久良砲台(ひさよしほうだい)

久良砲台の基本情報

通称・別名

高野長英築造の台場、御荘砲台

所在地

愛媛県南宇和郡愛南町久良4477

旧国名

伊予国

分類・構造

台場

天守構造

なし

築城主

高野長英

築城年

嘉永3年(1850)

主な改修者

主な城主

宇和島藩

廃城年

遺構

土塁、石塁

指定文化財

県史跡(高野長英築造の台場跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

宿毛城(高知県宿毛市)[15.4km]
天ヶ森城(愛媛県宇和島市)[20.6km]
宇和島城(愛媛県宇和島市)[31.7km]
栗本城(高知県四万十市)[33.2km]
中村城(高知県四万十市)[34.8km]

久良砲台の解説文

愛媛県南宇和郡愛南町久良4477に所在する県指定史跡であって、昭和25年10月10日に指定された。「御荘砲台」または「久良砲台」と呼称することがあるが、全てこれと同じものである。

深浦湾の南西端に突き出た天嶬鼻の断崖上に、高野長英の設計にかかる砲台(台場)跡がある。海面から約20mの小台地にあって、広さ33aの平坦地に、高さ1.0mから1.5mの石塁を築き、大砲2門を構えていたようである。

幕末、各藩は海岸防備のため、要害の地に砲台を築造した。藩軍備の近代化に取り組んでいた宇和島藩第8代藩主伊達宗城は、蘭学書の翻訳と軍事研究のため高野長英を宇和島に招いた。長英は、名を伊藤瑞渓と変え、オランダ兵学研究や著作に携わり、『砲家必読』・『三兵答久知機』・『知彼一助』等の翻訳を行うと共に、藩の求めに応じてこの砲台の設計を行った。

長英は、嘉永2年(1849)に僅か一年余りで宇和島を去るが、砲台は嘉永3年5月頃完成しており、当初は2門のシャクリウチ砲(火縄使用)であったが、後の鵞管(雷管)打ち砲に改良された。

平成元年(1989)11月、宇和島伊達事務所において、長英直筆の「砲場土図」や「久良砲台絵図」などの多数の砲台場関係資料が発見された。これらの資料によると、試射の結果、10発中9発が標的近くに命中しており、優秀な砲台であったことをうかがい知ることが出来る。

尚、この砲台右下の海岸には『愛南町指定史跡 天嶬(てんぎ)の砲台場石塁』が所在するが、これは『高野長英築造の台場』に関わる施設の一部であって、砲術師らの屋敷を防護するために築いたものである。

通行上の注意:久良の集落を抜けてから先の道は極めて狭いため、軽自動車ないしは二輪車で訪れるのが良い。

情報提供:愛南町教育委員会生涯学習課

久良砲台の口コミ情報

ブイシカ太政大臣様[2014年01月03日]
南レク近くの入り組んだ町道を天儀鼻方面に進むと、大型車では厳しいガードレール無しの山道に出くわす。そこを徒歩で一キロ歩くと砲台跡に到着できます。説明がしっかりしているので、高野長英を匿ってまでして海防にかけた宇和島藩の意気込みが理解できますが、落石と烏の大群、行き違いの軽トラにくれぐれもご注意下さい!

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