仙台城(せんだいじょう)
仙台城の基本情報
通称・別名
- 青葉城、仙臺城、五城楼
所在地
- 宮城県仙台市青葉区
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 連郭式平山城
天守構造
- -
築城主
- 伊達政宗
築城年
- 慶長6年(1601)
主な改修者
- 伊達忠宗
主な城主
- 伊達氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 国史跡(仙台城跡)
再建造物
- 脇櫓、石碑、説明板
周辺の城
-
国分鞭館(宮城県仙台市)[3.7km]
郷六城(宮城県仙台市)[3.8km]
富沢館(宮城県仙台市)[4.2km]
若林城(宮城県仙台市)[4.4km]
北目城(宮城県仙台市)[4.9km]
西館(宮城県仙台市)[6.0km]
沖野城(宮城県仙台市)[6.1km]
長命館(宮城県仙台市)[7.0km]
高舘城(宮城県名取市)[7.1km]
小鶴城(宮城県仙台市)[7.2km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- 8 仙台城
設置場所
- 仙台城見聞館展示コーナー(本丸跡・ガイダンス施設)[地図]
仙台城の解説文
[引用元:Wikipedia「仙台城」の項目]
仙台城(せんだいじょう)は、宮城県仙台市青葉区(陸奥国宮城郡)の青葉山にあった日本の城(平山城)。雅称は「青葉城」で「五城楼」の別名もある(→仙台を参照)。国の史跡。
概要
慶長年間に伊達政宗が築城してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。二代藩主伊達忠宗の代に完成した仙台城は約2万坪で、大藩にふさわしい大規模な城であった。
地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく城としての役割を終えて、明治維新を迎えた。その後は明治から大正にかけて陸軍用地となり多くの建築物が解体された。数少ない遺構であった大手門、脇櫓、巽門は国宝(旧国宝)に指定されていたが、第二次世界大戦時の仙台空襲により焼失した。現在では、宮城県知事公舎正門に転用された寅の門の部材が残るのみである。
仙台城跡の土地の権利関係は複雑であり、仙台城跡のうち仙台市が所有している区画(青葉山公園)はごく一部である。戦前の経緯から宮城県護国神社や国立大学法人東北大学が所有している区画が多く、現在でも本丸と二の丸の中に境界が存在している。
「青葉城」という雅称を持ち、宮城県護国神社は当地を「青葉城」または「青葉城址」と呼称している。一方、青葉山公園として当地を管理している仙台市は「青葉城(青葉城址)」ではなく「仙台城跡」と呼称している。2003年に国の史跡「仙台城跡」として登録される前は「仙台城址」とも呼称され、現在でも青葉通地下道の案内等に名残がある。このため同一の城跡でありながら複数の案内表記が存在しており、両者を併記する例も見られる。
三の丸にある仙台市博物館の周囲には堀や石垣が見られる。ここから徒歩で青葉山の山道を登っていくと、山頂に築かれた巨大な本丸の石垣が目の前に現れる。本丸からは、東方面に仙台市中心部と仙台平野、天気が良ければ太平洋まで一望することが出来る。北方面の二の丸跡地は現在は東北大学の敷地となっているが、このうち東側の東屋付近とロータリーの北東部分は同大学ではなく仙台市が所有する青葉山公園の飛び地となっている。
また、空襲で焼失した大手門や大手門脇櫓、土塀や明治時代に焼失した本丸御殿、門、櫓、土塀の木造復元計画もある。
歴史
仙台城は近世に伊達家が居城とした城郭である。仙台城ではないが、近世以前にも青葉山には城があったともいわれ、岩切城合戦を記した文書にある「虚空蔵城」は現在の仙台城の場所にあった山城という説もある。
近世
伊達政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。1600年(慶長5年)12月、政宗は青葉山に登って縄張りを開始。地名を仙臺(新字体:仙台)と改めた。
仙台が新しい本拠地に選ばれた理由として、 1.仙台付近は陸路は東海道の延長上にある「海道」とかつての東山道に由来する「山道」が合流し、水路は名取川・広瀬川を経由して閖上などの港から太平洋に通じるなど交通の要所であったこと。 2.岩出山城を居城に定めたのは豊臣政権の伊達氏を封じ込める政策によって一方的に決められた城であったこと。 3.関ヶ原の戦いの際に徳川家康と約束されたと言われている「百万石の御墨付」が実現されていた場合(置賜郡・伊達郡など7郡が政宗に与えられた場合)、岩出山城は新しい領国の中で北に偏り過ぎていたこと。
が、あったとみられている。新城は関ヶ原の合戦が迫る緊迫化した状況の中で計画が立てられ、千代城(仙台城)以外にも仙台に近い北目城を改築して本拠地にする構想も検討されていた(実際に慶長出羽合戦では北目城に陣が置かれている)。しかし、北目城を本拠地として改築するには時間がかかると判断され、最終的には仙台を新しい本拠地とすることになった[1]。
政宗が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかった。これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は、ビスカイノをして「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城となった。
しかし、山上にある本丸は街への往来が不便であった。そのため、伊達忠宗は1638年(寛永15年)に二の丸の造営に着手し、翌年には居所を二の丸に移した。二の丸は本丸と同じく広瀬川の内側にあるが、土地は平坦な場所である。伊達家の当主はここに居住し、政務もここで執られた。時期は不明だが、これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。これ以降、本丸が使われることは少なくなり二の丸が仙台城の中枢になった。
江戸時代を通じて、仙台城は火災や地震により何度か建物や石垣の一部を失い、その都度再建された。
- 1646年(正保3年)
- 地震により石垣や櫓に被害
- 1668年(寛文8年)
- 地震により石垣に被害
- 1804年(文化元年)
- 二の丸を焼失(1809年(文化6年)に再建)
戊辰戦争でも仙台が戦場になることはなかったため、仙台城は創建以来一度も攻撃を受けずに要塞としての役目を終えた。
近代
1873年(明治6年)の「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」で仙台城は「存城」とされる[2]。
これに先立つ1869年(明治2年)の版籍奉還で仙台城には勤政庁設置。1871年(明治4年)には東北鎮台が仙台城を本営にして駐屯。このとき本丸が破壊され、石材と木材が兵舎建設に流用。後に東北鎮台は仙台鎮台と改称。さらに鎮台制が師団制にかわると、第二師団設置。
