国分鞭館(こくぶんむちだて)

国分鞭館の基本情報

通称・別名

国分原鞭楯、鞭楯、鞭館

所在地

宮城県仙台市宮城野区五輪1(推定地)

旧国名

陸前国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

藤原泰衡

築城年

文治5年(1189)?

主な改修者

主な城主

藤原泰衡

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑(榴ヶ岡)

周辺の城

若林城(宮城県仙台市)[2.7km]
小鶴城(宮城県仙台市)[3.6km]
仙台城(宮城県仙台市)[3.7km]
沖野城(宮城県仙台市)[4.0km]
北目城(宮城県仙台市)[4.2km]
富沢館(宮城県仙台市)[6.0km]
今泉城(宮城県仙台市)[6.1km]
松森城(宮城県仙台市)[6.6km]
長命館(宮城県仙台市)[6.9km]
岩切城(宮城県仙台市)[7.0km]

国分鞭館の解説文

国分鞭館(こくぶんむちだて)は、宮城県仙台市宮城野区五輪、榴ケ岡にあった城である。

歴史 

文治5年(1189)、鎌倉政権と奥州藤原氏との間で行われた奥州合戦において、多賀国府に近い国分原鞭館に総大将である藤原泰衡の本営が置かれた。

鞭館で総軍の指揮を執る泰衡は、阿津賀志山(福島県国見町)に約3kmにわたって防塁を構築して庶兄の国衡を置き、他にも石那坂(福島市松川町)にも塁を築いて信夫庄司佐藤基治に守らせるなどの迎撃体制を整えた。

しかし、鎌倉方の畠山重忠らによって阿津賀志山防塁が陥落させられ、他の要衝も次々と突破されたため、泰衡は鞭館を放棄して平泉方面へ敗走した。

遺構 

JR仙台駅から東へ約1kmの「榴岡(つつじがおか)公園」が比定地とされている。

現在、榴岡公園がある場所は標高35mほどの微高地となっているが、公園化に伴って大きく改変されており、周辺も合同庁舎が立ち並ぶなど市街地化が進んでいることから遺構は確認できない。

また、過去に複数回仙台市によって発掘調査が実施されているが、遺構や遺物は発見されていない。

なお、時代は下って関ヶ原の戦いの後、伊達政宗が新たに居城の築城を計画した際に、青葉山(現在の仙台城)の他に、日和山(石巻市)や大年寺山(仙台市)を幕府に候補地として提出しているが、榴岡ものその候補地のひとつであったという。

交通 

・JR東日本仙石線榴ケ岡駅から徒歩約5分

参考文献 

・『伊達の平泉伝説(入間田宣夫)』中世文学会、1997年。
・『日本城郭大系 第3巻』新人物往来社、1981年。
・『文化財年報33 平成23年度』仙台市教育委員会、2012年。

国分鞭館の口コミ情報

2024年09月23日 薩摩安房守義弘維新斎
国分鞭館



JR仙台駅から車で約5分、徒歩で約15分ぐらいで登城できます。(因みに榴ヶ岡駅からは、左程時間がかからずに行けます。)

今は榴岡公園で、その前が警察学校などに使用され、戦後直ぐには進駐軍が駐留し、戦前が旧陸軍第四連隊が置かれた地。軍が使用していたことから考えても、この地がただならぬ場所と推測できます。

また、特に遺構はありませんが、周囲より高い立地にあるため、嘗てここが城跡(陣屋)と分かります。

2023年04月20日 伊達一輝☆武蔵守【独眼竜】
国分鞭館



文治5年(1189年)藤原泰衡が、源頼朝の軍勢を迎え撃つために国分原鞭楯に陣を敷いた伝説があるのである。

現在は、仙台市民の憩いの榴岡公園として、お花見会場「桜まつり」が、毎年開催されます。【榴岡 お花見】で検索

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