北目城(きためじょう)

北目城の基本情報

通称・別名

所在地

宮城県仙台市太白区郡山字館ノ内他

旧国名

陸前国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

粟野氏

築城年

寛正年間(1460〜1466)

主な改修者

主な城主

粟野氏、屋代氏、伊達政宗

廃城年

遺構

(発掘調査:障子堀跡)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

若林城(宮城県仙台市)[1.6km]
沖野城(宮城県仙台市)[2.0km]
今泉城(宮城県仙台市)[3.0km]
富沢館(宮城県仙台市)[3.3km]
国分鞭館(宮城県仙台市)[4.2km]
仙台城(宮城県仙台市)[4.9km]
高舘城(宮城県名取市)[6.2km]
小鶴城(宮城県仙台市)[6.9km]
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西館(宮城県仙台市)[10.5km]

北目城の解説文

北目城(きためじょう)は、宮城県仙台市太白区郡山にあった城。

北目城跡は、市の南部にあり、JR長町駅の南東約1.5kmに位置する。標高約9mの自然堤防上に立地し、面積は約128,000㎡である。

これまで道路建設や個人住宅建築工事などに伴い6次の調査が実施されている。縄文時代後期の竪穴住居跡や土坑、弥生時代と古代の水田跡が確認され、縄文土器や弥生土器、土師器、須恵器なども出土している。しかし特筆すべきは近世初頭の堀跡である。

この城は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの頃から仙台城に移るまでの、伊達政宗の居城として知られており、調査によって確認された堀跡もこの頃のものと考えられる。

堀跡は規模の大きな堀に小さな堀が複雑に取り付いているが、これらが同時にあったものか時期的な変遷を示すものかは不明である。大きな堀の規模は、上幅10~14m、深さ3mで長さは180m以上である。また堀の底には、複雑な段差に加え高さが1.2mにもなる「障子」と呼ばれる壁が築かれている。このいわゆる「障子堀」の出現は戦国時代にさかのぼり、敵の侵入を防ぐ役割を果たしたと考えられる。

出土遺物には、刀剣や伊達氏の家紋である三引両文(みつびきりょうもん)の描かれた漆器の椀、曲尺、わらじ、火縄銃の弾丸、16世紀後半から19世紀の陶磁器のほか、ヒトの頭蓋骨、ウマ、シカ、イノシシ、イヌ、ネコ、マグロなどの骨やクリ、クルミ、ヒシの実などがある。骨などの出土遺物は、食器類だけではなかなか判らない食物の種類などを知る上での直接的証拠であり、非常に興味深い遺物といえる。もちろん食料だけではなく、軍馬やペットといったものも含まれていると考えられ、その情報量は大きい。

また、一部に朱が塗られた建築部材の虹梁(こうりょう)も出土しており、城内の建物を推定する上で貴重な遺物である。このような調査成果によって、城の構造や居住した人々の生活が明らかになりつつあり、本市における近世初頭の遺跡として重要である。

参考文献 

・仙台市ウェブサイト「仙台市の遺跡」

情報提供:仙台市教育委員会


北目城の口コミ情報

2024年05月23日 ムサコ甲斐守
北目城



現地はオリックスレンタカーの駐車場で、看板がなければ城跡という感じは全然しません。JR長町駅から徒歩20分弱です。

2023年12月24日 陸奥守新九郎
北目城

もはや痕跡はほとんどありませんが、歴史の1ページを刻んだお城です

2023年04月15日 東北覇王聖役小角
北目城

現在は、石垣もなく、駐車場になっている所が多くあり、見るべき物もなし。残念!

2019年06月14日 わる爺陸前守
毘沙門天王[北目城  寺社・史跡]



北目城を語る上で外せない逸話のある。その主人公は粟野氏が信仰した毘沙門天。北目城の守護神です。

2019年05月25日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
北目城跡説明板[北目城  碑・説明板]



一時期撤去されていた書き込みがありましたが、以前と同じ場所に元どおり説明板が戻っていました。2019年5月25日撮影


2015年12月10日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
北目城

北目城があった周辺は、戦前は農地でしたが、現在は幹線道路に面しているため、住宅地や商業地が多く開発が進み、北目城の遺構はほとんどありません。

説明板の付近に土塁と思われる高まりしか外見ではわかりません。

しかし、仙台バイパスの東側を歩くと、屈曲した桝形の名残として生活道路が残っています。
また、国道4号線仙台バイパス篭の瀬交差点と仙台東部道路長町インターまでを結ぶ道路建設に伴う過去の発掘調査では、北目城に堀障子が存在していたことが明らかになっています。

なお、仙台バイパスの西側一帯(北目城の南西部)には、国指定史跡『郡山遺跡』が広がっています。多賀城が置かれる以前の、飛鳥時代の陸奥国府であり、十数ヵ所に説明板が設置されていますので、古代城柵が好きな方にはオススメです。

2015年12月10日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
北目城

北目城の本丸があったと推定されている地点は、フォトギャラリーに写っている全国チェーンのホテル一帯と言われています。

下に掲げたリンク先には、仙台市の八本松市民センターの講座で開催された北目城跡の名残を歩くルートマップが掲載されています。http://hachihonmatsu422.blog.fc2.com/img/2013101811384581a.jpg/


2011年09月03日 さくら主膳佑にゃ〜
北目城

戦国時代、名取郡北部に勢力を拡大した粟野氏の居城だったが、同時期に同郡南部に進出した伊達氏と衝突、大膳大夫政宗との合戦に敗れその麾下に入った。その後は大崎氏に備える伊達領北部の要衝として重視され、城主粟野重国、弟で沖野城主の国治は有力家臣として活躍した。しかし天正十九年(1590)伊達政宗が岩出山城へ移った際の知行替で、粟野氏は磐井郡大原へと移り当地を離れた。その後は政宗の腹心屋代景頼の持城となり、慶長五年(1600)関ヶ原合戦に伴う上杉領侵攻の際には、この城を拠点に白石城攻めが行われている。

2011年08月08日 あるま治部丞次郎
北目城

さくらくんのアップしていた写真から御品書きの位置が微妙に変わっていたので。

今は広瀬河畔通(R4鹿又交差点付近)の歩道で車道に背を向けて立ってるよー。

北目城の周辺スポット情報

 北目城跡説明板(碑・説明板)

 毘沙門天王(寺社・史跡)

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