多賀城(たがじょう)

多賀城の基本情報

通称・別名

多賀柵

所在地

宮城県多賀城市市川字城前

旧国名

陸前国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

大和朝廷

築城年

神亀元年(724)

主な改修者

主な城主

大野東人

廃城年

遺構

政庁跡、築地跡、門跡、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国特別史跡(多賀城跡附寺跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

利府城(宮城県宮城郡)[3.3km]
遠藤館(宮城県仙台市)[3.3km]
岩切城(宮城県仙台市)[4.3km]
小鶴城(宮城県仙台市)[5.9km]
松森城(宮城県仙台市)[6.1km]
花淵城(宮城県宮城郡)[8.6km]
国分鞭館(宮城県仙台市)[9.5km]
沖野城(宮城県仙台市)[10.6km]
若林城(宮城県仙台市)[10.8km]
長命館(宮城県仙台市)[11.4km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

7 多賀城

設置場所

多賀城管理事務所[地図

多賀城の解説文



多賀城(たがじょう/たかのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定され(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)、出土品は国の重要文化財に指定されている。

奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・軍事・文化の中心地であった[1]

概要 

奈良平城京の律令政府が蝦夷を支配するため、軍事拠点として松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。平時は陸奥国を治める国府(役所)として機能した。周辺はかつて「潟の世界」が想定されていたが、BP1900~1500年にはすでに潟湖的環境は存在せず、かつて「潟」が存在した証拠の一つと例示された砂押川最下流部の「塩入」「塩留」「塩窪」などの地名についても再検討されている。

創建は神亀元年(724)、按察使大野東人が築城したとされる。8世紀初めから11世紀半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われた。第1期は724年 - 762年、第2期は762年 - 780年で天平宝字6年(762)藤原恵美朝狩が改修してから宝亀11年(780)伊治公砦麻呂の反乱で焼失するまで、第3期は780年 - 869年で焼失の復興から貞観11年(869年)の大地震(貞観地震)による倒壊[2]および溺死者千人ばかりを出した城下に及ぶ津波被災まで、第4期は869年 - 11世紀半ばで地震及び津波被災からの復興から廃絶までに分けられる。なお、多賀城の「城」としての記載は『日本三代実録』にある貞観津波の「忽至城下」が最後であり、翌貞観12年の同書には「修理府」、藤原佐世『古今集註孝経』の寛平6年(894)朱書「在陸奥多賀国府」ほかに「府」あるいは「多賀国府」と記載。

多賀城創建以前は、仙台郡山遺跡(現在の仙台市太白区)が陸奥国府であったと推定される。この国府のほか鎮守府が置かれ、政庁や食料貯蔵用の倉などを設け、附属寺院が築かれていた。霊亀2年(716)には、移民によって黒川以北十郡(黒川・賀美・色麻・富田・玉造・志太・長岡・新田・小田・牡鹿)が成立し、神亀元年(724)には陸奥国府は仙台郡山遺跡から多賀城に移された。北方の備えとして石巻平野から大崎平野にかけては天平五柵(牡鹿柵・新田柵・玉造柵・色麻柵・不明の1柵)を設置、これらは養老4年(720)、石背国・石城国・陸奥国に三分された陸奥国をふたたび統合し、多賀城という新国府の建設により、弱体化した陸奥国の支配強化を図った。これにより、奈良時代の日本では平城京を中心に、南に大宰府、北に鎮守府兼陸奥国府の多賀城を建てて一大拠点とした。

多賀城跡とその周辺の調査が昭和36年(1961)から開始され[3]、外郭は東辺約1000m、西辺約700m、南辺約880m、北辺約860m、築地塀(ついじべい)や柵木列をめぐらせた政庁域が確認された。その中心からやや南寄りに東西約106m、南北約170mの築地塀で囲んだ区域があり、主要な建物の跡と見られる礎石や柱穴が多数確認され、正殿と考えられた[4]。政庁の南東方向に「多賀城廃寺」()、政庁正殿の北側には延喜式内社の多賀神社(六月坂)がある。

多賀城政庁東門跡()に隣接して陸奥国百社を祀る陸奥総社宮がある。陸奥国一宮(いちのみや)鹽竈神社(塩竃神社)を精神的支柱として、松島湾・千賀ノ浦(塩竃湊)を国府津とする。都人憧憬の地となり、歌枕が数多く存在する。政庁がある丘陵の麓には条坊制による都市が築かれ、砂押川の水上交通と東山道の陸上交通が交差する土地として繁栄した。

