多賀城(たがじょう)

多賀城の基本情報

通称・別名

多賀柵

所在地

宮城県多賀城市市川字城前

旧国名

陸前国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

大和朝廷

築城年

神亀元年(724)

主な改修者

主な城主

大野東人

廃城年

遺構

政庁跡、築地跡、門跡、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国特別史跡(多賀城跡附寺跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

利府城(宮城県宮城郡)[3.3km]
遠藤館(宮城県仙台市)[3.4km]
岩切城(宮城県仙台市)[4.3km]
小鶴城(宮城県仙台市)[6.0km]
松森城(宮城県仙台市)[6.1km]
笹森城(宮城県仙台市)[6.3km]
花淵城(宮城県宮城郡)[8.7km]
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若林城(宮城県仙台市)[10.8km]
長命館(宮城県仙台市)[11.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

7 多賀城

設置場所

多賀城管理事務所[地図

多賀城の解説文

多賀城(たがじょう、たがのき)は、日本の律令時代に、陸奥国に設置された城である。現在の宮城県多賀城市市川字城前ほかに位置し、国府・鎮守府などに使われた。国の特別史跡に指定されている。

概要
畿内の大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として蝦夷との境界となっていた松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。創建は724年、按察使大野東人が築城したとされる。8世紀初めから10世紀半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われた。第1期は724〜762年、第2期は762〜780年で762年藤原恵美朝狩が改修してから780年伊治公砦麻呂の反乱で焼失するまで、第3期は780〜869年で砦麻呂の乱による焼失の復興から869年の大地震による倒壊まで、第4期は869〜10世紀半ばで震災の復興から廃絶までに分けられる。
多賀城創建以前は、郡山遺跡(現在の仙台市太白区)が陸奥国府であったと推定されている。陸奥国府のほか、鎮守府が置かれ、政庁や寺院、食料を貯蔵するための蔵などが置かれ、城柵で囲み櫓で周囲を監視していたと考えられる。多賀城が創建されると、国府が郡山遺跡から移され、黒川以北十群(黒川・賀美・色麻・富田・玉造・志太・長岡・新田・小田・牡鹿)に城柵・官衙とその付属寺院が設置・整備された。これらの設置・整備は律令制支配の強化を図るものであり、多賀城はそれらの拠点を後援する為の根拠地であった。

これにより当時の(狭義の)日本では、平城京を中心に、南に大宰府、北に鎮守府兼陸奥国府の多賀城をおくこととなった。

多賀城政庁に隣接し、陸奥国内100社を合祀する陸奥総社宮を奉ずる。陸奥国一ノ宮鹽竈神社を精神的支柱として、松島湾・千賀ノ浦(塩竈湊)を国府津とする。都人憧憬の地となり、歌枕が数多く存在する。政庁がある丘陵の麓には条坊制による都市(のちに多賀国府(たがのこう)と呼ばれる)が築かれ、砂押川の河川交通と奥大道の陸上交通が交差する土地として長く繁栄した。

建武新政期と南北朝時代初期、多賀城には陸奥将軍府が置かれた。奥州将軍府は多賀城の陥落後、将軍府の中心的武将、伊達行朝の所領である伊達郡の霊山に移転した。

歴史
724年創建。陸奥国府が郡山遺跡(現在の仙台市太白区)より北進移転。なお、文献上の出現は『日本後紀』の839年の記事である。
762年 藤原朝狩によって修繕されている。
780年 伊治呰麻呂の乱で一時焼失した後に再建された事が書かれている。
802年 坂上田村麻呂が蝦夷への討伐を行い、戦線の移動に伴って鎮守府も胆沢城(岩手県奥州市)へ移されて、兵站的機能に移ったと考えられる。
869年 陸奥国で大地震(貞観地震)が起こり、多賀城でも多くの施設が被害を受けた。この後復興していったが十世紀後半頃には維持、管理されなくなり、多賀城は次第に崩壊していった。
中世の前九年の役や後三年の役においても軍事的拠点として機能し、1097年にも陸奥国府が焼失している。南北朝時代には、後醍醐天皇の建武の新政において陸奥守に任じられた北畠顕家、父の北畠親房らが義良親王(後村上天皇)を奉じて多賀城へ赴き、多賀城に東北地方、および北関東を支配する東北地方の新政府、陸奥将軍府が誕生した。

近年では、曲水宴遺構が出土し、その編年の再検討も含めて注目されている。現在は特別史跡に指定され、政庁跡や城碑、復元された塀などが残されている。...

