中島館(なかじまだて)
中島館の基本情報
通称・別名
- 高瀬館
 所在地
- 宮城県亘理郡山元町高瀬字館下
 旧国名
- 磐城国
 分類・構造
- 山城
 天守構造
- -
 築城主
- 不明
 築城年
- 不明
 主な改修者
- -
 主な城主
- 亘理氏
 廃城年
- -
 遺構
- 曲輪、土塁、腰曲輪、横堀(空堀)
 指定文化財
- 町史跡(中島館跡)
 再建造物
- 碑、説明板
 周辺の城
- 
  金山城(宮城県伊具郡)[9.6km]
小堤城(宮城県亘理郡)[9.8km]
角田城(宮城県角田市)[10.2km]
亘理城(宮城県亘理郡)[10.2km]
駒ヶ嶺城(福島県相馬郡)[10.9km]
丸森城(宮城県伊具郡)[11.1km]
中村城(福島県相馬市)[16.7km]
船岡城(宮城県柴田郡)[16.8km]
遠倉館(宮城県伊具郡)[18.1km]
下野郷館(宮城県岩沼市)[20.0km]
 
中島館の口コミ情報
        2025年11月01日 くろちび上野介
          中島館
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
          
        中島館のある亘理は日本武尊が下った地として日本書紀巻7にでてくる。蝦夷が多く住む土地で、大和朝廷の東北制圧のために度々戦が繰り広げられた。中島館のある山元町には古城館が11、その多くが築城年、築城者不明、あるいは風土記に野武士が居住とある。中島館も明治頃は雑木山で国道(6号線)建設で山が南北二つに切断されてしまったそうだ。だから今も国道沿いに唐突に現れる標柱を目印に土手を上がる形で館に登城することになる。
国立宮城病院を右手に見て岩沼-仙台方面100m程歩く。宮城病院へは坂元駅から町民巡回バスがでている。
妙に平凡な名前と変に行きにくい場所のせいか訪問者は多くないようだが、いくつもの土塁、犬走、切岸があり、熊に出会う心配も不要で心おきなく山城を楽しめる。
館の主人は亘理権太夫-藤原経清。後三年の役で陸奥国六郡を平定、奥州平泉に中尊寺を建立、平泉文化の基礎を築いた藤原清衡の父。経清の父頼遠は下総で生まれ、陸奥多賀国府の官人を経て亘理に荘園を開いた豪族。
経清は、内地の人に同化した蝦夷俘囚の長で朝廷から地方政治を任されていた陸奥六郡の司の安倍頼良(後に鎮守府長官に遠慮して頼時に改名)の娘と結婚。安倍頼良の陸奥支配力が強くなり、朝廷への献納が滞るようになると、陸奥六郡の支配を狙っていた朝廷側と衝突するようになる。1056年朝廷から安倍頼良追討の宣旨が下る。この戦いで経清は捕縛され、斬首される。
経清の息子の清衡だが、母が経清亡き後、安倍頼良追討(蝦夷追討)で源頼義と共に戦った論功行賞で従五位上鎮守府将軍になった出羽の豪族清原武則の子武貞と再婚したことで無事であった。因みに清原氏も俘囚である。後に清衡の義理の弟になる家衡が生まれるが、1086年清原一族の内紛がこの兄弟の土地争いに発展、清衡が勝利し、滅亡することになる清原氏の全所領を獲得する。(前三年の役)
亘理権太夫経清は亘理に来てから亘理姓を名乗っている。権太夫の太夫は五位の官位。権は定員外の意味で、実際にこの官職についていたかは不明だそうだ。亘理小史は清衡が京都の藤原氏に荘園を献じて藤原姓をもらった可能性を挙げている。似たような話が奥州平泉黄金の世紀-とんぼの本(新潮社)にある。夜9時頃、京の藤原師通の屋敷に父師実の使者盛長朝臣が訪れ、陸奥の清衡という者が馬二匹を献上してきたこと、陸奥出羽の土地の荘園寄進状と押領使任命の嘆願書を持ってきたことを告げる。馬を献上することを貢馬といい、臣礼の意味があるそう。後の藤原文化の財政基盤は馬と金なので、馬はたいそう貴重な贈り物であっただろう。藤原姓を名乗るのは奥州経営上必要だったのだろうが、清衡自身は自身が蝦夷であることを強く意識していたのだろう。中尊寺落成供養を行う願文に自分は俵藤太や鎌足の末孫ではない、弟子者東夷之遠曾也、と記述しているという。
      
        2024年12月01日 日和山
          蓑首城[中島館  周辺城郭]
        通称・別称 坂元城、坂元要害
所在地 山元町坂元
分類・構造 平山城
築城主 坂元三河守
築城年 元亀3年(1572)
主な城主 大條氏
遺構 大手門、茶室、土塁、水堀、堀切
知られざる現存建造物のある城。
大手門や伊達政宗が拝領した伏見城の茶室が修理され、二ノ丸の水堀とともに整備されていました(訪問時にはまだ公開されていませんでした。)
以前は行けなかった大堀切にも見学路が整備され、とても見やすくなっています。地元のみなさま、自治体の方に感謝。
      
        2024年09月30日 駄目太政大臣政宗
          中島館
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
          
        史跡標示柱の前を通るたびに気になっていた場所にやっと登れました。登り始めて5分位で主郭に到着。車を停める場所は無いけれども、攻めやすい館跡でした。
      
        2021年01月17日 kurobuta
          中島館
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
          
        宮城と福島の県境の山元町の国道6号沿いにあります。6号の上り側に一台分の駐車スペースがあります🚗
館跡の柱がありますので、そこから🚶♂️で登れます。
歩いて10分掛からずに主郭跡に到着できます。ここには説明板があります。広さは30坪ほどでしょうか?砦としては小さい感じですし居館としてはかなりの規模と思えます。
街道のすぐ隣りなので関所も兼ねていたのではないかと推測します。
簡単に登れますから気軽に訪問可能です🙆♂️
      
        2020年12月11日 まあ陸前守
          中島館
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
 
          
          
        諸説ある様ですが藤原経清の居館だと言われています。前九年の役で安倍氏と戦った人物で奥州藤原氏初代清衡の実父です。土塁、曲輪が残っていました。国道6号沿いにありますが駐車スペースは無いので注意下さい。
      
中島館の周辺スポット情報
      
 中島館跡 碑&説明板(碑・説明板)
      
 蓑首城(周辺城郭)
      
 駐車場(駐車場)
      
 登城口(その他)
  


              
              






