国分鞭館(こくぶんむちだて)
国分鞭館の基本情報
通称・別名
- 国分原鞭楯、鞭楯、鞭館
所在地
- 宮城県仙台市宮城野区五輪1(推定地)
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 藤原泰衡
築城年
- 文治5年(1189)?
主な改修者
- -
主な城主
- 藤原泰衡
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑(榴ヶ岡)
周辺の城
-
若林城(宮城県仙台市)[2.7km]
小鶴城(宮城県仙台市)[3.6km]
仙台城(宮城県仙台市)[3.7km]
沖野城(宮城県仙台市)[4.0km]
北目城(宮城県仙台市)[4.2km]
富沢館(宮城県仙台市)[6.0km]
今泉城(宮城県仙台市)[6.1km]
松森城(宮城県仙台市)[6.6km]
長命館(宮城県仙台市)[6.9km]
岩切城(宮城県仙台市)[7.0km]
国分鞭館の解説文
国分鞭館の口コミ情報
2026年10月10日 さよなら陸奥守急行津軽
仙台市歴史民俗資料館[国分鞭館 関連施設]
入館料大人240円。9時から16時45分(最終入場16時15分)まで開館。休館日は月曜日、休日の翌日、第4木曜日、年末年始、燻蒸実施期間。
明治時代から昭和時代の民衆のくらしに係る展示物、旧陸軍歩兵第四連隊(建物は兵舎として使用した、宮城県最古の洋風建築)に係る展示物がメイン。国分鞭館関係は見当たらず。
特別展「仙台古地図の旅」が11月8日まで実施されていますが、江戸時代の古地図は幕末の物があるのみで、明治時代以降がほとんど(国分鞭館付近は陸軍関係の記載)でした。
幕末の物も仙台城中心なので、国分鞭館付近は記載があまりないように思われました。
2026年10月04日 さよなら陸奥守急行津軽
史跡陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設[国分鞭館 関連施設]
入館無料。9時から17時まで開館。展示物は説明パネルや出土品(瓦、土器など)。復元建造物として天平廻廊(1枚目)が作られています。
国分寺は奈良時代の設置ですが、江戸時代も伊達家によって、建物が整備・維持されています。
2026年05月11日 コロスケコロコロ
国分鞭館
遺構は望めませんが、綺麗な公園になっていて良かったです。
2026年05月10日 弾正尹カンチ
国分鞭館
広い公園でランニングしてる人もいて落ち着ける場所です。
2026年01月27日 泉左衛門尉三八五守皆中神社
国分鞭館
仙石線榴ヶ岡駅一番出口から目と鼻の先でです。現在は芝生広場になっています。
2025年05月11日 右近衛大将気軽なよっしー
国分鞭館
仙台国際ハーフマラソンに参加の為楽天スタジアムまで仙台駅東口のホテルから徒歩で向かう途中立ち寄り。
榴岡公園と言う公園で特に城跡と言う感じはしない。少し高台になってるかな。
敷地内に歴史博物館あり、寄れなかったけど。伊達政宗公慈愛の白萩が植えてあった。
2024年09月23日 薩摩相模守義弘維新斎
国分鞭館
JR仙台駅から車で約5分、徒歩で約15分ぐらいで登城できます。(因みに榴ヶ岡駅からは、左程時間がかからずに行けます。)
今は榴岡公園で、その前が警察学校などに使用され、戦後直ぐには進駐軍が駐留し、戦前が旧陸軍第四連隊が置かれた地。軍が使用していたことから考えても、この地がただならぬ場所と推測できます。
また、特に遺構はありませんが、周囲より高い立地にあるため、嘗てここが城跡(陣屋)と分かります。
2023年04月20日 伊達一輝☆【独眼竜】
国分鞭館
文治5年(1189年)藤原泰衡が、源頼朝の軍勢を迎え撃つために国分原鞭楯に陣を敷いた伝説があるのである。
現在は、仙台市民の憩いの榴岡公園として、お花見会場「桜まつり」が、毎年開催されます。【榴岡 お花見】で検索
国分鞭館の周辺スポット情報
榴岡道標碑(碑・説明板)
榴岡公園 案内図(碑・説明板)
榴岡公園 案内図(碑・説明板)
歩兵第四聯隊之跡(碑・説明板)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
有料駐車場(駐車場)
史跡陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設(関連施設)
仙台市歴史民俗資料館(関連施設)










歴史
文治5年(1189)、鎌倉政権と奥州藤原氏との間で行われた奥州合戦において、多賀国府に近い国分原鞭館に総大将である藤原泰衡の本営が置かれた。鞭館で総軍の指揮を執る泰衡は、阿津賀志山(福島県国見町)に約3kmにわたって防塁を構築して庶兄の国衡を置き、他にも石那坂(福島市松川町)にも塁を築いて信夫庄司佐藤基治に守らせるなどの迎撃体制を整えた。
しかし、鎌倉方の畠山重忠らによって阿津賀志山防塁が陥落させられ、他の要衝も次々と突破されたため、泰衡は鞭館を放棄して平泉方面へ敗走した。
遺構
JR仙台駅から東へ約1kmの「榴岡(つつじがおか)公園」が比定地とされている。現在、榴岡公園がある場所は標高35mほどの微高地となっているが、公園化に伴って大きく改変されており、周辺も合同庁舎が立ち並ぶなど市街地化が進んでいることから遺構は確認できない。
また、過去に複数回仙台市によって発掘調査が実施されているが、遺構や遺物は発見されていない。
なお、時代は下って関ヶ原の戦いの後、伊達政宗が新たに居城の築城を計画した際に、青葉山(現在の仙台城)の他に、日和山(石巻市)や大年寺山(仙台市)を幕府に候補地として提出しているが、榴岡ものその候補地のひとつであったという。
交通
・JR東日本仙石線榴ケ岡駅から徒歩約5分参考文献
・『伊達の平泉伝説(入間田宣夫)』中世文学会、1997年。・『日本城郭大系 第3巻』新人物往来社、1981年。
・『文化財年報33 平成23年度』仙台市教育委員会、2012年。