石城(せきじょう)

石城の基本情報

通称・別名

所在地

愛媛県宇和島市吉田町立間尻

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

不明

築城主

西園寺氏

築城年

室町時代

主な改修者

土居清宗

主な城主

西園寺氏、法華津氏、土居氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

市史跡(石城跡)

再建造物

石碑

周辺の城

法華津本城(愛媛県宇和島市)[3.9km]
宇和島城(愛媛県宇和島市)[7.8km]
黒瀬城(愛媛県西予市)[8.7km]
白木城(愛媛県西予市)[15.2km]
河後森城(愛媛県北宇和郡)[17.2km]
飯野山城(愛媛県八幡浜市)[17.3km]
天ヶ森城(愛媛県宇和島市)[18.7km]
萩森城(愛媛県八幡浜市)[22.2km]
大洲城(愛媛県大洲市)[24.9km]
城ケ森城(愛媛県宇和島市)[26.4km]

石城の解説文



石城(せきじょう)は、愛媛県宇和島市吉田町にあった日本の城。宇和島市指定史跡[1]

概要 

石城は、吉田湾に流れ込む立間川と河内川に挟まれた御殿山に築かれた城である。城の南麓には江戸時代に宇和島伊達氏の分家伊達宗純が陣屋を築いている。

当初、黒瀬城の出城として築かれ、後に法華津本城の枝城となっていたが、天文15年(1546年)に西園寺実充の要請により、大森城主・土居清宗が一族を率いて石城に移り、城の大改修を行った。

同年、土居清宗は豊後大友宗麟による幾度の襲撃を退けたが、永禄3年(1560年)10月6日に再度大友氏に攻められ落城し、土居清宗・清貞父子は自刃した。

永禄9年(1566年)、土居清宗の孫土居清良が再度この地を領することになり、翌10年(1567年)に城を修築して土居似水を城代とした。永禄11年(1568年)、再度、大友勢によって攻められるが石城は落ちず、大友勢は退去しているが、これ以降の記録は確認されていない。

1974年(昭和49年)3月1日に当時の吉田町により町指定史跡となり、現在は宇和島市指定史跡。

石城の口コミ情報

2023年05月30日 十和主殿助邦花
犬尾城[石城  周辺城郭]

犬尾山頂の主郭まで徒歩3分程の場所に広い駐車場があり、車で登る事が可能。

まずは「吉田町ふれあい運動公園」を目指し、この施設北東の四辻で自動販売機が立つ東側に入る。標高130mの犬尾山はミカンの名産地に在り、急斜面のミカン畑の間を縫うような細い道路を登りきると広い駐車場に着く。
この駐車場はおそらく郭の一つだと思われ、犬尾城の大きな石碑や、立派なあずま屋がある。北方には石城跡の御殿山が見え、周囲の見事なミカン山も眺められる。

山道の入り口はあずま屋の裏。木々の間に付けられた石段を上がるとすぐに平らな主郭に出る。周囲は木々に覆われているものの、家一軒分程の地面は草木が生えておらず、しっかり固められている事が分かり、礎石かと思える平らな石も埋まっていた。主郭南側の斜面は、高さ1m程の石垣遺構が支えている。
主郭周囲の高い木々で四方を見下ろす事は叶わないが、ここは吉田湾を見張る最前線の城。海を越えて攻め来る大友宗麟軍を相手によく戦ったが最後は落城したという。

宇和島市指定史跡(旧吉田町指定史跡)。

石城の周辺スポット情報

 簡野道明記念吉田町図書館(遺構・復元物)

 吉田藩陣屋跡井戸(遺構・復元物)

 犬尾城(周辺城郭)

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