1966年4月11日、遺跡は国の特別史跡に指定された。その後も発掘調査が進展した結果、多賀城跡一帯とともに多賀城廃寺跡、館前遺跡()、柏木遺跡()、山王遺跡()などを含む範囲が追加指定されている[5]

歴史 

  • 神亀元年(724)- 大野東人によって創建される(多賀城碑)。
  • 天平9年(737)- 『続日本紀』に北方を固める「天平五柵」とともに「多賀柵」として初出。天平五柵とは、石巻平野から大崎平野にかけて造営された牡鹿柵・新田柵・玉造柵・色麻柵の四柵と不明の一柵(伊東信雄は第五の柵に小田郡中山柵を充てた)。
  • 天平宝字6年(762)- 藤原朝狩によって大規模に修造される(多賀城碑)。
  • 宝亀11年(780)- 伊治呰麻呂の乱で焼失した後に、再建された事が書かれている。
  • 延暦21年(802)- 坂上田村麻呂が蝦夷への討伐を行い、戦線の移動に伴って鎮守府も胆沢城(岩手県奥州市)へ移されて、兵站的機能に変わったと考えられる。
  • 貞観11年(869)- 陸奥国で巨大地震(貞観地震)が起こり、地震被害とともに城下は津波によって被災し、溺死者を千人ばかり出している(『日本三代実録』)。この後、「多賀国府」として復興。
  • 11世紀前半頃 かろうじて維持された国府政庁は、11世紀後半には政庁隣接地に平場(ひらば)を設けると政庁に代わる宴会儀礼の場を整備し、国府中枢としての機能は大きく変質する。
  • 11世紀後半 前九年の役や後三年の役においても軍事的拠点として機能し、承徳元年(1097)にも陸奥国府が焼失。
  • 養和元年(1181)- 陸奥国府および「高用名」を拠点とする勢力は平泉の藤原秀郷を陸奥守として迎え入れ、八幡館(末の松山)および開発低湿地に拠点を置く陸奥介らの勢力と決別(けつべつ)する。前者の多賀国府の勢力は文治5年(1189)奥州合戦および大河兼任の乱で没落していったが、後者すなわち八幡館を拠点とする陸奥介は鎌倉幕府から地頭職を得て、鎌倉に屋地を得るまでになる[6]。八幡荘は鎌倉将軍家を本所とする関東御領として存続した可能性が強い[7]
  • 永仁7年(1299)- 2月朔日、大檀那介(おおだんなのすけ)平景綱が奥州末松山八幡宮に鐘を奉納している。
  • 南北朝時代には、後醍醐天皇率いる建武政府において陸奥守に任じられた北畠顕家、父の北畠親房らが義良親王(後村上天皇)を奉じて多賀城へ赴き、ここに東北地方および北関東を支配する東北地方の新政府、陸奥将軍府が誕生。
  • 昭和36年(1961)- 多賀城跡とその周辺の調査が始まる[8]
  • 昭和41年(1966)- 4月11日、遺跡は国の特別史跡に指定される。
  • 平成28年(2016)- 特別史跡指定から50年を迎える。
  • 令和4年(2022)- 10月9日、多賀城跡城前官衙など10棟が復元整備完了。
  • 令和5年(2023)- 南門の本体の木造復元が完了。南門の築地塀2棟の木造復元は2024年に完成する予定である。

文化財 

国宝

  • 多賀城碑(古文書) - 1998年(平成10年)6月30日に国の重要文化財に指定、2024年(令和6年)8月27日に国宝に指定[9]

国の特別史跡

  • 多賀城跡 附 寺跡
  • : 1922年(大正11年)10月12日、国の史跡に指定。
  • : 1965年(昭和40年)4月17日、史跡範囲の追加指定。
  • : 1966年(昭和41年)4月11日、国の特別史跡に指定。
  • : 1974年(昭和49年)2月18日・1978年(昭和53年)11月21日・1980年(昭和55年)3月24日・1984年(昭和59年)3月27日・1990年(平成2年)6月28日・1993年(平成5年)9月22日、史跡範囲の追加指定。

重要文化財(国指定)