多賀城の口コミ情報

2020年09月19日 KAZ治部卿正勝
伏石[多賀城  遺構・復元物]



1287年に建てられた供養碑らしいっす(説明看板あり)
名前の由来は、伏せてある碑を立てたら疫病が流行したので再び伏せたことかららしいっす(^-^)
石の側面に文字が掘ってあるのが確認できるので、横倒し…なのでしょうか(・・?)

2020年09月19日 KAZ治部卿正勝
正殿跡[多賀城  遺構・復元物]



政庁正殿跡
基壇が復元されてて、礎石が並んでます(^-^)確か、16個の礎石は当時の物を使用してて南側の2列は確実に当時の物だった筈です。
建物の基礎だけだと、小さく感じますがARをダウンロードしとくと、大きさが
よくわかりました。(管理事務所にQRあり)
南側は、広い幅で石畳になってて感動でした*\(^o^)/*

2020年07月26日 大納言弾正尹魔太郎
陸奥総社宮[多賀城  寺社・史跡]



延喜年間(901~922)、陸奥国にあった100の神社の祭神を合祀して創建されたと伝えられ、塩竃神社に参拝するには、先ず総社宮に詣でることとされています。現在の拝殿は享保19年(1734)に建てられたもの。

2020年07月26日 大納言弾正尹魔太郎
壷碑(つぼのいしぶみ)[多賀城  碑・説明板]



芭蕉が感動し、『奥の細道』に「羇旅の労をわすれて泪も落つるばかりなり」と記した「壷碑(つぼのいしぶみ)」。
芭蕉が訪れた時は露天に放置されたままの石碑だったが、水戸光圀公が伊達綱村に保存措置を依頼し、覆堂が造られたという。「多胡碑」「那須国造碑」とともに日本三古碑の一つ。

2020年07月26日 大納言弾正尹魔太郎
館前遺跡[多賀城  碑・説明板]



発掘調査の結果、国司の館とみられる四面庇付建物跡を主屋とする建物群6棟が発見され、1980年に特別史跡に追加指定を受けました。

2019年07月22日 S陸奥守FUKU
多賀城



2度目の登城です。前回はスタンプを押印して下城しました。今回は写メを撮る➕陸奥総宮社で御朱印を得る目的です。

2019年05月26日 プリエミ
多賀城



奈良時代からの貴重な史跡。その割に大々的にアピールしてないのが逆に好感を持てる。
ボランティアガイドの方の説明も的確で大満足。
戦国時代の遥か昔のお城なのであまり残っているものがないのかもしれませんが、日本国の歴史を感じるいい史跡です。


2019年05月07日 安倍武蔵守宗任
多賀城碑[多賀城  碑・説明板]



奈良時代の石碑。
博物館にあるレプリカでは文字もはっきり読めますよ。藤原仲麻呂の息子、藤原惠美朝臣朝獦の名が書かれてます。羽振りのよかった頃ですね。

2019年05月07日 安倍武蔵守宗任
南門[多賀城  遺構・復元物]



南門跡から、正殿方面を。
階段を登りつめると正門、さらに東西に脇殿、そして奥に正殿…と。これだけの規模の建物があったら、そりゃビビるわ。

2019年05月07日 安倍武蔵守宗任
多賀城管理事務所[多賀城  スタンプ]

スタンプは管理事務所の入口横にパンフとともに置いてあります。城跡に行くとトイレ、自販機などはないので、ここで済ませましょう♫

2018年09月20日 石田大蔵卿いしのすけ
多賀城

スタンプ帳の情報が古く、最初 多賀城埋蔵文化センターへ行ってしまいました。休館日で、がっかりしたところに100名城スタンプはここにはありません。と紙が貼ってありました。多賀城跡管理事務所へ向かいましたが 道が若干わかりにくいです。あまり案内表示も途中ないです。バイクでしたがスマホナビを使って到着できました。スタンプはいつでも押せるようですが、見学の案内もやや不親切の気がしました。目の前がメインの見学ポイントなのに最初、やや離れた多賀神社の方へ行ってしまいました。同じ100名城の根城や続100名城の秋田城の方ががんばって整備やアピールしてるなーと感じました。