- 1876年(明治9年)
- 明治天皇が行幸
- 1882年(明治15年)
- 二の丸で火災が発生。大手門、脇櫓、虎ノ門を除くほとんどの建物が焼失。
- 1904年(明治37年)
- 本丸の跡地に招魂社建立。現在の宮城縣護國神社。
- 1920年(大正9年)
- 大手門から本丸への途中にある中門(寅門)を取り壊す。門は現知事公館の正門に移築。
- 1925年(大正14年)
- 仙台市が青葉山自然公園を開園
- 1931年(昭和6年)
- 大手門と脇櫓(隅櫓)が国宝指定。
- 1935年(昭和10年)
- 5月:政宗没後300年を記念して「伊達政宗騎馬像」が本丸に建立。
- 1943年(昭和18年)
- 政宗騎馬像が金属類回収令により撤去された。全て熔解されていたはずだったが、1945年(昭和20年)11月、郷土史家が塩竃市の金属集積所にて発見。翌年9月史家が自費で購入し青葉神社へ奉納。
- 1961年(昭和36年)
- 仙台市博物館が三の丸にて開館するにあたり像が青葉神社から寄贈される。以後、胸像として1986年(昭和41年)から2023年(令和5年)4月まで仙台市博物館中庭に設置されていた(2023年4月に仙臺緑彩館に移転)[3]。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月10日未明、アメリカ軍による仙台空襲の際、米軍のB29により投下された焼夷弾により、大手門、脇櫓(隅櫓)(当時国宝)、衛兵所に使用中の二の丸表舞台楽屋などが全て焼失し、護国神社も焼失した。これにより、江戸時代から伝わる建物は三の丸の巽門(たつみもん)のみとなった(戦後、巽門跡の発掘時に礎石附近から焼けた土が見つかっており、大手門と同様、この日の戦災で焼失したという説もある)。
現代
戦後、二の丸跡地にアメリカ陸軍が進駐(キャンプセンダイ)。トラックの通行を可能にするため、三の丸巽門が破却されたことにより(※戦災で消失説もあり)仙台城跡にあった江戸期の建築遺構はすべて失なわれた。アメリカ軍は1957年(昭和32年)にキャンプセンダイを返還。
返還された後の二の丸跡地には、東北大学が入り、東北大学川内キャンパスとなった。川内キャンパス(川内北キャンパス、川内南キャンパス)のうち、南部の文系四学部、付属図書館、付属植物園のある場所が二の丸にあたる。
- 1950年(昭和25年)
- 宮城神社(宮城縣護國神社の占領期の名称)は国有地払い下げを受け、本丸一帯を所有した。仙台市は城が神社のものになることを望まず、交渉して土地の一部を管理し、一部を買い上げ。2003年(平成15年)現在、本丸の一部は仙台市のものだが、本丸の一部と西の丸はなお護国神社のものである。城を訪れる人は、表玄関である詰門があった場所に、大きな鳥居と「靖国神社公式参拝を継続させよう」などと書かれた看板を見ることになる。本丸の中心は、護国神社の拝殿と青葉城資料館、食堂などが占める。
- 1954年(昭和29年)
- 戦争中に撤去された政宗像はコンクリート平服立像として再建。
- 1960年(昭和35年)
- 三の丸跡地に仙台市博物館が開館。三の丸の堀は、長沼、五色沼として残る。
- 1962年(昭和37年)
- 伊達政宗騎馬像が再建。先に建立したコンクリート製の立ち像は岩出山町(現・大崎市)の岩出山城に移設。
- 1978年(昭和52年)
- 6月12日:宮城県沖地震で石垣や土塀に被害が発生。
- 2003年(平成15年)
- 8月27日:国の史跡に指定。
- 2005年(平成17年)
- 青葉城本丸会館が営業時間を午後10時まで延長し、仙台城本丸から眺める仙台市都心部の夜景を中心とした夜間観光に注力[4]。
- 2006年(平成18年)
- 4月6日:日本100名城(8番)に選定。
- 2008年(平成20年)
- 仙台・宮城デスティネーションキャンペーンを契機に、土井晩翠銅像前における「荒城の月」自動演奏を一日3回から10回(9:00-18:00まで1時間毎)に増加。仙台城本丸の伊達政宗騎馬像および石垣を日没から午後11時まで通年でライトアップ実施。これに合わせて、本丸にある有料駐車場(昼間普通車400円/時間)を18:00~翌8:00は夜間無料開放[5]。
- 2011年(平成23年)
- 3月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で石垣、脇櫓(隅櫓)の一部が崩壊[6]。
- 2022年(令和4年)
- 3月16日:福島県沖地震により石垣の崩落や政宗像が損壊するなど被害を受けた。
構造
初代伊達政宗期に造営された青葉山の本丸、西の丸、二代伊達忠宗期に造営された青葉山山麓の二の丸、三の丸(東の丸)と、それに付随する櫓、門からなる。広瀬川を城の防衛線としている。
本丸
石垣の北面に入り口である詰門(つめのもん)があり、本丸の中央に中核的な施設である本丸御殿、周囲には、詰門両脇に2基(西脇櫓・東脇櫓)、北東部には1基(艮櫓)、眺瀛閣の南に1基、計4基の3重櫓、1基の二重櫓、多門櫓などが建ち並んでいた。本丸御殿は北側に公式な御殿である大広間、南側に藩主の生活空間である奥御殿が配置されていた。430畳の大広間は金碧障の壁画で飾られ、聚楽第の大広間と類似した設計であった[7]。大広間には藩主が座する上段の間の上に将軍専用の上々段の間があり、将軍が訪れたときにのみ開かれる御成門まで準備してあったが、最後まで訪れることはなかった。だが近年、青葉城資料展示館の学芸員である大沢慶尋氏は御成門は一度だけ1611年にスペイン王国大使としてビスカイノが御成門を訪れ、伊達政宗がビスカイノに上段の間へ譲らせて伊達政宗自ら下段の間に座って迎えたのではないかという説を提唱している。
大広間の東側には清水の舞台のように崖に迫り出すように作られた懸造の眺瀛閣(ちょうえいかく)があり、仙台の城下を一望できた。1639年(寛永16年)の二の丸御殿の完成後は本丸が使われることは少なかった。
仙台城は2003年(平成15年)に国史跡となっているが、2012年(平成24年)に本丸跡の一部が国史跡に追加指定された。
本丸北東部に位置する艮櫓(うしとらやぐら)を復元する計画があったが、石垣保存問題と国の史跡指定地であることなどを理由に2003年に中止となった。
本丸に自家用車や観光バスなどで来た場合は裏側にある埋門(うづみもん)跡から入ることになる。
西の丸
現在では宮城縣護國神社がある。
二の丸
二代藩主伊達忠宗により造営。1638年(寛永15年)5月4日着工され、翌1639年(寛永16年)12月に落成。以後明治に至るまで藩政の中心であった。二の丸の正門である大手門を入りその奥の詰門を抜けると、藩主が住む御殿、能舞台、庭園などがあった。二の丸の規模は東西310メートル、南北200メートル。