  • 多賀城跡出土漆紙文書 151点(古文書) - 2022年(令和4年)3月22日指定。
  • 多賀城跡出土木簡 450点(古文書) - 2023年(令和5年)6月27日指定。
  • 多賀城関連遺跡群出土木簡 105点(古文書) - 多賀城市埋蔵文化財調査センター保管。2024年(令和6年)8月27日指定[10]
  • 多賀城関連遺跡群出土漆紙文書 29点(古文書) - 多賀城市埋蔵文化財調査センター保管。2024年(令和6年)8月27日指定。
  • 宮城県多賀城跡出土品(考古資料) - 明細は後出。宮城県多賀城跡調査研究所・東北歴史博物館保管。2024年(令和6年)8月27日指定。

多賀城政庁・官衙跡出土

  • 瓦塼 277点
  • 陶磁器・土器 316点
  • 墨書土器・刻書土器 84点
  • 土製品 65点
  • 石製品 19点
  • 木製品 63点
  • 金属製品 105点
  • 漆漉布 2点
  • 卜骨 2点

多賀城廃寺跡出土

  • 瓦 81点
  • 陶器・土器残欠 9点
  • 墨書土器残欠 4点
  • 土製品 176点
  • 石刀 1点
  • 九輪残欠 1点

山王・市川橋遺跡出土

  • 瓦残欠 5点
  • 陶磁器・土器 272点
  • 墨書土器・刻書土器・漆描土器 104点
  • 土製品 41点
  • 石製品 13点
  • 木製品 96点
  • 金属製品 50点
  • 漆漉布 2点
  • 鹿角鳴鏑 1点
  • 卜骨 5点

アクセス 

  • 鉄道:JR東北本線(仙石東北ライン)国府多賀城駅より政庁跡まで徒歩約10分。
  • 駐車場(無料):
    • 東門跡北側に約15台分()
    • 政庁跡北東側に舗装約20台分()
    • 政庁跡南側の南北道路階段下に約20台分()
    • 多賀城南門跡および多賀城碑の近くに6台分()
  • 最寄IC:三陸自動車道・多賀城IC

周辺 

  • 東北歴史博物館 - 出土物の多くを収蔵。
  • 多賀城碑
  • 末の松山
  • 多賀神社
  • 浮島神社
  • 多賀城神社
  • 陸奥総社宮
  • 鹽竈神社(塩竈市)

参考文献 

主な執筆者名の50音順

  • 【書籍】「多賀城と貞観津波」
  • 【書籍】「赤色立体地図・空撮写真からみた城柵官衙遺跡―宮城県石巻市桃生城跡・涌谷町日向館跡とその周辺―」
  • 【書籍】「貞観津波堆積層の構造と珪藻分析―宮城県多賀城市山王遺跡東西大路南側溝・山元町熊の作遺跡からの検討―」
  • 【書籍】「宮城県史」国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  • 【書籍】「宮城県の歴史」
    • 多賀城碑、今泉「律令国家と蝦夷」55頁。
  • 【書籍】「みちのくの都 多賀城・松島」
  • 【書籍】「古代地方都市論」
  • 【書籍】「都市のかたち 権力と領域」
  • 【書籍】「仙台平野北部七北田川下流域の潟湖埋積過程と土砂流入時期」
  • 【書籍】「北海道・東北 」 。
  • 【書籍】「仙台・松島と陸前諸街道 」。
  • 【書籍】「タイス~ツン 」

多賀城の口コミ情報

2024年10月06日 陸奥権中納言景衡
多賀城



今年は多賀城創建1300年。都内の列車内にも広告が出ています。帰省時はまた訪れたいですし、お近くまでお越しの方はぜひリア攻めしてみて頂ければ幸いです。

2024年09月21日 薩摩安房守義弘維新斎
多賀城



JR国府多賀城駅から政庁正殿跡までは、徒歩約10分で登城できます。
ちょうど登城した日は、あいにくの雨で細部まで確認することができなくて残念でした。

約900m四方の規模がある城跡を散策すると広大で歩きがいがあり、さすが東北を治めた場所だと実感できます。

今は、ちょうど南門を復元中で工事エリアには柵が設置されており、近くには行けません。公開は、来年の4月予定のようです。それでも朱色の赤門が堂々と聳え立ち格式の高さが分かります。
他方、城前官衙エリアは、古代建築物などが既に整備されています。

今年は、多賀城創建1300年を迎えたようで、前述のとおり南門の復元に間に合ってませんが、訪れてみることをオススメします。何といっても名前の由来である「賀び多き城」というように、東北の安寧を願って造られた城なので、縁起が良いと思います。

