岩切城(いわきりじょう)

岩切城の基本情報

通称・別名

高森館、鴻の館

所在地

宮城県仙台市宮城野区岩切字入山他/利府町神谷沢

旧国名

陸前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

留守氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

留守氏

廃城年

元亀年間(1570〜1572)

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(岩切城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

松森城(宮城県仙台市)[1.8km]
小鶴城(宮城県仙台市)[3.9km]
多賀城(宮城県多賀城市)[4.3km]
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岩切城の解説文

岩切城(いわきりじょう)は、宮城県仙台市宮城野区岩切にあった城。

岩切城跡はJR岩切駅の北西1.3kmに位置し、仙台市と利府町にまたがる大規模な山城で、この内中心部の東西約600m、南北約650mの範囲が史跡指定となっている。

最も高い所で標高約106mあり、七北田川流域一帯の平野を眺望することができる。

現状は杉林、雑木林、原野で、今も各所に堀切や土塁を見ることができ、桜の名所としても名高い。昭和10年(1935)の発掘調査により柱穴が多数発見され、城に関わる建物の存在が明らかになった。

初めて文献に見えるのは、観応2年(1351)足利直義方の奥州管領・吉良貞家が、岩切城に立て籠もる足利尊氏方の奥州管領・畠山高国・国氏父子と留守氏を攻め滅ぼした戦いの記載で、全国的な内乱であった観応の擾乱の地として知られる。

留守氏の居城とされ、戦国時代の留守氏当主は岩切城のある高森山に由来して高森殿とも呼ばれた。留守氏が利府城に移った永禄13年(1570)に廃城になったとされる。東北地方における典型的な中世城館跡である。

参考文献 

・仙台市ウェブサイト「仙台市の遺跡」

情報提供:仙台市教育委員会


岩切城の口コミ情報

2024年12月07日 さよなら磐城守急行津軽
岩切城

岩切城跡の石碑の前に3台ほど、車の止められる場所があり、車はそこまで入れます。コンクリートの舗装された道を歩けば、本丸跡のそばまでいけます。看板は石碑のそばにあるだけです。本丸跡のほかにもいくつか曲輪があります。曲輪へ行く道は、冬であれば藪漕ぎをすることなく行けました。

2015年09月20日 まー刑部卿
岩切城

先人の言われた通り石碑の前に駐車しました。3台は駐車出来ます。トイレはありますがトイレットペーパーはないので持参して下さい。本丸跡は本当に何にもありませんが三角点のパネルに岩切城跡と書いてあるだけです。

2010年06月15日 のぼちゃん陸奥守
岩切城

県道35から今市橋付近に県民の森の案内があり、そこから高森山を登っていくのがわかりやすいかと思います。通り沿いに案内板と石碑があり、空堀など確認できました。車を置いて頂上に歩いて行きましたが、頂上は何もありませんでした。眺めは、いいですよ。

岩切城の周辺スポット情報

 西側曲輪群(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 城址碑(碑・説明板)

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