平沢城(ひらさわじょう)
平沢城の基本情報
通称・別名
- 平沢要害、平沢館、寝牛館、臥牛(ねうし)館、勝岡城
所在地
- 宮城県刈田郡蔵王町平沢字内屋敷
旧国名
- 磐城国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 甘糟備後守?、中島右衛門?
築城年
- 天正19年(1591)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 甘糟氏?、中島氏?、高野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑(勝岡城跡)、説明板
周辺の城
-
川崎城(宮城県柴田郡)[6.6km]
前川本城(宮城県柴田郡)[6.6km]
根添城(宮城県仙台市)[10.2km]
船岡城(宮城県柴田郡)[10.4km]
白石城(宮城県白石市)[15.0km]
高舘城(宮城県名取市)[15.6km]
御殿館(宮城県仙台市)[16.8km]
西館(宮城県仙台市)[18.0km]
亘理城(宮城県亘理郡)[18.1km]
小堤城(宮城県亘理郡)[18.1km]
平沢城の口コミ情報
2024年09月15日 大納言Z周防守369
村田館[平沢城 周辺城郭]
土砂降りの雨が降っていたことと、草がかなり生い茂っていたので、あまり充分に廻ることが出来なかった。
2024年08月18日 池田紀伊守信輝
村田館[平沢城 周辺城郭]
村田城は下野からこの地に入った小山九郎業朝を祖とする村田氏の居城です。伊達政宗の側室である猫御前が伊達兵五郎秀宗を産んだ城としても知られています。村田氏は6代・村田近重のときに伊達稙宗の子である宗殖(万好斎)を養子に迎えましたが、その宗殖が仏門に入ったため領地没収となっています。その後は石川昭光の隠居所となったのち、伊達政宗の七男である伊達宗高が城主となりました。現在城址は本丸跡が城山公園として整備されており、土塁や空堀などの遺構を確認することができます。二の丸跡は村田町立村田小学校の敷地となっています。また大手門が近隣の願勝寺に移築されていますが、当時の薬医門からは姿が変わっています。
2023年05月05日 気分爽快豊後守
兵糧館[平沢城 周辺城郭]
城のすぐ近くまで車道がありアクセスは良いが、軽自動車でないと夏場は両脇の草木が成長して走行困難な道幅ではある。主郭のみとなるが、東西に二段の横堀があり、藪がないので先まで確認できる。アクセス道路がもう少し整備されていれば、お勧めしたいところだが、草木が成長していると車は擦り傷だらけになりそう。
①東の横堀を北から
②西の横堀の北端
③西の横堀を北から
④主郭の北には土塁がある
⑤馬出しのような南端
⑥東の横堀を南から
⑦東南部は横堀、竪堀、堀切からなる凸凹状態