小堤城(こづつみじょう)
小堤城の基本情報
通称・別名
- 大雄寺館
所在地
- 宮城県亘理郡亘理町泉ケ入88
旧国名
- 磐城国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 武石氏
築城年
- 乾元元年(1302)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 亘理氏(武石氏)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
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小堤城の口コミ情報
2023年07月31日 なま右近衛大将
小堤城
JR亘理駅前の駐輪場で貸し出されているレンタサイクルを使って、周辺の亘理城址あと、称名寺の蓮とともにリア攻めしてきました。墓地周辺の土塁あと以外に、はっきりとした遺構はなかったものの、大きな山門、伊達成実公、実元公をはじめとした歴代亘理伊達家の墓所など、見るところの多い城址でした。やや高台にあるところにも城址感は感じられます。※猛暑による暑さから携帯のバッテリー、GPSがつぶれてしまい、リア攻めできずでした。
2022年01月23日 KAZU下総守
小堤城
小堤城の跡地は、成実公を初代とする亘理伊達家の菩提寺の大雄寺になっています。また、手前に家臣だったと思われる方々の墓碑が成実公の霊屋に向かって、建てられているようです。境内からの亘理の平野部から海までの眺めは壮観。
2013年12月09日 すかんぴん左馬助
小堤城
百万石お墨付きツアーで寄らせて頂きました。
現在、大雄寺になってます。
伊達政宗公の従兄弟、伊達三傑の一人の伊達成実公の御霊屋があります。
成実公の死後間も無く建てられた桃山建築の建物です。
1月16日と8月16日の年に二回扉が開かれて、中の成実公の像が公開されるそうです。
8月は1時間程の説明会があるとのことです。
亘理町の職員の方がツアーの為にお話しにいらして下さいました。
丁寧な詳しい説明に感謝します。
そして亘理町の復興をお祈り致します。
2011年08月02日 さくら主膳佑にゃ〜
小堤城
文治五年(1189)奥州合戦の功で陸奥国諸郡の地頭職に任ぜられた千葉常胤は、翌年亘理、伊具、宇多3郡を千葉郡武石郷の在地領主だった三男胤盛に与えた。
乾元元年(1302)武石宗胤が亘理へ下向し小堤城を築城、延元四年(暦応二・1339)広胤が足利尊氏に所領を安堵されて以降亘理氏を称した。
天正年間(1573-92)亘理元宗が亘理城を築いて移ると廃城となった。
2011年02月28日 伊達雅楽助あいり
小堤城
正確には小堤城時代のものではないのですが、城跡には江戸期を通し亘理地域を所領とした亘理伊達家の菩提寺である大雄寺が設けられています。亘理伊達家初代、伊達成実公もこちらに眠っております。普段、成実公の御霊屋は柵に囲まれているのですが、先日柵を開けていただき拝見する機会に恵まれましたので写真をアップさせていただきました。