丸森城(まるもりじょう)
丸森城の基本情報
通称・別名
- 丸山館、丸山城
所在地
- 宮城県伊具郡丸森町丸森字新町
旧国名
- 磐城国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 伊達稙宗
築城年
- 室町時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 伊達氏
廃城年
- 慶長年間(1596〜1615)
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
金山城(宮城県伊具郡)[3.0km]
角田城(宮城県角田市)[6.5km]
遠倉館(宮城県伊具郡)[8.2km]
坂元城(宮城県亘理郡)[10.5km]
駒ヶ嶺城(福島県相馬郡)[14.2km]
小堤城(宮城県亘理郡)[14.5km]
亘理城(宮城県亘理郡)[15.3km]
梁川城(福島県伊達市)[15.6km]
地蔵院館(宮城県白石市)[15.7km]
船岡城(宮城県柴田郡)[16.0km]
丸森城の解説文
丸森城の口コミ情報
2026年03月15日 日和山
鳥屋館[丸森城 周辺城郭]
鳥屋館
所在地 伊具郡丸森町字除北
別名・別称 丸森所
分類・構造 平山城
築城主 大條薩摩実頼
築城年 慶長6年(1601)または慶長9年(1604)
主な城主 佐々氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 空堀、土塁
大條氏によって丸山館(3000城登録の丸森城)に替えて新しく造られました。その後山口氏、遠山氏を経て、天和2年(1682)佐々伊賀定隆が館主となりました。佐々氏は仙台藩の奉行を多く輩出しています。仙台藩の支城制での格付けは「所」でした。
館は阿武隈川に突き出した丘の上に築かれました。館の西側が延喜式内社鳥屋嶺神社の境内になっています。すぐ東に外堀が浅く内堀が深い二重堀があります。内堀は竹が伐採されて見やすくなっていました。
その向こうが館の中枢部ですが、堀と北側の道沿いのフェンスに阻まれ侵入は不可かと(手動リア攻めはフェンス外から)。
丸森の町はもとは館の南側にありましたが、度重なる洪水被害により、文化元年(1804)に現在のところに移転してきたといいます。その中の齋理屋敷は江戸明治の豪商の館で、たいへん見ごたえがありますので是非。丸森城、鳥屋館の絵図(パネル)も展示されています。
写真1 外堀
写真2 内堀1
写真3 内堀2
写真4 延喜式内社鳥屋嶺神社
2025年08月31日 さよなら式部少輔急行津軽
丸森城
本丸の近くの駐車場まで乗用車で行けます。駐車場は3、4台程停められるスペースがあります。
駐車場から本丸跡まですぐ(1枚目)です。ただ、本丸跡には標柱(2枚目)があるのみです。
本丸跡から少し進むと土橋(3枚目)があり、その向こうに神社(6枚目)があります。神社のそばには説明板(4枚目、5枚目)があります。季節のせいか、虫(アブ?)が多かったです。
2024年09月15日 大納言Z関白369
丸森城
現在、城郭の一部に配水池を建設しているようで、建設用の重機が駐車場近くの建設現場に置かれていました。休日に訪れたので作業はしておらず車を停めておくことができました。駐車スペースは2台で一杯ぐらいのスペースしかないので注意。あと平日に訪れる際は配水池建設工事をしているようなので要注意です。
2024年01月27日 駄目太政大臣政宗
丸森城
本丸近くまで車で登れます。駐車スペースは2〜3台位。保存整備中も新たな擁壁で少し残念。
2023年06月17日 主馬首せんべい
丸森城
折れてる少し怖い旗の先には大きな空堀がありました‼️😳その奥には丸森城のことにっいての説明板がありました‼️
2023年04月07日 加納下総守
丸森城
本丸付近は崩れかかったのをコンクリートで補修してありちょっと興醒め。庚申塚へは急なのでお気をつけて。
2022年12月18日 ruiw0302
丸森城
本丸の直下まで車で登れます。でも駐車場と言った駐車場ではなく、無理に置けば漸く3台停めることができる程度なので他の方の車があれば難儀するかもしれません。それでも車を転回する場所は確保できるので、さほどの心配は必要ないかと思われます。駐車場から本丸の奥までも数百mしかないので、時間的には四半刻あれば充分でしょうか。伊達家と相馬家の激しい合戦が繰り広げられた位置関係が興味深く眺められた。
