松森城(まつもりじょう)
松森城の基本情報
通称・別名
- 鶴ヶ城
所在地
- 宮城県仙台市泉区松森内町
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 国分氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 国分氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
岩切城(宮城県仙台市)[1.8km]
小鶴城(宮城県仙台市)[4.3km]
長命館(宮城県仙台市)[5.4km]
利府城(宮城県宮城郡)[5.7km]
多賀城(宮城県多賀城市)[6.1km]
国分鞭館(宮城県仙台市)[6.6km]
遠藤館(宮城県仙台市)[8.5km]
若林城(宮城県仙台市)[9.1km]
仙台城(宮城県仙台市)[9.2km]
沖野城(宮城県仙台市)[9.8km]
松森城の解説文
[引用元:Wikipedia「松森城」の項目]
松森城(まつもりじょう)は、宮城県仙台市泉区松森にあった日本の城(山城[1][2])。本丸と二の丸の位置が鶴翼の陣形に似ていることから別名、鶴ヶ城(つるがじょう)とも言う[3]。国分盛顕が移り住み、国分盛重が出奔した後は伊達家の所領となり、毎年、仙台藩の野初の舞台となった。
現在では一部が鶴ヶ城公園として整備されている。
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松森城の口コミ情報
2022年10月07日 さゆ兵庫助
松森城
駐車スペースは広く整備もされています。なかなか急な坂を上るため、冬場に車でお越しの際はお気をつけください…
2021年09月12日 やしち右衛門督
松森城
入口を少し上がると駐車場があります。そこから本丸へ上がって行けますが、本丸めぐりコースは整備されていない為、遠慮された方が良いです。普通に舗装されている道でも本丸は行けますよ。
2018年01月31日 土支田大膳大夫
松森城
伊達政宗が国分盛重をこの城に攻めたとき、入沢乙から水を運んでいるのを村の一老人から聞き、水の手を絶ったが、城方で水を流して馬を洗うのが見え、不審に思っていると鳥が水にみせかけた米に群がり集まったため計略がばれた。その日は正月三日で、政宗方の門松が折れたので、家老が不吉の前兆であるから城攻めを見合わせて欲しいというと、政宗は松が折れたのは松森が落ちる吉兆だとして一気に攻め落とした。水の手を教えた老人は国分盛重の祟りをうけて死んだという。
2016年11月19日 中務丞ガブニヤン
松森城
現在、城めぐ城主なので写真をアップしてみました
見処が同じなのか、先人とかぶってしまいます
久しぶりの城は、カラスがわめき散らす相変わらず寂しい城でした
この城に限りませんが、看板はありますが入口分かりにくいです
隣りの岩切城と同様に仙台市北東部方面の展望は素晴らしい限りです
本丸跡には桜が植えられてますが、草ぼうぼう
本丸跡の西側の二の丸跡は雑木林で整備はされてません
車で中腹の駐車場迄来られ本丸迄の道や東の郭迄の道は舗装整備されてます
某国営大河ドラマの時期に整備され直されましたが、また放置されてる様に思います
昔本丸跡にあった神社というか祠は何処に移したのかな?
もうちと、現城主としては目をかけて欲しいところです
2016年02月20日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
松森城
城郭考古学研究で有名な千田嘉博先生(奈良大学学長)の著書『戦国の城を歩く』(ちくま学芸文庫)の第一章「城にたどる歴史」の扉ページに掲載されている切岸写真は、本丸の北東部に位置しています。
園路になっている本丸南面の園路から、未整備の細道をぐるりと迂回すると数分でたどり着きます。
切岸付近には倒木があったり、切岸の斜面は冬枯れ時期でも雑木や枯草で生い茂っていて、掲載されている写真と同じような状態での全容を見ることはできませんでした。
付近には規模の小さい郭やトラロープが張られた堀切も確認できました。
先人が書かれている公園から南東部に位置する薬師神社の石段を登ると砂質の堀切が確認できます。
城跡の周囲一帯を回るのに約2時間かかりました。
リア攻めの参考にしていただければ幸いです。
2016年02月20日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
松森城
公共交通機関で行く際は、宮城交通バスJR仙台駅前始発で地下鉄八乙女駅もしくは泉中央駅経由(1日10便、約1時間所要、運賃500円)か、地下鉄泉中央駅始発の鶴が丘ニュータウン行き(平日は概ね1時間に2便、土日祝日は概ね1時間に1便、約15分所要)のバスに乗り、松森市民センター入口バス停での下車が一番便利です。登城口を過ぎ、10台程の駐車場まで徒歩約10分。朝夕のみ1便ずつJR岩切駅↔地下鉄泉中央駅間を結ぶバスは走っています。
バス停付近にはコンビニ2軒と自販機あり。
城跡の一部は公園になっていて、本丸部分の2つの郭は整備されていますがトイレはありません。昨年夏に訪れたときは夏草が生い茂っていて除草作業がまだだったタイミングでしたが、今日は冬枯れしていたため郭や切岸、堀切は確認しやすかったです。
園路で整備されていないところは滑りやすいため、降雪や雨上がりがない時期に滑りにくい靴で訪問されるのが賢明と思います。
2016年01月03日 カーネル
松森城
東北本線岩切駅から歩く。まずは岩切城へ
岩切城から松森城へ行くには、岩切駅方向に戻り県道35号にでてから西に行くのが確実ですけど、かなり遠回り
なので、高森山公園前の道路をさらに北へ。奥へ進むとガードレールで通行止めになっている林道があるので、これを南へ進みます
下草で埋め尽くされている箇所であったり岩が崩れてて進み辛い箇所もありましたが、もう戻りたくない一心で歩くとショートカットできます
生活道路にでたら西へ向かい、松森城の南端からよじ登って薬師神社へ向かうと、狐がこちらにに気付かずにたそがれていた。すぐ近くまでいったら、驚いて逃げました。かわいかった
結局神社から尾根沿いは行けず、一度ふもとの道路に戻って西進して、城の南から舗装路で駐車場へ
お城自体は小ぶりですが、駅から遠いので往復3時間弱かかりました
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2011年11月26日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
松森城
現地にて攻略城跡の遺構を確認しましたが震災による落石や手すりの崩壊、地割れ
2011年06月03日 さくら主膳佑にゃ〜
松森城
築城時期は不明だが、天文年間(1532-55)初頭には国分氏によって築かれていた様で、留守氏の岩切城と対峙する城であった。後に国分氏は伊達氏に臣従、天正五年(1577)伊達晴宗の子盛重が国分氏の名跡を継ぐと、その頃に小泉城(若林城)より移り住んだとされる。しかし盛重は家中統制に苦慮、同十五年(1587)に伊達政宗によって国分氏の名跡を剥奪され後に出奔、以後松森城は大崎領への境目の城として伊達氏直轄領となった。なお藩政時代の松森在所はここじゃないですよー。