2024年07月09日 ムサコ駿河守
多賀城



南門を復元中ですが、だいたい出来上がっている様に見えます。方々で整備を進めており、今年度中には整備が終わる予定らしいので、落ち着いた頃に見に行ったらいいと思います。

2024年05月07日 お気楽旅人上野介
多賀城



西の太宰府、東の多賀城と称されるほど、古代日本の重要な拠点でありながら、回廊やお寺、街並みの跡も発掘されており、軍事拠点のみならず、文化レベルも平城京と同等と思わせる遺跡。南の楼門が復元されており古代ロマンを感じさせてくれます。

2024年03月10日 直江山城守優介
多賀城



広大な敷地で圧倒されます。2024年に1300年を迎えるようで南門などの修復工事が行われていました。現時点でまだ完了していないので整備された後にまた訪れたいです。近くの多賀城神社には南北朝時代の後村上天皇が座ったという石が残されています。

2023年12月16日 〇天うどん肥前守
多賀城



多賀城南門を復元中です。令和6年(2024年)公開予定です。

近くの(1キロ以内)東北歴史博物館は休館や展示室の休室などがありますので、調べて行かれた方がヨイですよ。

2023年10月17日 尼崎城駿河守一口城主
多賀城



[後半散策編]8月15日、多賀城管理事務所前で100名城スタンプを押した後、多賀城碑や復元南門を見学に向かいました。帰路も政庁跡に寄りましたが、南門方面を眺めてみると周囲よりも高い丘にある為か、見晴らしの良い所でした(写真①)
復元中の南門(写真②)を眺めて多賀城碑(写真③④⑤)を見学。説明板には多賀城碑は日本三古碑の一つに数えられているとありました。南門が工事中だったので多賀城南門イメージを撮影(写真⑥)。多賀城は令和6年(2024)創建1300年を迎えるとのことでした。工事中の史跡を見れるのも逆に貴重だったかもしれません。
多賀城南辺東地区(写真⑦⑧)も散策してみました。写真⑧の池(復元?)は防御機能もあったとは思いますが庭園のような優雅な雰囲気を感じました。

2023年10月17日 尼崎城駿河守一口城主
多賀城



[前半散策編]8月15日、JR東北本線の国府多賀城駅北口(写真①、MAP写真②)から進軍。進軍中、一旦多賀城碑を通り過ぎて(写真③)政庁跡を目指しました(写真④)。
緩やかな登り道を上って行き(写真⑤)、政庁跡が近づくにつれなぜだか気が引き締まってきました。進んでいくと政庁/多賀城跡(写真⑥)に到着。
政庁跡から100名城スタンプを押しに多賀城管理事務所(写真⑦の駐車場前の建物)に向かいました。管理事務所付近に<多賀城跡附寺跡>の説明板があったので撮影(写真⑧)
帰路は往路で通り過ぎた多賀城碑や工事中の復元南門などを見学しました。

2023年10月15日 百華
多賀城

最寄りの国府多賀城駅からは、女性の足で20分くらいかかりました。行きはちょっと道に迷ったりでもう少しかかった気がします。
金曜の昼間に行きましたが、駅に観光案内所があり、声をかけると道を説明して頂き、地図と資料を貰えました。
来年がちょうど1300周年という事で、今は工事をしていて南門を復元しているそうです。行く途中に赤い門が少しみえます。
アップダウンもありますし、影もあまりないので水分補給は必須です。暑い日歩かれる方はお気をつけて。
駅から歩くとスタンプは、政庁跡をこえて奥の管理事務所の外に置いてあります。

2023年09月09日 よし
多賀城



古代日本の空気感が楽しめます。色々と復元が進められていますので、訪問前には公式サイトを確認されると良いでしょう。

2023年08月10日 pirka
多賀城

多賀城駅と国府多賀城駅があるので、気をつけてください。近いのは、国府多賀城駅❗️

2023年06月11日 駿河守えすたの
多賀城



最寄りの駅からは徒歩10分程度。しっかりと整備されており、VRアプリを始め説明も非常にしっかりとしているので、全部を廻ると2時間弱かかりました、奈良平安時代の面影を感じることができる良い施設だと思います。

2023年02月25日 ホーリー中務大輔
多賀城

政庁跡は丘の上にあり、坂道を登っていく感じです。なかなかしんどい(;´Д`)。整備工事中なのか駅から徒歩はアクセス案内板が少なく解りにくく残念。ネットでナビ見ながら歩けば良いですが、突撃おっさん歩兵には無理。ただ史跡は眺望良くて良い感じです。想像力で風景みる事できる人には良いところです