2022年11月03日 左近衛少将ゆういちろう
丸森城
少し分かりにくい場所にあります。遺構はほとんど残っていません。電車で行く方は、丸森駅で無料のレンタサイクルを借りることをお勧めします。駅からふもとまで自転車で約15分。ちなみに近くに金山城がありますが、丸森城から自転車で15分です。
2021年11月28日 岩井陸前守半太郎
丸森城
現在駐車場を整備中、道路維持のため駐車場からは徒歩移動になります。
2020年12月15日 まあ陸前守
丸森城
本丸跡地の奥に石垣?が残っていました。あとは堀切の遺構があります。
2018年12月19日 【籠城中】下野守智ぞう
丸森城
二の丸付近まで車で上がれます。3、4台くらい止められる駐車場あります。
本丸、二の丸付近手入れされており、見やすいです。二の丸奥に帯郭が確認出来ました。
植宗公の碑から奥に進めるようですが、ロープづたいに下ります。
滑りそうなんでまたの機会へと断念しました。
金山城とセットで楽しめるかと思います
2016年12月26日 カーネル
丸森城
阿武隈急行線丸森駅から、駅を背に南東へ向かい、国道113号線で右(南)です
城へは東からアプローチするのが一般的のようですが、駅から歩きで東まで行くと遠回りです
なので、国道113号線が阿武隈川を超え、道が左に曲がるあたりで、Vターンして山に向かっていく未舗装路の道があるので、ここを進みむと城の北から侵入できます
坂道は傾斜がきついですが、舗装されて登りやすいです。上の見上げると愛宕神社の鳥居が見えます
10分弱登ると山頂の愛宕神社です。ここには丸山城の看板があり、東へ尾根を進みます
土橋を超えて進むと本丸跡で、さらに下ると二ノ丸・三の丸です
二ノ丸と三の丸の間は空間があり、堀なのか駐車場か?この先を行くと城の東に出れますが、元来た道を帰りました
山頂から下る道から、土橋を下から見上げる構図がかっこよかったです
やや早歩きで往復1時間半でした
2016年11月06日 三沢出羽守伊兵衛
丸森城
伊達稙宗の隠居城。遺構は良好に残り楽しめます。
2010年11月20日 伊達雅楽助あいり
丸森城
本丸跡には愛宕神社と伊達稙宗公の墓碑があります。










場所
丸森町字矢洗新町地区国道113号線の西にそびえる高さ約50メートルの独立した小山。
現状
山の頂上平坦部は大きく二分され、本丸跡とみられる部分は直径約30メートル、現在愛宕神社が祀られており、その傍に伊達稙宗の碑が立っている。頂上から北東20メートル下部には曲輪とみられる平場が認められ、北西部は切り立った断崖になっている。また西南部は二の丸跡に続き、自然の谷間か空堀の跡か、南西、北面共に高さ10メートルほどの大きな窪目を残している。
二の丸跡は、本丸の南に続き、直径50メートルの平場で、畑地となっている。この二の丸の東、南、西の3面に数段の曲輪の跡がみられる。
城跡の北西、切り立った山麓に内川が流れ、二の丸の南面はなだらかに広がり、作田、越田の丘陵に続いている。
歴史
『仙台領古城立之覚』などの史料が残るが、これらは完全に伊達氏の領地になってからのものであり、それ以前、築城から伊達氏に帰属するまでの詳細について確かな記録は少ない。天文の乱(伊達稙宗、晴宗の争い)に敗れた稙宗は天文16年(1547)女婿の相馬氏の庇護を受けて、相馬小高城に至り、一年後の天文17年(1548)9月、丸森城に隠居した。稙宗がこの城に居ること17年、再起の夢果たせず永禄8年(1565)6月、丸森城は相馬盛胤、義胤親子に攻め落とされ、相馬氏の家来門間大和が館主となる。
このころから、丸森、金山、小斎を中心とした、伊達と相馬との争いが激しくなり、天正13年(1585)5月、片倉景綱が丸森城を攻め、時の館主大河内外記をたおし、城を伊達氏の手中に入れた。翌14年、黒木宗元(後に駒ヶ嶺の館主となる)に与えられ、後に高野壱岐親兼に代わり、更に慶長6年(1601)大條薩摩守実頼が館主となった。その年(一節には3年後)、大條実頼は鳥屋館に移り、ここで丸森城は廃城となった。
なおこの城で没した稙宗の遺骸は丸森城の西の曲輪に葬られたが、菩提寺の松音寺は稙宗の没後37年過ぎた慶長7年(1602)、丸森から仙台連坊小路に移され、松音寺はその跡も定かではない。
また、高野壱岐の墓は城の南、小林山麓に所在していたが、現在は蔵王町平沢にある保昌寺(高野家の菩提寺)に移転されている。