明治に至り、1869年(明治2年)に勤政庁が置かれ、1871年(明治4年)に東北鎮台(後の陸軍第二師団)が置かれた。1882年(明治15年)9月7日、追廻で行われた西南の役(西南戦争)戦没者招魂祭の花火が不発のまま落ち、その火災により、表舞台楽屋以外の二の丸遺構はすべて焼失。残った表舞台楽屋も戦災で焼失。現在は東北大学川内キャンパス(川内南キャンパス)となり、文系学部(文学部、経済学部、法学部、教育学部)が入る。
仙台城は2003年(平成15年)に国史跡となっているが、二の丸についても2010年(平成22年)に一部が国史跡に追加指定されている。
大手門
楼門型式の櫓門で、桐や菊紋をかたどった飾り金具などが施されていた。名護屋城の大手門を移築したものと伝えられているが、実際は名護屋城大手門を模したという意味の「写した」を「移した」と勘違いしたものではないかともいわれている[8]。大手門は二の丸の正門であった。1931年(昭和6年)に脇櫓と共に国宝に指定されたが、仙台空襲により焼失。
脇櫓
大手門隅櫓ともいう。大手門と共に1931年(昭和6年)国宝に指定されたが、大手門と共に戦災により焼失。1967年(昭和42年)に民間の寄付により外観復元され、現在は唯一復元された建造物である。しかし令和2年の調査で焼失前の物とは形状が異なる事が分かり大手門の再建と一体的に焼失前の形に再建されることになった[9][10]。
三の丸
仙台藩の米蔵があり、二の丸造営時に造られたと考えられている。正確な造営時期は不明であるが、古くは東の丸とも呼ばれていた。現在は仙台市博物館がある。
石垣
切込接と呼ばれる積み方を用い、隅石表面は、「江戸切」と呼ばれる技法によって加工されている。本丸石垣の修復工事(1997年(平成9年)から2004年(平成16年))の際の発掘調査によって、時代の異なる2つの石垣が現石垣中から見つかっており、過去に地震によって崩落したことが確認された。最も古い石垣は政宗の時代のもので加工しない石を使った野面積であった。積み直しでは元通りにするのではなく新しい技法を採用してより頑丈な石垣を目指していたと思われる。
政宗が死際に「この城は泰平の世には向かん。わしが死んだら修築しろ」と家臣や忠宗に言い残したという逸話が残っている。
考古資料
城郭遺構
現在、仙台城址は青葉山公園として整備されているが、二の丸が東北大学川内キャンパス、三の丸が仙台市博物館としてそれぞれ利用されている。本丸から三の丸にかけて石垣および土塁が現存し、三の丸には長沼および五色沼と呼ばれる水堀が残る。馬場の跡地については川内追廻を参照。
太鼓塀については明治以降のものか江戸期のものか判断が分かれるところである。
城内に残された建造物は第二次世界大戦頃までにすべてが失われたが、寅の門が宮城県知事公館の門(県指定有形文化財)として移築され現存する。この門は以前は二階建ての楼門形式であった。また、本丸搦手の辰ノ口門が満興寺山門として、山門が孝勝寺山門として[11]、二の丸勘定所の板倉と伝えられる建物(県指定有形文化財)が宮城野区岩切の民家[12]に移築現存する。
この他、勾当台地区にあった藩校養賢堂正門が、泰心院山門(市指定有形文化財)として移築され現存する。
古代遺構
仙台城の遺構ではないが本丸跡や二の丸跡で実施された発掘調査で、縄文土器、石器、弥生土器が出土している。また、発掘調査で二の丸跡西側には平安時代に窯があった可能性が指摘されている。
復元
大手門脇櫓再建
1964年(昭和39年)に、民間の寄付を募って大手門脇櫓が復元された。これが江戸時代の姿を示す唯一の建築である。向かいに石垣があるため、脇櫓と石垣の距離をもって往時の大手門の大きさをしのぶことができる。脇櫓を復元し仙台市に寄付した期成会は、次に大手門の復元を計画したが、資金と用地の問題があって果たせなかったが老朽化した為、2036年までに大手門とともに木造復元される予定である。
本丸北壁石垣修復
1990年代になると本丸の石垣崩落のおそれが出てきたため、石垣の状況をモニターするセンサーが取り付けられた。その後、1998年度から2003年度までの工期で石垣の解体修理が実施された。この修理は、元の石材一つ一つに番号を付け、可能な限り保存を優先して行われた。この過程で、3期にわたる石垣の存在が確認され、過去に数度の修復が行われていたことが分かった。
工事終了後、本丸北東隅にあった艮櫓(うしとらやぐら)を復元する計画であったが、石垣調査によって、艮櫓は第三期石垣の上には存在しなかったことが判明した。第一期と第二期の石垣は第三期の石垣より後ろにひっこんだ位置にあるため、復元しても櫓が下から見えなくなり、景観も合わない。さらに、櫓の基礎工事が貴重な遺跡である石垣の基礎部分を破壊することになるという懸念も出てきた。城跡の市有地部分が国の史跡に指定されたことに伴い、史跡保存の意見が優勢となり、艮櫓復元は着工前の2003年5月に中止になった。
石垣修理の成果もあってか、東日本大震災とその余震においても、本丸の巨大な石垣は、大きな被害を受ける事はなかった。真下の県道は普段から交通量が多く、震災当時は交通が混乱し多くの車両や人で渋滞していたが、繰り返す余震にもかかわらず人的被害は出なかった。
本丸御殿の中心的な建物だった「大広間」の発掘調査が行われ、その成果を元に建物規模や部屋割りが地面に表示された。大広間は430畳もある大型の御殿建築である。大広間は取り外しのできる障壁画が現存している他、平面図と立面図もあるので復元の期待が持てる建物である。
大手門復元計画
仙台市教育委員会は2021年度から2038年度までの整備基本計画で大手門の復元を計画している。2021年度から基礎調査が行われる。昭和初期の写真と照合すると現在の再建された隅櫓と形状が異なる事が分かり大手門の再建と一体的に再建されることになった。
景観
現在、本丸は公園として整備され、石垣の端部には危険防止用の柵が設置されているのみである為、仙台市街の景観を広範囲に見渡す事が出来る。同時に、当時の藩都を囲む神社仏閣、河川を合わせた防衛施設の連携を垣間見る事も可能である。
現地情報
本丸の一部と三の丸および周辺地区は、市が管理する青葉山公園。それ以外の部分でも、各所有者が公共空地・緑地化している所が多い。仙台七夕祭りの花火大会の際には、二の丸の東北大学川内ホールの前庭が観覧場の一つになっている。目の前の河川敷で打ち上げられる迫力のある花火を、多くの祭り客が敷物を敷いて楽しみ、屋台で賑わう。
- 本丸
- 宮城縣護國神社
- 仙台城見聞館
- 二の丸
- 東北大学川内キャンパス
- 三の丸
- 仙台市博物館
- 馬場
- 追廻住宅
- 御裏林(城の水源であった御清水(おすず)や堀切跡などの遺構がある)
- 東北大学植物園
- 堀
- 五色沼、長沼
- 彫像・句碑
- 伊達政宗騎馬像(本丸)
- 愛知揆一像
- 土井晩翠像
- 荒城の月句碑
所在地
- 宮城県仙台市青葉区川内1番地
交通アクセス
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線・東北新幹線仙台駅下車。西口バスプール15番3より仙台市営バス(るーぷる仙台)で約22分「仙台城跡」下車、徒歩約3分。
