中村城(なかむらじょう)
中村城の基本情報
通称・別名
- 相馬中村城、馬陵城
所在地
- 福島県相馬市中村北町101
旧国名
- 磐城国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 中村氏
築城年
- 大永年間(1521〜1528)
主な改修者
- 相馬氏
主な城主
- 中村氏、相馬氏
廃城年
- 明治3年(1870)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)、大手門
指定文化財
- 県史跡(中村城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
駒ヶ嶺城(福島県相馬郡)[6.0km]
金山城(宮城県伊具郡)[14.8km]
中島館(宮城県亘理郡)[16.8km]
丸森城(宮城県伊具郡)[17.6km]
霊山城(福島県伊達市)[20.5km]
中村城の解説文
[引用元:Wikipedia「中村城」の項目]相馬中村城(そうまなかむらじょう)は、福島県相馬市中村(令制国下:陸奥国宇多郡中村)にあった日本の城。単に中村城とも言うが、他の「中村城」と区別する際には、相馬中村城や陸奥中村城という。
戦国時代から江戸時代にかけての大名・相馬氏の居城の一つであり、江戸時代には藩主相馬氏の中村藩の藩庁であった。馬陵城(ばりょうじょう)という別名を持つ。
【概要】
縄張りは梯郭式の平山城である。
西の阿武隈山地から伸びる比高15m程の小丘陵に築かれた城である。南面に流れる宇多川を天然の外堀とし、この水を引いて北面・東面に水堀が配される。尾根続きの西面は、堀切と切岸で防御されている。北面に水堀を中心とした地形的障碍を多く用い、仮想敵である伊達氏を意識した構えとなっている。戦時には堀を切って城の北側500m余りを一面の沼沢地にすることができたとも言われる。場所としては宇多川の渡河点を制圧する意味合いを持っている。
【歴史】
中村城の歴史は古く、平安時代初期の延暦年間(800年頃)に奥州鎮撫のため坂上田村麻呂が最初に築いたとされる。
南北朝時代の1337年(延元2年)には、周辺を配下とした中村朝高がこの地に「中村館」を構えた。以後、戦国時代初期まで中村氏の支配が続いた。
中村氏に代わって相馬盛胤が浜通り夜ノ森以北に権勢を振るい、1563年(永禄6年)に次男の相馬隆胤が入城した。この時期は相馬氏と伊達氏の抗争が激化した戦国時代真っ只中であり、相馬氏は本城である小高城に加えて、この中村城に城代を置いて伊達氏と睨み合った。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いから11年後の1611年(慶長16年)、盛胤の孫である利胤は、本城を小高城から中村城に完全移転し、中村城は中村藩6万石の政府となった。同年、利胤はただちに近世城郭への改修を開始し、梯郭式の城郭が完成、本丸四櫓と称される櫓門形式の前門及び搦手(からめて)門・北隅櫓・天守が設けられた。しかし、1670年(寛文10年)には落雷により天守を焼失したが、時の4代藩主貞胤は藩政を優先し天守再建は為されなかった。以後、これを指針として歴代藩主は天守を再建しなかった。
1868年(明治元年)の戊辰戦争では、中村城は明治政府軍の攻撃を受けて陥落し、陥落後の中村城は明治政府軍の支配拠点となった。そして、1871年(明治4年)の廃藩置県によって廃城となった。
【構造】...[続きを見る]
中村城の口コミ情報
薄葉ヶ原オフ会下野守智ぞう様[2018年12月19日]
かなり見応えありました!遺構や石垣も点在しています。各所にパンフレットが置いてあるのが親切です。じっくり見て回る事をオススメします。
城郭内にいくつかの神社もあります。ご朱印も頂け、ご朱印に馬の絵が入ってたりしてなかなかカッコいいです。
城郭内に二宮尊徳像もあります。尊徳先生の復興事業が最大限に生かされた土地であるようで、尊徳先生関係遺構も多数あるみたいです。
合わせて回っても良いかもです。
独眼竜陸前守道灌?!様[2015年11月22日]
別件でいわき市を訪れついでに北上し相馬中村城址へ♪
事前の勉強不足で正直大したことない城跡だと思っていましたのが、広大な縄張りと見応えのある遺構に少し驚いて仕舞いました♪Σ(゚ロ゚;)!?
またゆっくりと探索に訪れたいです♪(^^)
はやえもん壱岐守行動休息中様[2014年07月26日]
相馬野馬追いは7月の最終の週末の3日間に行われます。相馬中村城で出陣式が行われ、鎧等を着て行列を作りながら行進します。普段は余り賑やかになりませんがこの日だけはたくさんの人が来ますので観戦してください。
はやえもん壱岐守行動休息中様[2013年06月23日]
中村城に車で入れる場所は一ヶ所のみ車で来たときには駐車場を探しておいた方がいいですね。…この中村城の中に球場あり!
自分が中学生の時伝統戦をやっていましたが今はどうなのか…
はやえもん壱岐守行動休息中様[2012年12月31日]
福島〜霊山方面の方からで通行の時は中村城の反対側に小学校あり
尚駐車場は中村城の手前の道路を左折し約2〜300メートル当たりに相馬高等学校(今は相馬東かな)があり、そこを右折すると入口あり
そのまま直進も可能
約100メートル前進しそこを左折すると駐車場
台数はおよそ2〜30台駐車可能
尚そこの駐車場以外にも駐車場あり看板で記載
馬陵公園は自分たちは長友公園とも呼んでいた
珍しく中村城の中には馬小屋があるので馬が好きな方はどうぞお楽しみに…
はやえもん壱岐守行動休息中様[2012年12月31日]
実家から徒歩約15分で到着
ここには初詣で来られる方々が多く、また春になるとお花見で伺う事もありが綺麗
夏には相馬野馬追いで賑わう
初めて知ったのは神社の中には馬小屋あり
馬が好きな方は是非とも来てもらいたいです
のぼちゃん陸奥守様[2010年06月07日]
相馬市役所周辺で敷地内は『中村神社』と『相馬神社』があり、正門の所に案内表示番があります。中に『中村城』の石碑と数箇所ですが堀と石垣が確認できました。