河後森城(かごもりじょう)

河後森城の基本情報

通称・別名

川後森城、向後森城、皮籠森城

所在地

愛媛県北宇和郡松野町松丸

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

渡辺連

築城年

建久7年(1196)

主な改修者

主な城主

河原淵(渡辺)氏、芝氏、戸田氏、藤堂氏、冨田氏、桑折氏(伊達氏家臣)

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀

指定文化財

国史跡(河後森城跡)

再建造物

門、建物、石碑、説明板

周辺の城

宇和島城(愛媛県宇和島市)[13.3km]
石城(愛媛県宇和島市)[17.2km]
四手城(高知県高岡郡)[17.4km]
白木城(愛媛県西予市)[20.1km]
法華津本城(愛媛県宇和島市)[20.3km]
天ヶ森城(愛媛県宇和島市)[20.3km]
三滝城(愛媛県西予市)[22.5km]
黒瀬城(愛媛県西予市)[24.0km]
宿毛城(高知県宿毛市)[31.7km]
中村城(高知県四万十市)[32.7km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)179 河後森城

設置場所

河後森城跡西第十曲輪馬屋[地図

河後森城の解説文

概要 

河後森城跡が位置する愛媛県松野町は四国の西南部、愛媛県と高知県の県境に位置する。河後森城跡は、町の中心を流れる広見川とその支流の堀切川・鰯川の3つの川に囲まれた独立丘陵上に立地し、標高が最大で約172m、平地部分からの比高差は約88mをはかる。

城域は約21ヘクタールで、最高所の本郭を中心に多数の曲輪が東西方向へ「馬蹄形」に展開する県内でも最大規模の中世山城である。なお、松野町には山城が河後森城跡を含めて17あり、県内でも山城が密集している地域のひとつである。

歴史 

河後森城跡に関する文献史料は乏しく不明な点が多いが、「黒土(くろつち)郷(ごう)河原渕(かわらぶち)領(りょう)」と呼ばれていた当地域は、伊予・西園寺氏と土佐・一条氏-長宗我部氏の諸勢力が及ぶ「境目」地域であった。

地域に伝わる古文書等から、河後森城跡には永禄年間初期までに一条氏側から迎えられた領主「河原淵(かわらぶち)教忠(のりただ)」の存在が知られている。その後、天正12年(1584)頃までにはこの地域が長宗我部氏の配下に置かれた可能性が高く、その翌年に行われた秀吉による四国平定以後、松野町を含む宇和郡一帯は小早川氏、戸田氏、藤堂氏、冨田氏の所領となり、その間河後森城にはそれぞれに城代が置かれていたらしい。そして、元和元年(1615)の一国一城令で軍事施設としての河後森城は廃城したのではないかと想定している。なお、その後も伊達秀宗筆頭の家臣桑折氏が7千石を領し河後森城に居住したと言われている。

遺構 

河後森城跡は平成9年9月11日に国史跡に指定され、平成11年度から整備に伴う発掘調査を継続的に実施している。これまでの調査は山の稜線部に形成された曲輪や谷部が主体で、特に西第十曲輪や本郭では発掘調査によって曲輪の利用が具体的に明らかになっている。

西第十曲輪では、曲輪の出入口にあたる北西側では当時の道をはじめ門跡や土塀跡、南西側の曲輪周囲では土塁から櫓や塀による防御施設に改変された痕跡を検出している。また、曲輪の外側斜面は急斜面の切岸(人工的な崖)となっており、さらにその外側には多数の堀切や竪堀状遺構が広がっていた。曲輪の中央部には2棟の掘立柱建物跡を検出しており、うち1棟は馬屋と番小屋が一体化した建物と想定している。

本郭では、城主の居所となる主殿舎をはじめ、台所や番小屋と想定している10棟の掘立柱建物跡を検出している。また本郭西部では石垣も検出しており、中世から近世に移行する過渡的状況を示している。

情報提供:松野町教育委員会


河後森城の口コミ情報

2024年09月18日 ようこ姫
河後森城

駐車場が上の方にあるので、歩く距離は短いのですが、狭い道、足元も悪く、元気な人でないとスタンプ場所まで行くのは、なかなか大変かなと思います。小学生が書いた案内板に元気が出ます!