- ※なお、るーぷる仙台は時計回りで市内の観光地を通っているので、仙台城跡→仙台駅前の所要時間は、約48分となっている。(るーぷる仙台を青葉山駅で下車し仙台市地下鉄東西線を利用するなどのルートの方が駅前へは早く戻れる)
- 仙台市地下鉄東西線国際センター駅下車。徒歩25分。
- 本丸の有料駐車場(普通車150台、400円/時間。観光バス1,200円/時間。バイク100円/日)
- 午後6時以降は夜間無料。
- 東北自動車道
参考画像
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仙台城の口コミ情報
2024年09月21日 デラーズ相模守フリート
仙台城
流石は政宗が居城と言ったところです。現在も色々と発掘調査も行っているので、また新しい説が出てくるかも?近くにある仙台城見聞館も見応えあります。
2024年06月28日 関白雲水
仙台城
本日、地下鉄「国際センター」駅から登城しました。途中、石垣工事、側道の除草等作業中でしたが、登城者を優先に対応していただきました。この場をお借りして感謝です。
2024年05月02日 篠沼大膳大夫義久
仙台城
言わずと知れた青葉城。仙台が一望ですし遠く太平洋まで。城下の河岸段丘の深さも凄いし、改めて城地としてここをえらんだのは凄いと思う。
2023年10月17日 尼崎城駿河守一口城主
仙台城
[下城編]8月15日、政宗公像を撮った後、政宗公像後方の本丸大広間も撮影(写真①②)。大広間付近の仙台城見聞館に入り100名城スタンプを押して館内を見学。見聞館内でビデオ鑑賞したり、仙台城の地形(写真③)や鳳凰図屏風(写真④)を見学して下城。帰路、仙台城鳥瞰図もあったので撮影(写真⑤)。巽門ルートで下って行くと道中に魯迅さんの胸像(写真⑥)や日本フィギュアスケート発祥の地の五色沼(写真⑦)がありました。大橋からお城方面を振り返ってみると本丸の石垣がよく見え仙台城は山と川に囲まれた堅城であることがよく分かりました(写真⑧)。
2023年10月17日 尼崎城駿河守一口城主
仙台城
[進軍編]8月15日仙台駅から地下鉄東西線で3駅目の国際センター駅から進軍。国際センターから坂を上がっていくと大手門脇櫓が見えてきました(写真①)。脇櫓(写真②)の横にはかつて大手門があったようです(写真③)大手門から仙台城本丸跡までは780mとあり歩行者は通行可能とあったので大手門ルートを進みました(写真④⑤)
本丸近くまで進んだとき壮大で迫力がある石垣が見えてきました(写真⑥)本丸に上がると見晴らしがよく仙台の街並みが見渡せました(写真⑦)
政宗公像はやはり大人気で沢山の人が記念撮影をされていましたが撮影待ちの人がいなくなる一瞬を撮ることが出来ました(写真⑧)📷
2023年10月15日 百華
仙台城
仙台駅から、るーぷる仙台という観光地をぐるぐる周っているバスに乗って行ってきました。
一回の乗車で一律260円。1日乗車券は630円で、施設の割引きもあります。20分間隔でバスが来ますが、時間より遅れて来ることもしばしば。
今の時期、金曜でしたが結構混んでいて、バスが満員で乗れない、次のに乗って下さい。という事もありました。時間に余裕をもった方がいいと思います。
一方方向にしか周ってないので、仙台城行く前にぜひ瑞鳳殿を見てみるのもいいと思います。
(階段が結構あるので見るのに1時間くらいかかりますが…ぜひ!)
後このバスは、仙台城の目の前で降ろしてくれます。
スタンプは像の反対側の小さな建物の中にありました。
2023年09月03日 かつアニぃ右兵衛督
仙台城
敢えて天守を作らなかったと言われている仙台城。でも小高い丘の上に聳える伊達政宗の騎馬像に辿り着くまでに連なる壮大な石垣には圧倒されました。私の場合運動不足が主因でしょうが、てっぺんまで行くのに息が切れました。
好天にも恵まれ、キチンとリア攻めできてよかったと思いました。
2023年08月12日 黄金船兵部卿
仙台城
本丸跡からの眺めは素晴らしいです。メジャーな城なので、人はいっぱい。
2023年05月27日 流浪安房守
仙台城
祝騎馬像復活。修復されて良かった!政宗公!
2023年03月04日 寛兵衛右近衛大将
仙台城
昨年3月の地震で仙台城の騎馬像は未だ修繕中です。
2023年02月23日 ホーリー中務大輔
仙台城
政宗公銅像修理中。その他もいろいろ修理中。天気が良くて良かったです
2023年01月09日 HAL2000壱岐守
仙台城
2023年1月の状況では、野面積みの石垣が地震の影響で崩れる危険があるので近づけないようになっている箇所がありました。修復された箇所も。政宗さんも地震で傾いてしまったとか。東北地方で頻発する地震にも乗り越えて、これからも立派な姿を見せてください。
2022年10月23日 豆姐
仙台城
政宗公は参勤交代で江戸にいらっしゃるでござる。来年春帰郷されるとのこと。
2022年10月19日 山城守さとぴ~
仙台城
現在、伊達政宗公騎馬像は修理中です。代わりに工事の足場幕にプリントされたものが掛かってます
2022年07月06日 panapit壱岐守
仙台城
地震の影響で駅から近い道が封鎖されていました。迂回して山の裏側から入るルートで行きました。駅から歩いて徒歩で小一時間で城跡につきました。
2022年06月20日 下総守イッシーだ 三成
仙台城
伊達政宗像は リニューアル中だったけど、そこから見える景色が良かった
2022年03月20日 RED副将軍
仙台城
伊達政宗公の本拠地で、仙台のシンボル。
3月16日夜の地震にて西石垣が崩落し、伊達政宗騎馬像も馬の足が破断し傾いてしまいました。
被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
日本100名城
1600年に伊達政宗によって築城。
二代藩主の伊達忠宗は山麓に二の丸を造営し、二の丸が幕末まで藩政の中心として機能していました。
1882年に火災により焼失し、二の丸は東北大学川内キャンパスに、三の丸は仙台市博物館に改変されています。
見所
本丸北面の切込接による美しい高石垣は圧巻です。高さ最大約17m、全長約179mと長大なもの。
当初の大手は三ノ丸巽門~清水門~沢門との説もあり、古い野面積みが残っています。
建物は全て焼失しましたが大手門の脇櫓のみ再建されています。
有名な本丸にある伊達政宗騎馬像は二代目で、仙台市博物館の庭に初代もあります。
2021年12月26日 源五郎
仙台城
雪が降り、早い時間に行ったので、ほとんど人がいませんでした。ただ、寒いので、防寒はしっかりしてお出かけくださいませ。資料館の館内ミニシアターを家族だけで楽しんできました。
2021年12月22日 陸奥守新九郎
仙台城
暗雲立ち込める仙台青葉城 本丸の石垣は見事な反り返し✨国際センター駅から歩き、石垣を眺めつつの登城がオススメでふ。
2021年12月19日 みやしう大蔵卿
仙台城
国際センター駅近く・東北大学に向かう扇坂も見逃せません!
