大関城
大関城([西野城 周辺城郭])
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大関城の口コミ情報
2022年11月29日 国府左京大夫城介
畠山重忠の支族が上総に築いた城
【歴史】
元久元年(1204)に、畠山重忠の支族が安房から上総に移り、城を築いたという。
室町時代後期になると、畠山重康が現れ、一時的に土気城を落とすなど武威を示している。しかし、長享2年(1488)に酒井定隆(中野城主)により城をおわれて、大関城へ落ち延びた。その後、酒井氏との争いが続くが、大永6年(1526)に酒井隆敏(定隆の三男で東金酒井氏の祖)により、攻め滅ぼされた。
上総国誌によると、周囲は深い泥に囲まれ、大手門は狭隘の道であるため、酒井隆敏は攻めあぐねていた。そこで、城内に忍者を放ち、守将の今関勘解由と山岸主税が内通した。そして、山岸主税により畠山重康が殺され、その首を持って、開城したとのことです。
【遺構】
東金城の南東4.8kmに位置し、真亀川と南白亀川に挟まれた標高5mほどの浜堤砂丘地帯に築かれている。現在は水田となっているが、かつては河川も入り込んだ湿地帯にある水城であった。
主郭は大関神社のあたりで、二の丸は北側に、大手門は南にあったと類推されている。堀、土塁、物見台等の遺構が残っている。
【感想】
現在の地形からは確認できませんが、往時は湿地帯に浮かぶ水城だったそうです。主郭にあたる大関神社あたりは水田よりやや高い地形にあることが分かるくらいで、遺構はありません。
説明版によると、「依古島・砂古瀬付近に濠・土塁・物見台等がある」という記述があったので、周囲を探索したところ、大関神社の南にある砂古瀬神社の付近に、堀や土塁、物見台らしきものがあります。これが大関城の遺構なのかはっきりとは分かりませんが、物見台に相応しい3~4mほどの高台や、薬研堀と思える堀の両脇に土塁が造られていることを確認しています。おそらく砂古瀬神社も一つの曲輪であり、その一部が残存したものと考えられます。
【アクセス】
東金駅からバス(豊海線)で「工場団地入口」で降車し、徒歩20分。
【写真】
①主郭(大関神社)
②砂古瀬神社
③堀と土塁か?
④⑤堀跡か?
⑥物見台?
⑦二の丸付近