2024年06月04日 noble左近衛大将弥勒菩薩
河後森城



河後森城の攻城記録です。

谷を覆うように馬蹄形に築かれた城郭です。駐車場は風呂ケ谷の谷中にあり、ここから登城開始です。

まず西側の曲輪群に登ります。斜面の途中、竪堀や横堀が復元されていますが、復元されている部分の前後があまりにも埋もれてほぼ全く遺構が見えないため、堀で復元のために掘られた部分がいかにもちょっと白々しく見えてしまいます。掘られた部分がコンクリで固められてしまっているのもちょっとどうかと思います。

登って最下段の曲輪には馬屋が再建されています。中には、“トロイの紙馬”が草を食んでいました。この辺りは微笑ましい。良い復元だと感心。

ここから段差のある各曲輪を登り、最高峰の主曲輪へ。途中、中学生でも飛び越えられそうな堀切がいくつかあります。

主曲輪には建屋跡が発見されているらしく、位置が分かるようにコンクリで表示されています。

続100名城ということで、それなりな整備復元が行われたものと思われます。また、地元の小学生がそれに携わり、いろいろな案内板を書いてくれています。ここは大変GOOD!

地元のお城の歴史や普請について、知識を得られたものと思います。

古城と新城の方は夕闇が迫っておりまして残念ながらパスしました。

以下はちょっと悲しかったこと。登山者ノートに、『スタンプ押したいのに、こんな上まで斜面を登らせて熊やヘビが出てきたらどうしてくれるの?私は60代半ばで足腰も弱く、麓とかに設置場所を考えてほしい。雨だし最悪だった』

という、哀しい書き込みがありました。

山城登りは基本的に自己責任の範疇が多いのです。それでも登りたい、遺構を自分の目で見てみたい、だから登るのです。

スタンプが押したいから、がメインで、山城を実際に確認するのは2、3番目以下、では本末転倒です。

また、毎週のように小学生たちが整備に来てくれているようので、大人なのにすごく哀しい書き込みと思いました。

山城(というか、自分的にはせいぜい平山城くらいかと思いましたが)に登るのに動物と遭遇するのは全くおかしなことではないですし、そのノート読んだ小学生はホントに哀しいだろうなーと考えてしまいました。

あ、ついでに言えば、自分も歩いてる直前で何やら眼前をシュルシュルッと横切る、ムチみたいな個体を久しぶりに見ました。“ヘビ”!

鹿、猪、猿は場所によっては結構見ますが、ヘビは最近なかなか見ることがなかったので。

あれだけ日頃整備されている地元の小学生、教師の方に感謝します。良かったですよ!

2024年03月14日 RED副将軍
河後森城



馬蹄形の尾根筋に連なる郭群が美しい渡辺教忠の居城🏯

続日本100名城

築城年代は不詳。
天文時代後期から永禄年間、天正年間(1550年頃〜1592年)にかけて機能したと考えられています。
戦国末期には城主に河原淵(渡辺)教忠の名が残ります。
河原淵教忠は、土佐一条氏の庶流である東小路教行の次男であり、一条氏の伊予進出の布石として西園寺氏重臣であった渡辺政忠の養子となった経緯のある人物で、西園寺十五将の筆頭となりました。
しかし、1567年に一条氏が南予に侵攻した際に、出兵命令を断ったため主君の西園寺公広に攻められ降伏しました。
1575年に四万十川の戦いで一条氏が長宗我部氏に敗れて没落すると、河後森城は長宗我部氏との最前線となり、渡辺教忠は度々の長宗我部氏による侵攻を食い止めるも、度重なる戦乱により家臣の分裂が生まれ、1580年には重臣であった芝政景が長宗我部氏に寝返り、謀略により河後森城は奪われてしまいました。その後は芝政景がそのまま城主となったとみられ、長宗我部氏に通じて西園寺氏と敵対した様です。
1585年に豊臣秀吉が四国平定をすると、長宗我部氏は土佐一国のみを安堵され、南予は戸田勝隆の所領となり、河後森城にら客将として安見右近が入封しました。
1594年に戸田勝隆が没すると嗣子がいなかったため、藤堂高虎の所領となり、宇和島城を築城。その際に河後森城の天守を宇和島城の月見櫓として移築したと伝わります。
1608年に藤堂高虎が転封となると、富田信高が入封となり、1614年には伊達政宗の子である伊達秀宗が宇和島藩を立藩すると、付家老の桑折氏が河後森城に入城しました。
しかし、翌1615年の一国一城令によって廃城となったと考えられています。

見所
四万十川の支流である広見川、その支流の堀切川と鰯川の三つの川に囲まれた独立丘陵上に築かれています。
風呂ヶ谷をとり囲む様に馬蹄形の尾根筋に郭群が連なります。
最高所の本郭を中心として、西は西第二から西第十までの九つの郭が、東は東第二から東第四、古城から古城第四の七つの郭が、南には新城の郭群が階段状に連なっています。
新城からは馬蹄形の尾根筋がよく見えます。但し、夏期は樹木の葉で視野が遮られていましたが、落葉後の冬期に再訪するとスッキリしていたのでオススメです。

国史跡に指定されており、駐車場完備で非常にキレイに整備されています。比高は70mほどしかありませんが城域は広いので相応の時間がかかります。

写真
①新城から馬蹄形の尾根を臨む
②③風呂ヶ谷から本城を見上げる
④⑤西尾根の郭群
⑥⑦⑧東尾根の古城の郭群

2024年03月13日 レオン
河後森城



伊予と土佐の国境の山間地に位置し清流四万十川の支流広見川を臨む馬蹄形状の山城です。

R6年3月現在 西第十曲輪から本丸まで登る木造階段が腐ちていました。階段横から登れましたが狭いので注意が必要です。

西第十曲輪南側の切岸沿いに新しく堀切と連続した4本の竪堀が整備され…分かりやすくはなったかと思います。第十曲輪には まだ直接行けませんでしたが本郭と同様に整備が続いてるようです。

春には自生するオンツツジが新城側に美しく咲き誇りますがマムシも出ます🐍お気をつけください😊

2023年12月19日 ずば刑部卿
河後森城



細い山道でかなり足元が悪かったです。リア攻めには、注意が必要です。

2023年11月26日 上田図書頭雪娘
河後森城

松丸駅から駐車場まで五分ほど。西十郭まで徒歩15分。整備も行き届きとても見やすい状態でした。今がおすすめです。

2023年09月19日 飛騨守マックイーン
河後森城



松丸駅で登城マップをもらうことをおすすめします。またマップどおり風呂ヶ谷駐車場からがいいと思います。道は細く滑りやすいところもあり、場所により右側が崖の場所もありバランス崩したら…と怖かったです。
とはいえ曲輪群が素晴らしく、本郭からの眺望も素晴らしかったです。
3枚目の写真が本郭から望む西第十曲輪です。建物がスタンプ設置場所になります。
1時間半くらいで駅に戻り、併設の温泉でスッキリしました。

2023年07月04日 タケロー
河後森城跡西第十曲輪馬屋[河後森城  スタンプ]



続日本100名城のスタンプは24時間営業。しかし、夜間の来訪はかなりの勇気もの。

2023年05月10日 ぺこたん副将軍
河後森城



素晴らしい城跡でした。景色もサイコー!地元の小学生が調べてくれた資料もいたるとこにあり、とても勉強になりました!

2023年05月05日 マオ
河後森城

河後森城に行って来ました!とても斜面が急で、「落ちてしまうかもしれない😱」とハラハラしながら登りました。ですが、河後森城は山城なのでとても眺めがよかったです。ぜひ、河後森城に行ってみてください!!!😆(歩くときは、足元に気をつけて下さい😋)

2022年07月19日 関白 大神信貫
河後森城

小学生が作った新聞や解説板などあり。わかりやすいと思いました。本郭・西の郭・古城・新城など意外に規模は広めです。

2022年05月16日 本多太政大臣寛兵衛
河後森城

スタンプを獲得したいのでしたら、西第十曲輪を目指してください。風呂ヶ谷駐車場からの登城が楽です。駐車場からだいたい10~15分程度で上がれます。が、結構急な山道ですので、夜や雨の日はやめた方が良いです。

新城やその他の曲輪も見ることができますので、スタンプだけではもったいないお城だと思います。4時間くらいあれば全貌を見ることができそうです。

2022年05月04日 やまてつ伊予守
河後森城



御城印が出たと聞いたので、出かけました。芝不器男記念館で購入できます。記念館のすぐ側のお寺からも、登城できると職員に教えられたので行ってみると、短時間で本郭に着くことができました。

2021年11月11日 城大蔵卿マニアケン
河後森城

マイカーの方は風呂ケ谷駐車場ご利用ください。松野町ホームページにマップあり。

2021年08月10日 tower428太閤
河後森城



松丸駅にたどりつくには電車の本数が少ないので気を付けてください。登山なので動きやすい靴で行く事をオススメします。

2021年07月26日 遼来来
河後森城

綺麗に整備されている山城です。夏に行くと倒れそうになります。ちゃんと準備をして、登城してください。

2020年11月08日 武蔵守ランド
河後森城



思っていた以上に登城しがいのある城でした。マップないと迷いそうなのて、観光案内所などで入手することをお勧めします。私、それでも迷いそうでした。

2019年12月26日 めぐちゃん備前守
河後森城

松山から宇和島まで特急で行き虹の森公園行きバスで松丸下車。帰りは1時間あとなので永昌寺の裏の緩やかな登山道を登りすぐ右手の本丸を攻略。スタンプは本丸から左手を見ると建造物がある。その馬屋にあります。帰り急ぐならスタンプ押したら同じ道を引き返せばバスに間に合う。楽しみたいなら更に進んで風呂谷まで足を伸ばし新城も攻略できる。5月ならオンツツジが、秋は紅葉が美しい。松丸駅構内のポッポ温泉♨️も駅舎の中にあるのが珍しい。
街中の酒屋さんの地酒野武士も捨てがたい。

2019年11月04日 参議うっちぃ
河後森城



現地は所々に小さな標識があるので、道に迷う場所はあまりありません。迷うとしたら写真にある一番最初の森の中で、スタンプのある西第10曲輪に行くには正面にある目立つ登り道ではなくて、左のやや細い道を登ります。途中の道は整備されていますが、かなり細くすれ違うのが大変なので 逆に進むのはやめた方がいいかもです。あと雨の日やその後はかなり滑りやすいので、注意が必要です。鉄道かバスで来た人は東第三曲輪から永昌寺に降りるルートで帰ると思いますが、永昌寺までの道は細くてやや傾いていて少し危険です。城のHPでは70分と書かれていますが、2時間みておいた方が無難です。

2019年06月08日 しおうまる美作守
河後森城



本郭南斜面のこの地点では、城が使用されていた当時の道を検出しています。発掘調査によって確認した道は、全長約16mの範囲であり、山の岩盤を削ることによって平坦面を作り出したものです。

幅は約1.2から2.2mで広狭の差があり、用途不明ながら部分的に柱穴跡も見つかっています。また、急斜面となっているためか、道の表面には、使用の際の足がかりとなるように岩盤が波のように削ってある跡が残っていました。

ここでは、発掘当時の様子がわかるよう、部分的に擬岩を用いた展示を行い、当時の様子を再現しています。(説明板より)

2019年03月29日 ぎょしん
河後森城

山城でも、展示の仕方がとても上手なところです!
現在地の表示、案内板、家屋や空堀の復元など。木々の伐採もしていて、縄張りがよくわかります。
特質すべきは、地元の子どもたちが、展示に参画していること。郭を巡っていても、ほのぼのと感じます。
あと、タヌキに遭遇しました!
運がよければ、出迎えてくれるかもしれませんよ♪

2018年05月07日 ゆきむら長門守
河後森城

国道381号線から県道8号線に入ります。ここまでは大きな標識が出ています。最後の標識から中央線の無い道に入ったら一番最初の交差点を右折。倉庫兼トイレの『やまぶき庵』を右に見て、その先の分岐を右折。道なりに行けば駐車場です。(交差点と分岐には小さな案内板あり)
駐車場から山に入り、その先の広場から一番左のコースを取れば第十曲輪です。
スタンプは24時間おせますが日没後の登城はおすすめ出来ません。雨が降ると山道ゆえにドロドロになります。
松丸駅に小さいながらもキレイな温泉がありますよ♨

2017年12月24日 織田上総介晃司
河後森城

国道からは案内板がありますが、その後は案内板が小さくなってるので見落とし注意。
城下の駐車場に停める。
駐車場からはトイレは無いので、道中のトイレで済ませたほうがいいです。

まずは西第十曲輪を目指して勾配のある道を登ると復元門、馬屋と土塁が出迎える。
馬屋の馬がかわいい。

西曲輪、堀切、本郭、古城、新城と山の峰を馬蹄型に形成している城郭を約40分かけて見てまわると冬でもうっすら汗をかきます。

続百名城スタンプ帳ができるからか、訪れた日(2017/12/23)に伐採作業をされてました。


2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
河後森城

近くに道の駅があり、道路標識も河後森城はこっちと言う感じで出てますが、何故か最後の右折前の看板は小さく分かりにくいです。
駐車場はあります。
トイレは駐車場迄行く途中の公道にあるのはみました。
遺構はかなり広いです。
一時間以上掛けてじっくり見る必要があります。
自生の躑躅が人の背より高いところで咲いていて綺麗でした。
躑躅の季節に行くのがお勧めです。


2016年05月31日 コロ助
河後森城

松丸駅から、風呂ヶ谷登城口は徒歩15分。永昌寺登城口は徒歩5分。
駅前に松丸バス停もありますが、電車もバスも本数は少ないです。

駅のお城パンフレット置場が空だったので尋ねたら、今切らしているそうです。駅構内に展示用としてパンフの両面が掲示してあるので、写真に撮って活用しました。また、パンフが無くても案内板が小まめに出ているので迷うことはないです。

風呂ヶ谷登城口から登った方が西第十曲輪から本郭まで曲輪が階段状に上っていく感じがより感じられると思います。
きちんと整備されていて、西第十曲輪の馬屋にはダンボールで作られた可愛い馬が2頭居ました。
本郭から古城への下りが急ですが、ちゃんと虎ロープが張ってあります。古城第二曲輪の大堀切は見事。

駅に『森の国ぽっぽ温泉』という入浴施設があります。露天風呂や酒樽を利用したお風呂があるみたいですが、バスの時間の為残念ながら入れず。足湯は無料です。

2015年10月16日 まー刑部卿
河後森城

先人の口コミ利用して松丸駅でウォーキングマップ兼パンフレットをget。駅のおばちゃんが『駅に停めて歩いていってみたら?』と言われ歩きましたが約20分で到着しました。
全部回って約2時間弱でした。

2013年04月01日 三日左馬助落人
河後森城

H25/3/29の現地説明会で、いくつか興味深い説明が聞けました。

まず、調査当初に武家屋敷跡と思われていた遺構は、江戸期以降のものであったこと。
さらにその下の織豊期と想定される地層からは、鉄滓(鉄を精練した残りかす)を多量に含む炭化層があり、広い範囲でそれが確認されそうなこと、などなど。
実際に発掘された鉄砲玉なども間近に見せてもらえましたが、戦国期のこの城ではさかんに鍛冶が行われていた可能性が高いようです。

ここがただの城砦ではなく、もしかすると一種の「軍需工場」だったかも知れない…
なんて妄想も交えつつ、フィールドワーク気分で巡られるのも楽しいかと


2012年12月31日 【隠者】史学会帰新参
河後森城

松丸駅に河後森城のパンフレットとウォーキングマップが置いてある。城内はよく整備されている。
本郭と西第十曲輪は建物や平面復元されて説明板も設置されている。

2011年04月30日 ブイシカ摂政
河後森城

町の丁寧な案内板に導かれて駐車場へ到着、遊歩道があり森林浴気分で城巡りが楽しめる。自生ツツジの道もあり花好きにも最適、汗をかいた後は近くの「ぽっぽ温泉」で一浴。ビールも呑めれば最高たが…

2010年11月20日 June02
河後森城

最寄りの松丸駅二階は、併設されている温泉施設です。足湯は、無料。予土線は、1日8往復しかないのでご注意を。

河後森城の周辺スポット情報

 井戸(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 本郭(遺構・復元物)

 (遺構・復元物)

 古城(遺構・復元物)

 新城(遺構・復元物)

 河後森城跡 移築城門(遺構・復元物)

 高森城(周辺城郭)

 井関城(周辺城郭)

 岡本城(周辺城郭)

 芝不器男記念館(御城印)

 河後森城跡西第十曲輪馬屋(スタンプ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 道の駅 虹の森公園(その他)

 登城口(その他)

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