2021年10月31日 目白伊勢守鷹三
仙台城
仙台市博物館は令和6年3月まで休館となっていました。
2021年08月12日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
仙台城
【バイク駐輪場情報】
バイクですが、青葉城駐車場に駐める事ができます。前払い制で1回200円です。駐める場所は、係の兄ちゃんに『鳥居前に駐めて下さい。』と言われたけど、鳥居前は駐めるスペース無かったので、鳥居横の自販機と案内図の間に駐めました。
2021年07月26日 南部陸奥守勝牛
仙台城
東北城攻めイベントのため、車で訪れました。15年前に訪ねた際は、二の丸周辺や市立博物館に行ったので、今回は本丸限定で。南側埋門虎口で駐車受付をして、本丸内部に駐車。宮城県護国神社に参詣し、仙台城資料展示館で今回の連休から始まったVRをレンタルして、本丸を巡りました。北側詰門から見事な北壁石垣を堪能、広瀬川沿いの断崖を実感して、政宗公騎馬像へ。資料展示館で上映を見て満足できました。100スタンプは、仙台城見聞館で。御城印は護国神社と土産店にあります。ついでに政宗公墓所瑞鳳殿にもどうぞ。
2021年06月22日 下総守藤次郎
仙台城
伊達政宗公胸像は有名ですが、仙台市博物館の伊達政宗公胸像は人も少なく伊達政宗公との時間がゆっくり過ごせます。
仙台市博物館では有名な伊達政宗公や片倉景綱様の肖像画や胴具足などが撮影(フラッシュ禁止)できます。大手門脇櫓や支倉常長公も見逃してはいけません。るーぷる仙台でいきなり伊達政宗公騎馬像のある青葉山山頂に行かず、まずは麓の仙台市博物館周辺を楽しみましょう。
2021年6月20日撮影
8枚同時にアップしたら順番がバラバラになりました。
(仙台市博物館博物館は古代エジプト展開催で常設展が閉鎖、次の常設展は9月7日から)
2021年05月29日 ジャック蔵人頭ママ
仙台城
雨の中、はるばる仙台城へ 見応えのある石垣 見晴らし抜群の眼下に広がる城下町(バーチャル) 力強いさの伝わる伊達政宗公の騎馬像 素晴らしい城跡でした。
2021年05月15日 nob3i
仙台城
仙台駅から走って3km強。青葉城恋唄でも唄われた広瀬川の向こうに青葉城は聳えています。走りがいのある登り坂を登るとそこには、すばらしい高石垣。
登り切ると伊達政宗像と仙台市街を一望できるすばらしい景色が楽しめます。
100名城スタンプラリーは17時までですので、ご注意ください。私は10分遅刻で残念ながら😭
2021年04月19日 masa左近衛少将
仙台城
今現在コロナでバスが運休してます地下鉄国際センターから歩いて行くしかありません
2021年02月14日 刹那F精鋭渡島守【元親】
青葉城資料展示館[仙台城 関連施設]
新型コロナウイルス感染予防対策として休館しています。御城印は本館2階で販売中です。
2020年10月13日 萌魏太閤叡声
仙台城
本丸からの景色は、雄大。伊達政宗の騎馬像も必見ポイント。歴史的背景は、仙台城見聞館(無料)や青葉城資料館(有料)で学習できる。
2020年09月30日 まんま
仙台城
本丸会館と神社の御城印は、別物なので集めている人は、要注意!
2020年09月20日 KAZ右大臣正勝
大崎八幡宮[仙台城 寺社・史跡]
慶長12年に政宗公によって造営されました
僕が訪問した際は、本殿の半分が修繕工事中で、残念でしたが、それでも煌びやかな
伊達文化っすね(^-^)
2020年09月20日 KAZ右大臣正勝
政宗公灰塚[仙台城 寺社・史跡]
大願寺本堂の後ろに位置し、堀と土塁に守られてます。遺言にしたがい、経ヶ峯に埋葬後棺を焼いた灰を埋めて塚を築き連日法要を行ったとの事です。
2020年09月20日 KAZ右大臣正勝
愛馬五島供養碑[仙台城 碑・説明板]
政宗公愛馬、五島(ごとう)が転落したと
される所で、お稲荷様が祀られてます。
政宗公が大阪夏の陣に出陣する際、五島に
『この度の戦は長旅となる。そちも老齢故、留守を申し付ける』と気遣いされたらしい
ですが、五島は、もうお役に立てないのだと
悲観して、飛び降りたと言う事です(T-T)
この場所だと、かけ造りの南側の井戸あたり
から、転落したと…
水飲みに連れて行ったら、暴れたのでしょうか?(>_<)
2020年09月17日 水野山城守祐利【7】
仙台城
大手門から八木山に抜ける道は、震災による石垣復旧の前まで通行止めでしたが、現在は通れるようになりました。しかし、歩道はなく細い道のわりに交通量が多いので、良い子は大手門から城内の散策を行ってください。
また、仙台城址南バス停を通る八木山公園駅行きのバスの本数がだいたい一時間に一本なので、注意が必要です。
仙台城本丸辺りは周囲が深い森なので、熊なども目撃されているそうです。
16:00を過ぎると土産物屋さんも閉まるため、明るいうちに散策を終え国際センター側に降りるのが(バス便も多いので)よさそうです。
2019年09月14日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
酉門跡・酉門石垣[仙台城 遺構・復元物]
通常非公開エリアの仙台城本丸酉門跡内部。2017年11月の仙台城歴史探訪会の際に、仙台城ボランティアガイドさんの案内で内部に入って撮影したもの。
2019年10月26日(土)午後開催予定の「ニッポン城めぐり仙台オフ会」において、仙台市文化財課の担当職員による案内で、仙台城本丸北西石垣内部~酉門跡内部も見学予定です。酉門跡内部に入れる絶好の機会です。ぜひこの機会に、非公開エリア内部に足を踏み入れ、ご自身の眼に焼き付けるのはいかがですか?
