川崎城(かわさきじょう)

川崎城の基本情報

通称・別名

川崎要害、臥牛城、前川城

所在地

宮城県柴田郡川崎町前川舘山西

旧国名

陸前国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

砂金実常

築城年

慶長13年(1608)

主な改修者

主な城主

砂金氏、川崎伊達氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、切岸

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

前川本城(宮城県柴田郡)[1.5km]
平沢城(宮城県刈田郡)[6.6km]
根添城(宮城県仙台市)[10.5km]
御殿館(宮城県仙台市)[13.6km]
西館(宮城県仙台市)[15.8km]
平賀館(宮城県仙台市)[16.0km]
船岡城(宮城県柴田郡)[17.0km]
高舘城(宮城県名取市)[17.2km]
郷六城(宮城県仙台市)[17.4km]
富沢館(宮城県仙台市)[19.3km]

川崎城の解説文



川崎城(かわさきじょう)は、宮城県柴田郡川崎町[1]にあった日本の城。伊達氏の要塞の一つであった。現在、城跡は遊具などが有り、切岸程度しか遺構は見当たらない。

経歴 

慶長9年(1604年)に完成した。臥牛城のひとつである、慶長年間1596年頃から1615年くらいにかけて、伊達氏の家臣で伊達一族となった砂金実常による築城で、先端部に本丸、その東側の丘陵部に二の丸を配し、二の丸と丘陵部との間には土塁と掘り切りを設けた。

伊達氏の21要塞の一つである、他の伊達氏の城と同じように元和の一国一城令により、川崎城から名前を川崎要塞として存続した。現在は公園となっており公園化により改変があり、切岸以外、僅かな土塁の痕跡以外に、これという遺構は見られない。かつての二ノ丸には川崎町立川崎小学校が隣接する。頂上から麓まで大きなローラースライダーがある。

川崎城の口コミ情報

2022年11月26日 Marky武蔵守
小野城[川崎城  周辺城郭]

【登城口標柱より】
城主は、小野雅楽允(天文~慶長)と伝え、城趾は、高さ50m、面積は諏訪神社を含めて東西250m、 南北180mにも及ぶ巨大な山城で、東、西、南面は土塁、空堀でくまなくとり囲み、北西側は、眼下に北川と 険しい断崖となり、天然の要害と人工の防塁で隙間無く囲まれているのが大きな特長となっている

2021年11月07日 ジョウ陸奥守
川崎城

小学校に隣接した城山公園になっておりますが、現在、道路工事中です。公園までは、注意してください。

2018年05月27日 伊達一輝☆武蔵守【独眼竜】
川崎城

戦国末期1573年(天正1年)砂金氏8代常久が、川崎城近くに前川本城を築城。11代常房が前川城に移転(1609年)するまで居住。(36年間)伊達氏の防衛拠点。

中世連郭式山城、東西南北ともに200m,本丸、二の丸と大規模な土塁と空堀で馬出曲輪を構え、そこに内枡形を二つ重ねてつけた異様なほど技巧的な虎口をもつ。
まさに「土の芸術」です。

※駐車場、トイレはありません。

2013年07月30日 中務少輔きたろう三世
川崎城

小学校の隣だが、遺構は全体の形状から察するしかない(藪を探索すれば何か見つかるかも)。川崎ICの向こうには砂金氏の前川本城があるが、こちらは遺構が良好に残ってい
る。

川崎城の周辺スポット情報

 前川城址(川崎要害)入口碑(碑・説明板)

 川崎要害説明板(碑・説明板)

 小野城(周辺城郭)

 公園トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 城山公園駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

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