2023年01月09日 HAL2000壱岐守
多賀城



仙台から東北本線で国府多賀城駅へ。駅からすぐ、多賀城関連の遺跡がたくさんありました。戦国時代の城とは異なり、奈良時代に建てられた政庁なので、小高い丘の上の広い土地に建っています。1300周年に向けて整備中のようなので、整備が終わってから、再度伺ってみたいです。

2022年05月08日 三河守ぱーる
多賀城



陸前山王駅から外郭東門、政庁と通り国府多賀城駅へと歩きました。歩くと大きさがよくわかります。外郭東門跡から政庁に向けて降りるとそこは大草原。ここどこ⁈って感じでしたが空想が膨らみとても良かったです。逆に政庁から下、前はは真っ直ぐ伸びる風情がある道だったような。が、舗装?されてしまったようでちょっと残念でした。

2022年05月08日 チーフ弾正忠半町
多賀城



古代のロマンを感じる遺跡でした。整備工事が進捗中でしたが完成が楽しみです。

2022年03月23日 桜井太政大臣静龍
多賀城



広いです。政庁跡直ぐ近くの管理事務所前の駐車場もいいですが、外郭北東端にある駐車場に車止めて(8時~16時)全体図を見渡しながら歩くのも良いです。
三陸自動車道の多賀城IC直ぐです。
北東端には陸奥総社宮もあります。そちらの駐車場も使えます(参拝してくださいね)。
2024完成予定の南側ができたら更にスゴさがわかりやすくなりそうです。
礎石だけではなく土塁も楽しめます。

2022年01月06日 けんさん
多賀城

現在、城跡周辺では、南門復元工事中で制限区域もありますが、政庁跡へは、問題なく行けますが、今の時期凍結などで滑りやすくなっていますので気をつけてください。資料を希望される方は、JR仙石線の多賀城駅の観光案内所にあります。また、多賀城碑のマンホールカードもあります。

2021年12月22日 陸奥守新九郎
多賀城



整備が進む多賀城 さて、どのような姿が見られるようになるのでしょうか。楽しみです♩多賀城に行ったら、ぜひ多賀城碑もリア攻めを。最寄駅は多賀城駅ではなく国府多賀城駅ですので、ご注意を。

2021年07月25日 桂右近衛中将
多賀城

政庁跡で礎石がたくさんありました。2024年に創建1300年をむかえるそうで、門を建築していました。スタンプは政庁跡の管理事務所にありました。パンフレットは数が少なく事務所の方に聞いて、辛うじて貰えましたが、無かったら市埋蔵文化財調査センターにはあるそうです。

2020年11月03日 天河水式部卿
多賀城

国府多賀城駅から徒歩リア攻め可能です。早朝に行ったので使いませんでしたがレンタサイクルもあり。周辺の関連史跡も併せて巡って2時間位。
途中住宅地を歩く所もあるので静かに行軍するべし。

2020年10月06日 太政大臣ソノリティ
多賀城

国府多賀城駅近辺にスタンプはありません。徒歩20分強の事務所にあります。

2020年09月19日 KAZ左大臣正勝
伏石[多賀城  遺構・復元物]



1287年に建てられた供養碑らしいっす(説明看板あり)
名前の由来は、伏せてある碑を立てたら疫病が流行したので再び伏せたことかららしいっす(^-^)
石の側面に文字が掘ってあるのが確認できるので、横倒し…なのでしょうか(・・?)

2020年09月19日 KAZ左大臣正勝
正殿跡[多賀城  遺構・復元物]



政庁正殿跡
基壇が復元されてて、礎石が並んでます(^-^)確か、16個の礎石は当時の物を使用してて南側の2列は確実に当時の物だった筈です。
建物の基礎だけだと、小さく感じますがARをダウンロードしとくと、大きさが
よくわかりました。(管理事務所にQRあり)
南側は、広い幅で石畳になってて感動でした*\(^o^)/*

2020年08月19日 加納遠江守
多賀城

駅前にタクシーもなく、バスは1時間に1本なので国府多賀城から歩きました。思いっきり汗かきましたが、政庁跡に吹く風に癒されました。帰りは陸前山王駅までまた歩きましたが、距離はほとんど変わらないくらいです。