詳しくは、イベント情報か、自分のプロフィールをご確認ください。
2019年06月13日 わる爺陸前守
残月亭跡[仙台城 寺社・史跡]
二の丸より少しだけ高い位置に茶室があった。五代吉村が建てたもので政宗期の残月亭跡は特定されていない。
2019年06月13日 わる爺陸前守
堀切[仙台城 遺構・復元物]
東北大学植物園のコース⑧が堀切り跡。野鳥のコーラスが心地よく癒されるプレース
2019年06月13日 わる爺陸前守
切り通し[仙台城 遺構・復元物]
東北大学植物園からアクセスは裾の一部分だけ雰囲気を味わえます。この先非公開。
2019年06月02日 わる爺陸前守
伝捨て曲輪[仙台城 遺構・復元物]
攻め入る敵に町方や足軽は一目散に馬場へと向かう。陣を構えた敵を見下ろし政宗がほくそ笑む。「今だ!!堰を切れ!!」解き放たれた広瀬川の流れは怒涛の如く曲輪を敵もろとも飲み込み、その瞬間、誘いの陣地の役目を果たした。
2019年06月02日 わる爺陸前守
馬場[仙台城 遺構・復元物]
騎馬用の馬が飼育されスクランブル発進に備えた。
2019年06月02日 わる爺陸前守
登米伊達家屋敷跡[仙台城 寺社・史跡]
延宝の頃から大手(撮影地)下には登米伊達家が屋敷を構えていた。写真の塀の先がその地
2019年06月02日 わる爺陸前守
酉門跡・酉門石垣[仙台城 遺構・復元物]
道路から侵入不可の為詳細ご案内出来ません。
2019年06月02日 わる爺陸前守
懸造跡[仙台城 遺構・復元物]
広瀬川を見下ろす崖に清水寺本堂の舞台と似た数寄屋風書院造の建物があった。
2019年06月02日 わる爺陸前守
青葉城資料展示館[仙台城 関連施設]
入口に石垣石の割り方を説明する見本石がある。
2019年06月02日 わる爺陸前守
埋門跡[仙台城 遺構・復元物]
防御の要桝形構造が舗装路となっても解る。
2019年06月02日 わる爺陸前守
井戸跡[仙台城 遺構・復元物]
フェンスのくの字付近右手側に井戸跡があり今は発掘調査後埋め戻されている。
2019年06月02日 わる爺陸前守
石垣モデル[仙台城 碑・説明板]
築城期の石垣の構造が再現されています。
2019年06月02日 わる爺陸前守
本丸御殿跡[仙台城 遺構・復元物]
発掘調査の結果を基に礎石は復元された。並ぶ礎石の崎(青葉が崎)には政宗騎馬像。
2019年06月02日 わる爺陸前守
仙台城見聞館併設トイレ[仙台城 トイレ]
男女入口は別
2019年06月02日 わる爺陸前守
詰門跡[仙台城 遺構・復元物]
朝日を浴びる詰門跡の東石垣。門は左右に三重の脇櫓を抱える。
2019年06月02日 わる爺陸前守
本丸北壁石垣[仙台城 遺構・復元物]
青葉城最大見せ場。夜間のライトアップもある。
2019年06月02日 わる爺陸前守
中門跡[仙台城 遺構・復元物]
大手門から本丸への守りの要
2019年06月02日 わる爺陸前守
沢門跡[仙台城 遺構・復元物]
中門と沢門が曲輪を結ぶ重要戦略地
2019年06月02日 わる爺陸前守
清水門跡[仙台城 遺構・復元物]
三の丸から沢門の区間に設けられた二重門があったとされている。石垣あり
2019年06月02日 わる爺陸前守
政宗胸像[仙台城 碑・説明板]
初代騎馬像が徴用から逃れココに再起
2019年06月02日 わる爺陸前守
巽門跡[仙台城 遺構・復元物]
昭和59年発掘調査から礎石14個や雨落溝が見つかり復元
2019年05月09日 織田上総介晃司
仙台城
本丸の駐車場に停車。
とにかく規模がでかい。広瀬川に架かる大橋のたもとにも仙台城の遺構が有るくらいである。
仙台に行けばどうしても食べたいのは牛たん。外せません。
お土産に「ずんだ餅」「萩の月」「仙台駄菓子」など、目移りするくらいのラインナップです。
仙台城に行ったのはGW真っ只中の5月2日
当然人も多く、♪大手門の前でも 車は長い列さ〜
にも関わらず奇跡の写真が撮れました。
その中でも最高の奇跡は二の丸の石垣越しの大手門隅櫓の写真。
隅櫓の横にも車が止まっていたのだが、車高の低い車だったので隠す事ができた。
これがミニバンだとどうしても写ってしまうとこだった。まさに奇跡!
2018年01月26日 源山城守@ポンコ2…㉔㉕
仙台城
積雪ありましたが、地下鉄国際センター駅から歩いて登城しました。
駅を出て大通を城側方向になだらかな坂を登ると、復元された城壁、大手門脇櫓が見えます。城壁と脇櫓の間に戦災で焼失した伝名護屋城移築の二層の大手門跡は、大規模な門だったことがわかります。
大手門跡から本丸跡へ、車道脇歩道の坂を進むと中の門跡の石垣があり、その先には、子の門跡~清水門跡~沢門跡など続きます。沢門跡から博物館に向かう下り坂があるも未踏で踏込むと膝下まで雪に埋もれ、そこは断念。本丸目指して登ると本丸艮櫓の高石垣が出迎えてくれます。昨年正月の「日本の城」でこの石垣算木が磨き上げられたと知りましたが、雪へばりつき確認できませんでした。
少し登ると、本丸詰の門(護国神社鳥居)、その両側に脇櫓があった石垣は存在感を放ってます。本丸は神社やお馴染の政宗公像、屋敷跡配置などがありますが、ここから一望できる景色が素晴らしかったです。門の数、断崖など堅固な守りが感じられました。
駒回しの紐を巻いた革靴で雪道も滑らず、徒歩25分くらいで登城できました。本丸内は広く、ここを歩き回ると30分くらいすぐに経ちました。
2016年12月26日 カーネル
仙台城
仙台駅から歩きました。麓の博物館が三の丸で、博物館北西には大手門脇櫓があるので寄ります
さらに、櫓の北西の二ノ丸を散策してから大手門に戻り、南の本丸へ向かって車道を登ると北壁石垣が迎えてくれます
本丸は広く市街の眺めはよいですね。あと政宗の銅像は見逃せません
護国神社にお参りしてから帰ります
元来た道を戻り、車道の途中にある沢門跡で右折して山道を進むと、築城当時の石垣を見学できます
さらに下ると博物館の三の丸です。博物館前のバス停からバスで仙台駅へ
歩いた時間は1時間半でした
2016年12月13日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
仙台城
三の丸にある仙台市博物館は、今年(平成28年)の12月28日から来年3月31日まで改修工事のため臨時休館になります。
この期間中は、仙台城に関する展示を見られる施設は、本丸にある仙台城見聞館(見学料無料)と、青葉城資料展示館(有料)のみですので、ご注意ください。
2016年08月24日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
仙台城
駐車場がありました。
私は車派なので車でいきましたが、あえて城内には停めず場外の駐車場停めて坂を上り石垣を見ながら行くのがよりベターな方法ですね。
決行な距離登りますが、そうした事でより満喫出来ました。
近隣情報:仙台のお奨めは言わずと知れた牛タン。
2016年02月29日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
仙台城
約3年前に口コミで紹介されていた仙台城跡というパンフレットは、昨年秋にはカラー版の在庫がなくなり、モノクロコピーになっていました。
その代わりに、伊達政宗公騎馬像や平面復元された本丸大広間跡そばにある無料のガイダンス施設「仙台城見聞館」に置いているパンフレットには、仙台城見どころマップがカラーで掲載されています。
また、仙台市博物館ミュージアムショップでは、仙台市博物館発行の『仙台城ポケットガイド』が最近発売されました(A5判全64ページ、税込540円)。
仙台城跡の本丸・二の丸・三の丸について、発掘調査や研究成果などの成果も盛り込んであり、江戸時代の絵図や古写真のほか、遺構の写真、地図などを多く用いてられていて、わかりやすく書かれています。
本丸北西石垣石垣修復解体工事によって明らかになった石垣の変遷のほか、廃城後のようす、仙台城下や若林城、仙台城から移築されたと伝わる市内の建物や仙台城モデルコースも載っていました。
仙台城をめぐる際の参考にしていただければと思います。
2015年12月05日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
仙台城
関ヶ原合戦後に築かれた城では江戸城に次ぐ広さで、もともと天守は存在せず、櫓や門も現存しておりません。
模擬天守もなく、江戸年間も数度の地震で被害を受けたため、再現されているのは二の丸の隅櫓と本丸大広間の平面表示、石垣・土塁のみです。廃城後のウソをついていない本当の姿を示しています。仙台市の文化財保護のスタンスであり、公共交通網の整備と、復興・復旧が優先され、他の城よりも再現・復元が遅れています。
1時間程度で仙台城本丸のみの見学や、百名城スタンプラリー、天守好きの方向けには難易度は高く、山城好きか上級者向け、本当の城好き向けです
2時間程度かけて、ぜひ仙台市博物館入口となる、三の丸の子の門跡土塁→巽門跡礎石→清水門跡石垣→本丸北西石垣→酉の門石垣→本丸跡→埋門と合わせて徒歩の見学をオススメします!
