角田城(かくだじょう)

角田城の基本情報

通称・別名

角田要害、金鶏館、金鶏ヶ館、臥牛城

所在地

宮城県角田市角田字牛舘1

旧国名

磐城国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

田手宗時

築城年

永禄年間(1558〜1570)

主な改修者

主な城主

田手氏、伊達氏、石川氏

廃城年

遺構

曲輪、堀、移築門

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

丸森城(宮城県伊具郡)[6.5km]
金山城(宮城県伊具郡)[8.2km]
小堤城(宮城県亘理郡)[8.8km]
遠倉館(宮城県伊具郡)[8.9km]
亘理城(宮城県亘理郡)[9.6km]

角田城の解説文

角田城(かくだじょう)は宮城県角田市角田(陸奥国伊具郡)にあった日本の城。
仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、以後は角田要害と称した。金鶏館とも称した。

概要
角田城は、永禄年間、伊達氏の家臣田手宗光が築城した。

角田城を巡って伊達氏と相馬氏の争奪戦が繰り広げられたが、宗光は相馬氏と通じて反旗を翻した。伊達輝宗は後に角田城を奪還し、父と異なり伊達氏に従った宗光の子田手宗時が城主となった。

しかし、天正10年(1582年)宗時は戦死した。そのため同19年(1591年)には政宗の家臣伊達成実が二本松城より移ったが、文禄4年(1595年)成実は出奔し、城は政宗により接収を受けた。

慶長3年(1598年)政宗の叔父・石川昭光が1万石を領し、石川氏が明治維新まで在住した。

明治元年(1868年)12月角田地域を含む白石に戊辰戦争で朝敵となった盛岡藩南部氏が減封の上で移封された(白石藩)。以降数年間、角田要害は南部氏によって管理された。

明治4年(1872年)11月仙台県に編入されるまで県庁舎として使用された。
現在は宮城県角田高等学校の敷地となっていて、高校の入口付近に石碑が建っている。

角田城の口コミ情報

さくら主膳佑にゃ〜様[2013年01月06日]
【遺構】の欄に記載のある移築門とは、おそらく市内長泉寺中門(臥牛門)を指しているものかと思いますが、本堂改築の折に解体され現在は見る事は出来ません。
本堂改築直後に訪問した際、用材は保存されている、と伺ったので、再築されて無いかな~と思い訪問も…ありませんでした(>△<。
しかしながら、長泉寺境内の解説板にはしっかりと"角田市指定文化財"として臥牛門の記載かあります。角田市頼むぜ…。

毘沙門天山城守乱丸様[2012年07月02日]
現在、角田高校が建っており、敷地内は関係者以外立入禁止になってますが校門に説明板が建ってます!

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