松尾藩公庁
松尾藩公庁([坂田城 周辺城郭])
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松尾藩公庁の口コミ情報
2023年04月15日 国府左京大夫城介
太田道灌の末裔が築いた稜堡式の城
【歴史】
明治2年(1869)9月に、柴山藩(松尾藩)の知藩事である太田資美が、正式な藩庁を建設するために、築城を始めた。翌年には、藩庁と知事邸、城下町は完成し、柴山藩から松尾藩へと改められた。明治4年(1871)の廃藩置県により、城としては未完成のまま、築城は中止となった。その後、松尾県の県庁として使用されたが、同年11月に木更津県に合併されたため、廃城となった。
築城者の太田資美は、太田道灌の末裔にあたり、幕末には掛川藩主であった。明治維新の折に、徳川宗家が駿河・遠江・三河に移封されたため、上総夷隅郡に5.3万石に移封されるが、2か月も経たずに同山辺郡へと移封されている。
名前の由来は、掛川城の南にある内堀「松尾池」及びその南にある「松尾郭」から取られており、更に町名もここから取られている。
別名:太田城
【遺構】
坂田城から南西に3.4kmほどの台地(標高35m)に築かれた稜堡式の城郭で、当初は四稜郭として設計されていたが、測量の結果、十分な広さがなかったため、三稜郭として築城された。五稜郭や龍岡城等と異なり、知事邸(現・山武望洋中学校)と藩庁(現・自動車学校)が分離している特殊な形態をしている。
三稜郭としての遺構を確認することはできないが、土塁や胸壁などの一部遺構が現存している。また、廃城時に払い下げられた建物である長屋門が山武市内に残っている。(匝瑳市内にもあったらしいが、倒壊しているとの情報あり)
【感想】
明治維新後に築城されたため、「日本最後の城」の一つであり、千葉県内に唯一の稜堡式の城郭で、更に太田道灌の末裔が築いた城という属性、盛り沢山のお城です。遺構はあまり残っていませんが、自動車学校の入口付近や、中学校の北側あたりには土塁がしっかりと残っています。更に、中学校の南側にある「汐見坂」に接する斜面は、「胸壁」と呼ばれるもので、敵の侵攻を防ぐために45度に削った斜面が今も残っています。
松尾城から南に1kmほどにある大堤交差点の近くには、松尾城の建築物として唯一残ったと思われる長屋門が残っています。この長屋門は民家の門として使用されており、国道に面しているため、見学する際は諸々注意してください。
また、松尾駅の近くにある松尾IT保険福祉センター内にある松尾藩資料館があります。図書館内に併設された小さな資料館ではありますが、入場料は無料ですので、リア攻めする前には、是非訪問してみてください。
【アクセス】
JR総武本線・松尾駅から徒歩10分。
【写真】
①石碑(教習所のコース内にあり)
②教習所入口に残る土塁
③④中学校の北側に残る土塁
⑤汐見坂と胸壁の説明版
⑥汐見坂と胸壁
⑦長屋門
2022年06月06日 マグロ常陸介祐平
日本最後の城の1つで明治2年に着工された西洋式の多角形要塞洋式のお城(三稜郭)だったようです。遺構は教習所前に土塁の痕跡が見られますが、ほとんど残っていないようです。松尾駅前に松尾藩資料館があります。