〈逆コースで下るのでもかまいません〉
☆ガイドボランティアの活用するのも一つの手段です、他にもたくさん穴場がありますので、お知りになりたい方はリア攻め1週間から数日前に、自分まで密書か伝言いただければ、見所をご紹介いたします。日程が合えばご案内することも可能です。
2015年12月02日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
仙台城
2015年12月6日(日)からの仙台市営地下鉄東西線開業に伴うアクセス情報
二の丸→三の丸→本丸を徒歩で登城をオススメします。
<地下鉄東西線でのアクセス>
①国際センター駅…広瀬川の上を渡ります。
・仙台市博物館・三の丸まで徒歩約8分
・仙台城本丸跡までは三の丸から徒歩で約15〜20分
・本丸のみどころ…伊達政宗騎馬像、仙台城下の眺め、本丸大広間平面復元、仙台城見聞館、青葉城資料展示館のCG鑑賞、懸造跡などの遺構
②「八木山動物公園駅」もしくは「青葉山駅」
仙台本丸埋門そばの「仙台城南」バス停からは、竜ノ口渓谷を渡る八木山動物公園駅行きで「八木山動物公園駅」から、もしくは青葉台・成田山行きのバスに乗り、「青葉山駅」から地下鉄東西線を利用することになります。1時間あたり1〜2本運行です。
※「八木山動物公園駅」は日本最高地点の地下鉄駅になります。青葉山駅に行くまでに、高さ約50mの竜ノ口渓谷の上を渡り、天然の要害を実感でき、秋の紅葉時の眺めもいいと思います。動物園と映画『俺物語!!』のロケ地の遊園地「八木山ベニーランド」そばです。
2015年12月01日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
仙台城
2015年12月6日(日)始発から仙台市営地下鉄東西線が開業します。仙台城へのアクセスが大きく変更されますので、ご注意を
<バスでのアクセス>
①るーぷる仙台のルートは変更ありませんが、一部地下鉄駅名付近のバス停名称が変わります。
伊達政宗公関連施設最寄りのバス停には変更なし。
・仙台城本丸跡⇒「仙台城跡」…詰門跡前の護国神社石鳥居前
・伊達政宗公の廟所『瑞鳳殿』⇒「瑞鳳殿前」
・仙台市博物館・三の丸⇒「博物館・国際センター前」
・大崎八幡宮⇒「大崎八幡宮前」
*一回乗車:大人260円
*るーぷる仙台のみ一日乗車券:大人620円
*るーぷる仙台・地下鉄共通乗車券:大人900円
※小人は半額。
②仙台城本丸付近から仙台駅前に行く直通路線バスはなくなります。バスだけで移動する場合は、るーぷる仙台のみになります。
るーぷる仙台に乗り、地下鉄東西線の「青葉山駅」・「国際センター駅・宮城県美術館前」で地下鉄東西線に乗り換える方法になります。
2015年11月08日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
仙台城
仙台城には伊達政宗騎馬像と高石垣以外何もないと酷評されていますが、今年春に仙台城本丸大広間の遺構表示が完成しました。
伊達政宗騎馬像と仙台城見聞館の間にあります。
廻縁や各部屋ごとに、床の畳敷や板敷の状態に合わせて色分けされていたり、部屋の名称や広さも床面に表示されています。
藩主が座った『上段の間』と、天皇が下向されたときに迎える『上々段の間』の礎石は、発掘調査で出土した礎石をそのまま利用し、それ以外は似た素材を使って模しています。
大広間の縮小模型や『上段の間』の床を原寸で復元したものは、仙台城見聞館(無料、百名城スタンプ設置場所)にあります。写真は私の投稿写真でご確認を。
斜め上空から撮影した写真は仙台市のHPに掲載されています。
仙台市教育局文化財課HP「仙台城本丸大広間の遺構表示が完成しました」 で検索して、見つからないときは伝言板へ書き込みください。
来月6日に地下鉄東西線開通予定ですので、アクセスも変わると思います。
2015年10月24日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
仙台城
仙台市博物館(三の丸[東丸]に所在)・秋の催し情報
☆特別展(一般観覧料:1,100円)
「宇和島伊達家の名宝ー政宗長男・秀宗からはじまる西国の伊達」(〜11/23)
歴史姉妹都市締結40周年を記念しての開催です。記念講演会は終了しましたが、四国まで行けなくてもこの期間だけ宇和島藩に伝わる名宝が見られます(期間中、一部展示替えあり)。
☆常設展2015秋(常設展観覧料が必要ですが、特別展観覧料でも見られます。)
「片倉家特集ー景綱没後400年」(〜12/13)
伊達政宗の名参謀片倉小十郎景綱没後400年にちなんで、関連資料で足跡を振り返れます。また、大坂夏の陣で真田隊と激戦し、幸村の娘を預かりその息子を養子に迎えた、二代重綱所用と伝わる『黒漆五枚銅具足』も展示されます。
⇒詳細は仙台市博物館HPで確認を
2015年08月22日 永眠武蔵守釋 葱進
仙台城
るーぷる仙台という観光客向け循環バスを使うと本丸近く(仙台城跡バス停)まで連れてってもらえます。
また、ひとつ手前の博物館・国際センター前バス停で降り遊歩道で登城すれば、大手門脇櫓~中門跡~本丸北壁石垣を見ながら本丸まで行けます。昇り坂に抵抗ある方は下りだけでもお試しを。
るーぷる運行時間外(9時以前16時以降)なら、路線バスで仙台城跡南バス停(埋門跡近く)または博物館・国際センター前バス停(るーぷると同じ)へ行くことになります。
2015年03月02日 てっかどん右京進
仙台城
道路が開通して、高石垣や桝形を見ることができます。
歩道も、整備されていて歩きやすいです。
今は、本丸の工事を行っています。
青葉城資料展示館は分かりやすくてよかったです。武将隊にも会えました!
