利府城(りふじょう)

利府城の基本情報

通称・別名

村岡城

所在地

宮城県宮城郡利府町利府字城内(館山公園)

旧国名

陸前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

村岡氏

築城年

不明

主な改修者

留守氏

主な城主

村岡氏、留守氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

多賀城(宮城県多賀城市)[3.3km]
岩切城(宮城県仙台市)[4.3km]
松森城(宮城県仙台市)[5.7km]
遠藤館(宮城県仙台市)[6.6km]
小鶴城(宮城県仙台市)[7.6km]
花淵城(宮城県宮城郡)[9.9km]
長命館(宮城県仙台市)[11.0km]
国分鞭館(宮城県仙台市)[11.1km]
若林城(宮城県仙台市)[13.0km]
沖野城(宮城県仙台市)[13.0km]

利府城の解説文



利府城(りふじょう)は、宮城県宮城郡利府町にあった日本の城。

構造 

松島丘陵の丘陵地帯の中にあり標高約90メートルの自然の山を利用した峻険な城郭となっている。山頂付近から3段もしくは5段にわたる曲輪が作られており現在でも曲輪跡の平地を見ることが出来る。

歴史 

利府城は鎌倉時代の奥州探題である留守氏の家臣村岡氏によって築かれたと考えられている。その後も村岡氏の居城であったと考えられるが、長い間歴史の表舞台には出てこなかった。

1567年、村岡氏の主家である留守氏が伊達氏から養子を迎えることになると村岡氏はこれに反発する。しかし、養子縁組は滞りなく行われた。これを受けて1569年に村岡氏は挙兵し留守氏と交戦するも、翌1570年に利府城は落城して村岡氏は滅亡した。

利府城を攻略した留守政景は利府城を修繕・改修し岩切城から移りこれを居城とした。利府城は伊達氏が北に抱える敵である大崎氏や葛西氏に対する守りの最前線として重要視された。その後、留守政景が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため所領を没収され、居城である利府城も廃城となった。

現地情報 

現在の状況

  • 現在は館山公園として整備されており、本丸跡が桜の名所として親しまれている。
  • 二の丸・三の丸にあたる平地には児童向けの遊具が設置されている。

交通アクセス

  • JR東北本線利府駅より、徒歩20分。
  • 無料駐車場有。

利府城の口コミ情報

2024年12月08日 さよなら右京亮急行津軽
利府城



館山公園の「桜の園」が、本丸跡です。
近くの駐車場まで行けば楽なのですが、2番目の駐車場から3番目の駐車場までの道は、すれ違いが困難な幅の道です。1番手前もしくは2番目の駐車場から歩いて、本丸跡のある「桜の園」まで歩いた方が安全かと思われます。
本丸跡からの利府の市街が良く見えます。

2024年05月17日 ᴿᴱᴰ副将軍
利府城



伊達氏重臣である留守政景(伊達政宗の叔父)の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。鎌倉時代に留守氏の一族である村岡氏により築かれた村岡城が始まりと云われます。
1569年、村岡兵衛は主家である留守氏が伊達晴宗の三男である政景を養子に迎えたことに反発。村岡兵衛らは村岡城に籠城するも留守政景により攻められ落城し、村岡氏は滅亡。留守政景は岩切城から村岡城へと居城を移し、利府城と改称。伊達氏の北を抑える最前線として重要視されました。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐において留守政景は参陣しなかったことから改易され所領は没収。留守政景は伊達政宗に従って大谷城へ移され利府城は廃城となりました。
その後に留守政景は二桜城、一関城へと移り、伊達姓に復姓することを許され、水沢城を居城とし水沢伊達氏となりました。

見所
標高90mの松島丘陵に築かれており、城域は大きく南城と北城の2つで構成されています。
公園化により明瞭な城郭遺構は消失しており、切岸や平段が確認できる程度ですが主郭南東側の切岸は見事です。

現在は館山公園として整備されています。車で登ることができ駐車場も完備。遊歩道が付いています。

2022年07月31日 kingdom太政大臣
利府城

夏の暑い日でしたが、駐車場がとても涼しく坂を登る際には苔が生えていたので滑らないようお気を付け下さい(城の感想が無く申し訳ありません)

