成東城(なるとうじょう)
成東城の基本情報
通称・別名
- 鳴戸城
所在地
- 千葉県山武市成東(成東城跡公園)
旧国名
- 上総国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 印東四郎
築城年
- 応永年間(1394〜1428)
主な改修者
- 千葉勝胤、石川康通
主な城主
- 印東氏、成東氏、石川氏、青山氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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-
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成東城の解説文
[引用元:Wikipedia「成東城」の項目]成東城(なるとうじょう)は、千葉県山武市成東町にあった日本の城。
【概要】
当地に勢力を張った千葉氏の家臣印東四郎師常(南郷師常)により、応永年間(1394年-1427年)に築城されたと伝わる。
その後成東城は一時廃止されたが、1530年(享禄3年)、千葉勝胤により再興され、その子胤定が入り、成東八郎を称したと伝わる。
1590年(天正18年)、小田原征伐の際に成東城も落城し、同戦役後二万石を以って成東に封じられた石川康通、青山忠成等が入城した。
1620年(元和6年)青山氏が岩槻城に移封され、成東城も廃城となった。
【構造】
作田川右岸の独立丘陵上に占地し、空堀および土塁により大きく五つに区画されていた。
主郭は愛宕神社が祭られる丘陵東端の郭と考えられ、台地に繋がる二方に土塁、堀が巡り、北西および南西に虎口が開く。主郭北西には二郭が設けられ、西側に土塁が設けられている。この二郭の土塁は南に伸び、主郭西方では主郭の土塁と合せ二重土塁を構成している。二郭の西方には空堀を経て三郭が置かれ、北西面に土塁が設けられ、西端は櫓台状に広くなっている。二郭および三郭の周りには、台地方面に空堀が巡る。また、三郭西方では主郭西方と同様堀が二重となっており、その内外側の空堀は北に伸び、台地を遮断していた。
以上の三郭が主郭部であるが、台地北東端には複数の腰郭が設けられ、本行寺付近から主郭に至る城道を守る構造となっている。また、台地西端には横堀が巡り、台地全体に城域は拡がっていたものと考えられている。
【遺構】
外郭部は宅地として開発され、三郭および二郭外側の堀を含む外郭部の遺構は失われたが、主郭、二郭、三郭、および腰郭が良く残る。また、台地西端に設けられていた横堀の一部が残る。[続きを見る]
成東城の口コミ情報
2019年06月11日 下沼下総守雄信
トイレ[成東城 トイレ]
このトイレの前の道も二の郭の空堀跡。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
説明板[成東城 碑・説明板]
この図の左寄りが主郭趾で、真ん中の辺りが二の郭趾。公園として整備されているので、比較的訪問し易い城趾である。この両郭の回りに立派な土塁や空堀が残されているので見応えあるが、園路となっている以外の空堀の底は藪・草が生え放題、公園南側の入口は閉鎖されているので立ち入り不可である。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
浪切不動院(長勝寺)[成東城 寺社・史跡]
成東城趾の丘の先にポツンとある小山(石塚の森)の中腹に建立された不動院長勝寺。成東城が現役バリバリの頃は場所が場所だけに、出城か物見櫓の役割を果たしていたのだろうか。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
三の郭?[成東城 遺構・復元物]
この辺りは平らになっているが、三の郭があった場所なのだろうか?この郭の南西側下にも郭らしきものがあるようで、更に麓へと続く道があるようだが、いずれも立入禁止になっているので確認できず。城跡公園の中でここが一番見晴らしが良い。丘の直ぐ下の土が剥き出しになっている広場が成東陣屋跡。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
二の郭の土塁[成東城 遺構・復元物]
土塁を切り崩した園路が目立つが、左側に二の郭と土塁との間にある藪化している空堀も写っている。空堀はここより手前、公園の入口までは園路として利用されている。土塁も園路となっている空堀と平行して公園入口付近まで続き、公園と住宅街との境界になっている。園路はこの先、南の郭跡?とテニスコートへと続く。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
空堀[成東城 遺構・復元物]
主郭と二の郭とを分かつ空堀。右側の舗装路は城跡公園の入口から二の郭へと続く道。入口からこの写真の場所まで空堀の堀底が園路として利用されているが、この先は藪となっており、立ち入りを阻む。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
二の郭(城之内曲輪)[成東城 遺構・復元物]
二の郭はこの通り、広場となっている。東屋の辺りからは山武市の成東市街が一望できる。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
主郭の空堀[成東城 遺構・復元物]
主郭の空堀。主郭へと続く土橋より撮影。この両側に土塁が築かれている。この空堀の左側(外側)に空堀に沿うように狭い園路がつけてあるが、夏場はクモの巣だらけなので注意。この後方(カメラを向けた反対側)も空堀となっており、堀底を通って成東市街へ降りることが出来る。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
主郭の土塁[成東城 遺構・復元物]
主郭の土塁。この土塁の外側に空堀があり、更にその外側には土塁がある二重土塁構造となっている。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
主郭への南虎口、土橋[成東城 遺構・復元物]
主郭へと続く土橋と南側の虎口。虎口の向こうに見える建物は愛宕神社。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
主郭(愛宕曲輪)[成東城 遺構・復元物]
主郭内。御神木を背に南虎口方向。右に写る建物は愛宕神社。この写真では分かりにくいが、土塁が主郭西側を囲んでいる。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
説明板[成東城 碑・説明板]
推定主郭(愛宕曲輪)、推定二の郭(城之内曲輪)の説明板。見取り図も掲示される優れた説明板だが、古くなっているので、そろそろ作り替えが必要。
2019年06月09日 下沼下総守雄信
成東城趾公園専用駐車場[成東城 駐車場]
四台駐車可。この写真の右側が城跡公園の入口。
2019年06月05日 でこまる上総介アマビエ
成東城
公園化されていますが、土塁と空堀がたくさんあります。ちょっと感動しました~!
2017年05月05日 Nabeppu左馬頭
成東城
城址公園になっており見易い。駐車場は公園の北側に4台停められる。
入口に城に関する説明版は無い(推定本郭とされる愛宕神社前にある)。入口から向かって正面が推定二の郭、その左側が推定本郭とされる。両郭とも空堀に囲まれており、特に二の郭南側の空堀は深い。
本郭虎口手前は土橋、左右は土塁がある。本郭の南東側に成東の街並みと田んぼが良く見渡せる。