2020年07月26日 大納言Z周防守369
陸奥総社宮[多賀城  寺社・史跡]



延喜年間(901~922)、陸奥国にあった100の神社の祭神を合祀して創建されたと伝えられ、塩竃神社に参拝するには、先ず総社宮に詣でることとされています。現在の拝殿は享保19年(1734)に建てられたもの。

2020年07月26日 大納言Z周防守369
壷碑(つぼのいしぶみ)[多賀城  碑・説明板]



芭蕉が感動し、『奥の細道』に「羇旅の労をわすれて泪も落つるばかりなり」と記した「壷碑(つぼのいしぶみ)」。
芭蕉が訪れた時は露天に放置されたままの石碑だったが、水戸光圀公が伊達綱村に保存措置を依頼し、覆堂が造られたという。「多胡碑」「那須国造碑」とともに日本三古碑の一つ。

2020年07月26日 大納言Z周防守369
館前遺跡[多賀城  碑・説明板]



発掘調査の結果、国司の館とみられる四面庇付建物跡を主屋とする建物群6棟が発見され、1980年に特別史跡に追加指定を受けました。

2019年07月22日 FUKU
多賀城



2度目の登城です。前回はスタンプを押印して下城しました。今回は写メを撮る➕陸奥総宮社で御朱印を得る目的です。

2019年05月26日 しめじ大膳大夫
多賀城



奈良時代からの貴重な史跡。その割に大々的にアピールしてないのが逆に好感を持てる。
ボランティアガイドの方の説明も的確で大満足。
戦国時代の遥か昔のお城なのであまり残っているものがないのかもしれませんが、日本国の歴史を感じるいい史跡です。


2019年05月07日 安倍相模守宗任
多賀城碑[多賀城  碑・説明板]



奈良時代の石碑。
博物館にあるレプリカでは文字もはっきり読めますよ。藤原仲麻呂の息子、藤原惠美朝臣朝獦の名が書かれてます。羽振りのよかった頃ですね。

2019年05月07日 安倍相模守宗任
南門[多賀城  遺構・復元物]



南門跡から、正殿方面を。
階段を登りつめると正門、さらに東西に脇殿、そして奥に正殿…と。これだけの規模の建物があったら、そりゃビビるわ。

2019年05月07日 安倍相模守宗任
多賀城管理事務所[多賀城  スタンプ]

スタンプは管理事務所の入口横にパンフとともに置いてあります。城跡に行くとトイレ、自販機などはないので、ここで済ませましょう♫

2018年09月20日 石田大宰帥いしのすけ
多賀城

スタンプ帳の情報が古く、最初 多賀城埋蔵文化センターへ行ってしまいました。休館日で、がっかりしたところに100名城スタンプはここにはありません。と紙が貼ってありました。多賀城跡管理事務所へ向かいましたが 道が若干わかりにくいです。あまり案内表示も途中ないです。バイクでしたがスマホナビを使って到着できました。スタンプはいつでも押せるようですが、見学の案内もやや不親切の気がしました。目の前がメインの見学ポイントなのに最初、やや離れた多賀神社の方へ行ってしまいました。同じ100名城の根城や続100名城の秋田城の方ががんばって整備やアピールしてるなーと感じました。

2018年07月01日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
多賀城

多賀城の百名城スタンプ設置場所が2018年7月1日より変更になりました。
以下は、日本城郭協会のホームページからの転載です。


2018年7月1日(日)より多賀城の日本100名城スタンプの設置場所が変更になります。

多賀城は現在(注:2018年6月30日まで)、多賀城跡管理事務所と国府多賀城駅の2か所で押印できますが、国府多賀城駅のスタンプが破損のために廃止になります。

7月1日以降は多賀城跡管理事務所でスタンプを押印してください。


百名城スタンプ押印する方は休館日等を事前に確認のうえ、ご来城ください。

2018年05月26日 cinelli2
多賀城

約900メートル四方という広大な城内は、発掘調査成果をもとに環境整備が行われており、平城京跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。

2017年09月17日 八代
多賀城

百名城スタンプですが今年の6月から多賀城内の管理事務所にも設置し始めたようです。多賀城神社の先の駐車場の前に管理事務所あります。

2017年05月19日 後志守ゆま就
多賀城

百城スタンプは仙石線多賀城駅から歩いて5分くらいの所にありますが、そこから多賀城跡までは廃寺跡を経由して30分近く、徒歩でかかりました。車でないと厳しいです。特に雨の日は。

