーパスが使える路線(R4時点)なので、秋口でのリア攻めを推奨します。
2022年04月20日 寺左京大夫にゃん
西野城
Googleさんのマップで「十六天神社」の表記を頼りに進むと小さなお社がありました。ただ城跡についての説明版は無く、遺構もよく分からずで残念。
2021年03月31日 宝咲美濃守利樹之丞
西野城
九十九里下貝塚信号近くの真亀総合公園駐車場から徒歩で行ってきました。
片道約15分。周りは住宅と田畑で、やはり情報のとおり細い道なので農耕車が有ると自動車では通りにくいです。
Google mapでは大六天神社の表記
2018年08月19日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
西野城
農耕地に取り囲まれた、神主不在の神社の敷地内が城となります。周囲は道幅四メートル以下の未舗装農道が多く、そこは街灯も無し。大型車や運転不慣れなドライバーは注意を。そして街灯が無い農道に取り囲まれていると言う事もあり、女性や未成年者めぐらーは明るい内での訪問をお薦めします。
2017年05月05日 Nabeppu左馬頭
西野城
真亀川沿いにある、かなり小さな神社(70m×70m位)が曲輪だと思われる。説明版も無く、神社名の記載も見受けられない。周囲よりやや70cm程高い位で、城跡だとは一見分からない。