2015年01月18日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
仙台城
リアル城攻めを考えている方々へのお知らせです。
三の丸にある仙台市博物館は館内改修工事および国連防災世界会議開催に伴い、平成27年3月末まで全館休館予定です。また本丸跡にある仙台城見聞館は1/19〜2/26まで館内改装のため休館です。
東日本大震災で被災や変形した城内の石垣等の修復は、本丸北西石垣を残すのみで今年度中に終了予定です。この間に大手門跡か ら本丸跡までの登城路もかなり整備されました。
仙台城本丸跡では昨年10月から今年3月中旬までの予定で大広間跡の遺構整備が行われています。発掘調査等の研究成果に基づいた大広間建物の平面表示と解説板の設置です。それに合わせて仙台城見聞館の内部が改装され,仙台城本丸大広間の50分の1復元模型や、藩主が座った上段の間が再現されるとのこと。
伊達政宗騎馬像や仙台市街地の眺望は従来通り見ることができますし、護国神社そばにある青葉城資料展示館は営業されています。展示資料や模型等で伊達政宗や仙台城について知ることは可能ですし、特に仙台城下の町並みや豪華絢爛な本丸御殿の内部を復元しているCG映像は大変素晴らしく,一見する価値があります。
2013年08月10日 権中納言ロドリゲス【☘️】
仙台城
左胸に「奥州筆頭」背中に「独眼竜」とデザインされたクールなTシャツがお土産屋さんに売っていたので勝っちゃいました
2,100円也。
2013年02月26日 野舘宮内少輔サラマンダー
仙台城
2013年2月22日6時(330分)
国分町から大橋迄30分、仙台城と思われる山が見えて来ます
子門跡を通って三の丸、博物館
敷地内は入れるので政宗公の胸像を拝見
巽門跡→清水門跡→沢門跡と通りましたが、坂道で雪があるので注意です
大手門の道に合流
少し歩くと本丸の高い石垣が見えます
本丸裏の道は石垣が崩れて通行止め
鳥居をくぐって進むと、政宗公が…
施設は9時から…
トイレあり
駐車場は有料
るーぷる仙台バス停あり(石垣崩落で迂回)
天守台は入れず
下りは沢門跡を直進、中門跡でも石垣の修復中
再建された脇櫓が見えてきたら大手門跡
仙台市博物館の政宗公の鎧は常時展示ではないのでご注意
その代わりレプリカがあり触れます
また、仙台城跡というパンフレット、お薦めです
瑞鳳殿へは歩いて20分
るーぷる仙台バスは、道が一方通行
仙台駅→瑞鳳殿→仙台市博物館→本丸という道が良いかと
城跡だけなら2時間あれば十分回れると思いますが、雪にはお気を付けください
2012年08月17日 yucky
仙台城
地震で石垣が一部崩落してしまっているため、車の場合はかなり迂回しなければならないようです。
2011年03月20日 tomm加賀守
仙台城
今回の地震で、市バス停留所「仙台城跡」西側二カ所の石垣が崩れ、隅櫓の南側軒先が崩落、土塀の一部も剥がれ落ち灯籠なども崩れたそうです。
2011年02月28日 伊達雅楽助あいり
仙台城
伊達政宗公の騎馬像を写真におさめるには午後は逆光になりがちなので午前中がおすすめです
2010年09月25日 徳川内大臣源朝臣康武
仙台城
本丸にある青葉城資料館は有料ですが、本丸石垣の解体修理の成果を公開するガイダンス施設、仙台城見聞館は無料です。
2010年09月10日 ️
仙台城
~続き~
仙台城の酒蔵で醸造された酒の種類は夏氷酒、忍冬酒、葡萄酒、印籠酒など余にも及んだと云われますが、中でも特筆すべきは印籠酒
この酒、ナント印籠に携帯できる粉末状の酒で、出陣の際も容易に携帯でき、いざ合戦という際に飲用すれば興奮剤としての効能も期待できたという優れ物です
いかにも進取の気風に満ちた政宗らしいエピソードですが、惜しいことに印籠酒の製法は現代に伝えられていません
2010年09月10日 ️
仙台城
もうひとつ三の丸にまつわる小ネタを
前述の胸像の近くには仙台城の酒蔵跡があります
現在の日本酒の銘柄に「政宗」の名を冠する物が多いことが物語るように、実際の伊達政宗もかなりの左党だったようで、柳生宗矩の仲介で大和・榧森の又五郎を仙台に招き、清水門の南側に酒蔵を建て、御城御用酒を造らせました
~続く~
2010年09月10日 ️
仙台城
本丸に鎮座する伊達政宗の騎馬像は現在の仙台城を象徴するものですが、実は2代目なんです
岩出山の伝言板に記載したとおり、初代騎馬像は先の大戦の激化により召集令状が届き、台座のみが残されました
果たして初代騎馬像は「帰らぬ人」となってしまったのか
答えはNOです
三の丸の仙台市立博物館裏(脇?)にある政宗の胸像、これが召集による武器弾薬への転用から免れた初代伊達政宗騎馬像の「ご尊顔」部分なのです
ご来城の際は、是非チェックを
2010年06月11日 伊達雅楽助あいり
仙台城
青葉山という山にあるお城なので上りはるーぷる仙台という循環バスが便利ですが、ぜひ下りは徒歩で下りてみてください!遊歩道を道なりに下りれば櫓もありますし、途中仙台市博物館方面に別れる道にはいると石垣も見られるのでオススメです。仙台駅方面へは博物館・国際センター前のバス停から乗ると10分程度で到着します。
仙台城の周辺スポット情報
大手門跡(遺構・復元物)
巽門跡(遺構・復元物)
清水門跡(遺構・復元物)
沢門跡(遺構・復元物)
中門跡(遺構・復元物)
本丸北壁石垣(遺構・復元物)
詰門跡(遺構・復元物)
本丸御殿跡(遺構・復元物)
井戸跡(遺構・復元物)
巽櫓跡(遺構・復元物)
埋門跡(遺構・復元物)
土塁跡(遺構・復元物)
懸造跡(遺構・復元物)
酉門跡・酉門石垣(遺構・復元物)
二の丸跡(遺構・復元物)
御裏林(遺構・復元物)
五色沼(遺構・復元物)
子門跡(遺構・復元物)
長沼(遺構・復元物)
三の丸跡(遺構・復元物)
馬場(遺構・復元物)
伝捨て曲輪(遺構・復元物)
切り通し(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
最上古街道跡(遺構・復元物)
二の丸跡の杉並木(遺構・復元物)
三の丸東側土塁(遺構・復元物)
政宗銅像(遺構・復元物)
御成門址(遺構・復元物)
御成門礎石(遺構・復元物)
艮櫓跡(遺構・復元物)
東脇櫓跡(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
大手門脇櫓(遺構・復元物)
屈曲部の石垣(遺構・復元物)
扇坂(碑・説明板)
政宗胸像(碑・説明板)
石垣モデル(碑・説明板)
仙臺城鳥瞰図(碑・説明板)
仙臺城鳥瞰図現代版(碑・説明板)
寛文8・9年仙台城下絵図(碑・説明板)
どん・ふぃりっぽ・支倉の像(碑・説明板)
愛馬五島供養碑(碑・説明板)
史跡仙台城跡(碑・説明板)
本丸北壁石垣(碑・説明板)
茂ヶ崎城(周辺城郭)
片倉小十郎屋敷跡(寺社・史跡)
水沢伊達家屋敷跡(寺社・史跡)
造酒屋敷跡(寺社・史跡)
登米伊達家屋敷跡(寺社・史跡)
瑞鳳殿(寺社・史跡)
残月亭跡(寺社・史跡)
政宗公灰塚(寺社・史跡)
大崎八幡宮(寺社・史跡)
寺町(寺社・史跡)
陸奥国分寺跡(寺社・史跡)
松森煙硝蔵跡(寺社・史跡)
1階売店(御城印)
宮城縣護国神社(御城印)
仙台城見聞館展示コーナー(スタンプ)
100名城スタンプ(スタンプ)
仙台城見聞館併設トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
仙台市博物館駐車場(駐車場)
青葉城資料展示館(関連施設)
仙台城見聞館(関連施設)
伊達政宗騎馬像(その他)
仙台藩御用酒発祥の地(その他)