2017年04月15日 若狭守 影丸
多賀城

最寄り駅ではないですが多賀城駅の観光案内所でレンタサイクルが借りられます。¥1000で電動無し、貸出は9:00〜16:30まで。資料館や多賀城廃寺跡等も見てまわりたい場合は便利かと。

2017年01月10日 大輔
多賀城

多賀城周辺には、陸奥国分寺があります。多賀城と国分寺は、繋がってます。東北歴史博物館とも関係があります。多賀城と陸奥国分寺の事わからなかったら東北歴史博物館に足をはこんでください❗️

2016年05月08日 播磨守あきら
多賀城

国府多賀城駅前の観光案内所で荷物を預かってくれました。ロッカーが数個ありました。もちろん無料です。ただ、案内所は15時までなのでお早めに。

2015年08月21日 永眠武蔵守釋 葱進
多賀城

国府多賀城駅そばの観光案内所は朝10時からです。時間前に着いた場合、パンフレットの類いはポストに入っていてそこから取り出すことになります。
多賀城碑経由政庁跡までは、道案内の看板が設置されているので迷わずに行けるでしょう。

駅反対側にある東北歴史博物館には、多賀城碑のレプリカや政庁復元模型があり、写真も自由に撮ることができます。

2015年06月18日 宮内卿ピロシキ
多賀城

陸奥総社宮まで行ってみて下さい。
道中にも遺跡がありますよ。

2014年08月14日 傾奇揚げ仙兵衛
多賀城

百名城スタンプは現在国分多賀城駅の連絡通路に有ります


2012年12月16日 Dr.K佐渡守
多賀城

2013年1月末まで政庁部分工事のようです

2011年10月08日 さくら主膳佑にゃ〜
多賀城

2011年10月15日(土)10:30〜発掘調査現地説明会が行われる様です。
多賀城の現説は今まで参加出来なかったし、今回こそは行きてぇなーなんて思ったら…休みだぁ(^ω^)ノ

2011年03月20日 tomm加賀守
多賀城

今回の地震で、地面にひび割れができたそうです。

2010年06月15日 のぼちゃん陸奥守
多賀城

陸前山王駅前の道路を塩釜方面に向かうと多賀城の遺跡があります。車の人は、信号を右折すると駐車場があります。(無料)多賀城の石碑と道路を挟んで政庁跡があります。詳しく知りたい人は、ボランティアの人が説明してくれますので、聞いて見てください。国府多賀城駅の所にある、東北歴史博物館もいろいろ発掘したものが展示されています。(博物館は、有料です)

多賀城の周辺スポット情報

 正殿跡(遺構・復元物)

 南門(遺構・復元物)

 南北大路跡(遺構・復元物)

 石敷道路(遺構・復元物)

 正殿跡(遺構・復元物)

 伏石(遺構・復元物)

 多賀城政庁(遺構・復元物)

 東楼跡(遺構・復元物)

 西楼跡(遺構・復元物)

 外郭南門(遺構・復元物)

 政庁南大路(遺構・復元物)

 東翼廊(遺構・復元物)

 西翼廊(遺構・復元物)

 石敷広場(遺構・復元物)

 西北殿(遺構・復元物)

 東北殿(遺構・復元物)

 西殿(遺構・復元物)

 東殿(遺構・復元物)

 後殿(遺構・復元物)

 東脇殿(遺構・復元物)

 西脇殿(遺構・復元物)

 政庁南門(遺構・復元物)

 北殿(遺構・復元物)

 南築地跡(遺構・復元物)

 多賀城碑(碑・説明板)

 山王遺跡「国守の館跡」(碑・説明板)

 市川橋遺跡(碑・説明板)

 館前遺跡(碑・説明板)

 館前遺跡(碑・説明板)

 館前遺跡(碑・説明板)

 東門跡(碑・説明板)

 外郭東門跡(碑・説明板)

 壷碑(つぼのいしぶみ)(碑・説明板)

 政庁復元模型200分の1サイズ(碑・説明板)

 陸奥総社宮(寺社・史跡)

 多賀城神社(寺社・史跡)

 多賀城廃寺跡(寺社・史跡)

 多賀神社(寺社・史跡)

 玉川寺(寺社・史跡)

 多賀神社(寺社・史跡)

 多賀城管理事務所(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 約10台(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 東北歴史博物館(関連施設)

 多賀城跡あやめ園(関連施設)

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