富沢館(とみさわだて)
富沢館の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 宮城県仙台市太白区富沢舘
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 粟野大膳?
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 粟野氏、山岸氏
廃城年
- -
遺構
- 土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
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高舘城(宮城県名取市)[3.3km]
北目城(宮城県仙台市)[3.3km]
仙台城(宮城県仙台市)[4.2km]
若林城(宮城県仙台市)[4.4km]
沖野城(宮城県仙台市)[5.3km]
今泉城(宮城県仙台市)[5.8km]
国分鞭館(宮城県仙台市)[6.0km]
郷六城(宮城県仙台市)[6.6km]
西館(宮城県仙台市)[8.4km]
根添城(宮城県仙台市)[8.9km]
富沢館の解説文
富沢館の口コミ情報
2024年04月23日 やりなおしのしもうさ
富沢館
城跡の盛土は公園として整備されており、きれいに宅地化された住宅街のど真ん中です。周りに空き地も多いので、城趾の眼の前に家を立てることも可能です。
2023年12月31日 片倉左兵衛尉小十郎
富沢館
しっかりと埋めて保全されてるので、当時の様子を垣間見る事は出来ないかな。
2019年05月01日 伊達一輝☆武蔵守【独眼竜】
富沢館跡・説明板[富沢館 碑・説明板]
令和元年5月1日・説明板が設置されました。
昭和42年、平成25年、平成27年、平成31年
の経過写真が掲載されております。
2019年04月30日 伊達一輝☆武蔵守【独眼竜】
富沢館跡・説明板[富沢館 碑・説明板]
現在、区画整理中の『富沢館跡』。令和元年オープンに向けて案内板が設置されました。~大規模な堀で幾重にも囲まれた中世最大級の城館跡~『富沢館跡』は、仙台の平野部で確認されている中世のなかでも最大級のもので、土塁や堀跡の形状がよく観察されることでも知られていました。また、館跡の範囲には、「館」や「館東」という地名も残されていました。
2016年03月30日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
富沢館
富沢館一帯は田畑が広がる農地と農家が広がっていました。仙台市地下鉄南北線の富沢駅の西部の1㎞以内に位置しているため、近くまで宅地開発が進んできています。
そのため、数年前から大規模な土地区画整理事業が始まり、仙台平野の平城の中でもあまり手つかずで残ってきた富沢館はその事業地内に位置しています。計画図によると道路と公園、宅地になるようです。
過去には小規模な発掘調査は行われたようですが、数年前から土地区画整理事業に伴う、富沢館の主要部分の大規模な発掘調査が始まりました。
発掘調査を通して、今までわからなかった遺構や機能、富沢館の建物配置などが徐々に明らかになることと思われます。計画されている公園の一角に遺構が残ってほしいと願います。
2011年06月03日 さくら主膳佑にゃ〜
富沢館
戦国時代、茂ヶ崎城や北目城を中心に仙台平野に勢力を拡大した粟野氏によって築かれ、家臣富沢伊賀守が居住したとされる。伊達氏の勢力下に入った後は入生田氏に与えられ、以降江戸時代を通じて在郷屋敷として存続、現在も館跡の一部に入生田氏子孫が居住している。
富沢館の周辺スポット情報
富沢館・土塁(遺構・復元物)
富沢館跡・説明板(碑・説明板)
富沢南一丁目北公園トイレ(トイレ)
富沢館跡は市の南部にあり、JR仙台駅の南西約5.3㎞、名取川の支流である笊川沿いの標高約16mの自然堤防上に立地している中世城館跡である。
周辺には南に隣接して鍛冶屋敷前遺跡が広がっている他、鍛冶屋敷A遺跡、鍛冶屋敷B遺跡、六本松遺跡がある。
北には富沢遺跡、山口遺跡、東には下ノ内遺跡、伊古田遺跡、下ノ内浦遺跡、六反田遺跡があり、市内でも有数の遺跡の密集地帯である。遺跡の範囲は東西約400m、南北約300mで、面積は約114,700㎡である。
周辺の地形をみると、遺跡の北側は河川改修工事によって地形が改変されているが、東西と南に広がる水田のうち、標高の高い宅地や畑地沿いに一段低い水田が取り囲むように連続して認められる。周辺より高い部分が城館の郭内、細長い水田は堀と推定されている。
富沢館跡は、江戸時代には仙台藩士入生田家の在郷屋敷として使われており、入生田家について記述した書物である『入生田家之故実』には「西に三重、南に弐重、北に和賀河ともに二重也。土手形共に右に同じ」という堀と土塁の配置についての記述がある。また、館の造営について『館記』『入生田家之故実』では北目城主であった粟野大膳による造営かという記載があるが、造営者や造営時期等の詳細は不明である。
館跡中央の西側に土塁が長さ140m、最大幅13m、高さ2mの規模で残存しており、周囲に三重の堀が巡っていることが確認されている。
また、土塁の西側に西光寺という寺院が存在していたと伝えられ、入生田氏の墓が残されていたが、現在は移設されている。
なお、近年の調査で、下層から縄文時代後期の竪穴住居跡などが検出されている。
参考文献
・仙台市ウェブサイト「仙台市の遺跡」