2022年04月18日 やんちゃ幸村
利府城



夕方でしたが、桜🌸が満開でキレイです。22時まで、ライトアップしています。

2020年04月28日 野呂利左衛門督休三
堀切?[利府城  遺構・復元物]



館山公園の西側エリアの冒険の丘の直下にあります。公園からは降りるルートがなく柵を乗り越えて5m程の斜面を下る必要があります。
南側の雷神社の社殿を向かって左側に進んでもたどり着けますが、薮や竹でかなり難儀します。私はこちら側から行って、戻るのが億劫になり、斜面直登の柵乗り越えの、人がいたら驚かれるやり方で館山公園に入りました。

2020年04月20日 野呂利左衛門督休三
圓城寺[利府城  寺社・史跡]



当時のものは見当たりませんが、元亀二(1571)年に創建された寺です。
大崎葛西一揆鎮圧に赴いた伊達政宗は途中利府に陣を置き、この寺で軍議をしたと言います。
下って元和二(1616)年に、政宗はこの辺りで鷹狩を催した際に、この寺で休息し、住職と茶の湯や禅問答に興じたそうです。

2020年04月20日 野呂利左衛門督休三
熊野神社[利府城  寺社・史跡]



深山館の現在の登城口になります。ポイントを置いたところは参道入口です。参道の先に祠があり、事情を知らないと「これね」で終わってしまいますが、これは拝殿。本殿はこの先をさらに登ります。階段がくねって続いていますが、そこそこ負荷かかります。それで拝殿として祠が置かれたのかも。直登だったらマジで音を上げてたかも。
本殿の左手の遊歩道から本格的に深山館です。右手には標柱があり、利府城の出城と見られる旨が書かれています。
すぐ下にベンチがありますが、何で一段下?もしかしたら腰曲輪?

2020年04月20日 野呂利左衛門督休三
深山館[利府城  周辺城郭]



熊野神社社殿向かって右に標柱、左に遊歩道があります。遊歩道入ってすぐ左手下に二段の腰曲輪と思える地形が見えます。
一番手前の曲輪(主郭?)はやたら長いです。高さ6mくらいで今もけっこう急。反対側に一ヶ所比較的出入りしやすそうなところがありましたが荒れていたので登るのパスしました(つまり上は見ていない)。
堀切が二条、ハッキリと残っています。熊野神社よりのは低い方の曲輪から見ると深さは3mくらいか。もう一本のはそれよりも浅いです。

2020年01月30日 野呂利左衛門督休三
一般駐車場[利府城  駐車場]

一般駐車場。この奥にも平場が続く。曲輪跡か?

2014年03月17日 三浦の荘大納言大介義明くん
利府城

JR利府駅です。
仙台から230円でした。ただし帰りは要注意ですよ、電車は極端に少なく一日数本です。良く調べてからにしましょう^_^

2012年07月21日 【隠者】史学会帰新参
利府城

城跡は公園になっていて、曲輪は残っている。東日本大震災の影響で一部が立ち入り禁止、公園自体も少し荒れていた。
城主の留守政景は政宗の叔父であり、輝宗政宗の時の功臣で、一族では伊達成実と双璧といえるが知名度が落ちる。

2010年06月08日 のぼちゃん陸奥守
利府城

利府街道(県道8)からマックドナルドを曲がり、ちょうど役場の裏手の坂道を昇りきったところに『館山公園』の看板があり(ちょっと細い道)、まっすぐ進むと無料駐車場があります。歩いて頂上に行くと石碑と案内表示がありました。公園として整備されていています。小学校の所にも案内表示がありますが、車は進入禁止だったと思います。

利府城の周辺スポット情報

 堀切?(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 利府城跡(碑・説明板)

 石柱(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 深山館(周辺城郭)

 摂津森館(周辺城郭)

 寒風沢城館(周辺城郭)

 川内小屋館(周辺城郭)

 小屋城(周辺城郭)

 小鶴沢館(周辺城郭)

 郷右近館(周辺城郭)

 小谷城館(周辺城郭)

 小谷館(周辺城郭)

 小野目館(周辺城郭)

 菅谷館(周辺城郭)

 圓城寺(寺社・史跡)

 熊野神社(寺社・史跡)

 一般駐車場(駐車場)

 一般駐車場(駐車場)

 身障者用駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 遊歩道入口案内板(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore