天ヶ森城(てんがもりじょう)
天ヶ森城の基本情報
通称・別名
- 天ケ森城
所在地
- 愛媛県宇和島市津島町岩松天ヶ森
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 越智氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 越智氏、清家氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
宇和島城(愛媛県宇和島市)[11.7km]
石城(愛媛県宇和島市)[18.7km]
河後森城(愛媛県北宇和郡)[20.3km]
久良砲台(愛媛県南宇和郡)[20.6km]
法華津本城(愛媛県宇和島市)[22.2km]
城ケ森城(愛媛県宇和島市)[23.1km]
宿毛城(高知県宿毛市)[27.0km]
黒瀬城(愛媛県西予市)[27.0km]
白木城(愛媛県西予市)[32.4km]
飯野山城(愛媛県八幡浜市)[33.3km]
天ヶ森城の解説文
[引用元:Wikipedia「天ヶ森城」の項目]
天ヶ森城(てんがもりじょう)は、愛媛県宇和島市にあった日本の城(山城)。
概要
標高334mの山頂に築かれ、出丸、本丸、馬場の三段構造となっていた。
津島殿と称された越智氏は宇和郡に1万石を領有し、釈迦ヶ森城、かひの森城、秀松城などに在城した後、当城を本拠にしたとされる。天正8年(1580年)に当城は長宗我部氏に攻められて落城し、城主の越智通繁は自害している。その後は越智通顕が城主となったが嗣子がなかったため勧修寺氏から養子を迎え、通顕の死後は清家氏が当城に城代を送っている。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(38.愛媛県)』、角川書店、1991年
- 日本歴史地名大系 (オンライン版)
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天ヶ森城の口コミ情報
2024年03月02日 レオン
天ヶ森城
標高334m 天ヶ森山頂の要害の地に築城✨
戦国時代 伊予国宇和地方で活躍した
西園寺15将 越智通繁の居城です
四万十川の戦いでは一条兼定の義軍に加わり国境を越え長宗我部軍と戦うも敗北…
逆鱗に触れ居城も攻め落とされました。
近くに商店街の🚻🅿があり土日は無料でした。平日でも100円程だったと思います。
登城口は少し分かりにくい所でした
右手側に集積所 左手に朱色の民家の間の小道を入ると小さな手書きの案内板があります
登城路は整備されていますが 登山初心者の私には厳しい道のりでした💦山頂主郭までは1時間程かかったと思います。登山靴じゃないと厳しいかも…
ところで山に登ると何故か鼻水が止まらなくなるのは私だけかな?😅
登り始めは石積の段畑が続きます。
縄張り図が探せなかったのですが…
かなり登った四電の鉄塔がある所から
城域みたいです。
地蔵堂がある白砂山は出城が築かれた曲輪です。そこからピンクリボンを頼りに登り 竪堀や堀切 曲輪群が続き監視哨跡では宇和海を望む絶景が楽しめます🤩
本丸と神社跡の曲輪は広くて石塁付きの高い土塁で囲まれています。
一番の見所は本丸と馬出し間の岩盤を削った大堀切✨何処にあるか分からず彷徨いましたが発見した時は疲れも忘れ感動しました🥰
2019年01月14日 ゆみ
天ヶ森城
砂地なところらしい