2018年07月01日 陸前守仙臺むすび丸JUN
多賀城

多賀城の百名城スタンプ設置場所が2018年7月1日より変更になりました。
以下は、日本城郭協会のホームページからの転載です。


2018年7月1日(日)より多賀城の日本100名城スタンプの設置場所が変更になります。

多賀城は現在(注:2018年6月30日まで)、多賀城跡管理事務所と国府多賀城駅の2か所で押印できますが、国府多賀城駅のスタンプが破損のために廃止になります。

7月1日以降は多賀城跡管理事務所でスタンプを押印してください。


百名城スタンプ押印する方は休館日等を事前に確認のうえ、ご来城ください。

2018年05月26日 cinelli2
多賀城

約900メートル四方という広大な城内は、発掘調査成果をもとに環境整備が行われており、平城京跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。

2017年09月17日 八代
多賀城

百名城スタンプですが今年の6月から多賀城内の管理事務所にも設置し始めたようです。多賀城神社の先の駐車場の前に管理事務所あります。

2017年05月19日 下総守ゆま就
多賀城

百城スタンプは仙石線多賀城駅から歩いて5分くらいの所にありますが、そこから多賀城跡までは廃寺跡を経由して30分近く、徒歩でかかりました。車でないと厳しいです。特に雨の日は。

2017年04月15日 丹後守 影丸
多賀城

最寄り駅ではないですが多賀城駅の観光案内所でレンタサイクルが借りられます。¥1000で電動無し、貸出は9:00〜16:30まで。資料館や多賀城廃寺跡等も見てまわりたい場合は便利かと。

2017年01月10日 大輔
多賀城

多賀城周辺には、陸奥国分寺があります。多賀城と国分寺は、繋がってます。東北歴史博物館とも関係があります。多賀城と陸奥国分寺の事わからなかったら東北歴史博物館に足をはこんでください❗️

2016年05月08日 播磨守あきら
多賀城

国府多賀城駅前の観光案内所で荷物を預かってくれました。ロッカーが数個ありました。もちろん無料です。ただ、案内所は15時までなのでお早めに。

2015年08月21日 永眠武蔵守釋 葱進
多賀城

国府多賀城駅そばの観光案内所は朝10時からです。時間前に着いた場合、パンフレットの類いはポストに入っていてそこから取り出すことになります。
多賀城碑経由政庁跡までは、道案内の看板が設置されているので迷わずに行けるでしょう。

駅反対側にある東北歴史博物館には、多賀城碑のレプリカや政庁復元模型があり、写真も自由に撮ることができます。

2015年06月18日 左衛門督ピロシキ
多賀城

陸奥総社宮まで行ってみて下さい。
道中にも遺跡がありますよ。

2014年08月14日 傾奇揚げ仙兵衛
多賀城

百名城スタンプは現在国分多賀城駅の連絡通路に有ります


2012年12月16日 Dr.K佐渡守
多賀城

2013年1月末まで政庁部分工事のようです

2011年10月08日 さくら主膳佑にゃ〜
多賀城

2011年10月15日(土)10:30〜発掘調査現地説明会が行われる様です。
多賀城の現説は今まで参加出来なかったし、今回こそは行きてぇなーなんて思ったら…休みだぁ(^ω^)ノ

2011年03月20日 tomm加賀守
多賀城

今回の地震で、地面にひび割れができたそうです。

2010年06月15日 のぼちゃん陸奥守
多賀城

陸前山王駅前の道路を塩釜方面に向かうと多賀城の遺跡があります。車の人は、信号を右折すると駐車場があります。(無料)多賀城の石碑と道路を挟んで政庁跡があります。詳しく知りたい人は、ボランティアの人が説明してくれますので、聞いて見てください。国府多賀城駅の所にある、東北歴史博物館もいろいろ発掘したものが展示されています。(博物館は、有料です)

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