法華津本城(ほけつほんじょう)
法華津本城の基本情報
通称・別名
- 法華津城
所在地
- 愛媛県宇和島市吉田町法花津
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 法華津氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 法華津氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- 市史跡(法華津本城跡)
再建造物
- -
周辺の城
-
石城(愛媛県宇和島市)[3.9km]
黒瀬城(愛媛県西予市)[4.9km]
宇和島城(愛媛県宇和島市)[11.6km]
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城ケ森城(愛媛県宇和島市)[26.8km]
法華津本城の解説文
[引用元:Wikipedia「法華津本城」の項目]
法華津本城(ほけづほんじょう)は、愛媛県宇和島市にあった日本の城(山城)。宇和島市指定史跡[1]。
概要
法花津湾に突出した標高43.5メートルの丘陵上に位置し、三方は絶壁で途中に3段の石垣が築かれていた。法華津氏(清家氏)が犬尾城から移した同氏の本城であり、当城を囲むように存在した6つの砦(新城、鍋蔵城、今城、高森城、福之森城、吉岡山城)と合わせて法華津七城と呼ばれた。
領地として高四千四十余石を領する。
当城は南北朝時代に築かれたともいわれ、伊予西園寺氏を守る重要拠点となった。築城年代については今治市大三島町宮浦東円坊の『東円坊大般若経奥書』に、応永28年(1421年)に「法華津在城」とあることから、15世紀初頭頃とする意見もある。
天文(1532年-1555年)から永禄年間(1558年-1570年)にかけて大友氏の水軍により侵攻を受け、法華津前延らは宇和海の水軍を率いてこれを迎撃した。また、土佐一条氏を助けて長宗我部氏と対峙した時期もあった。天正13年(1585年)に四国の役が行われ、前延は降伏して小早川隆景の下で九州征伐に従軍した。その後、筑紫国に去ったともいう。
1974年(昭和49年)3月1日に当時の吉田町により指定史跡となった。現在は宇和島市指定史跡。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(38.愛媛県)』、角川書店、1991年
- 日本歴史地名大系 (オンライン版)
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法華津本城の口コミ情報
2023年08月28日 スイトピー❁伊予守
法華津本城
法華津本城の城跡は、みかん畑になっており残念ながらかなり消失しています。以前は、分かり易い登り口があったのですが、2018年の西日本豪雨で無くなってしまいました。その後法華津本城下の町並みを守る為に、大規模な擁壁工事が行われており、お城としては、残念な姿に変貌しておりました。
日吉神社方面の、みかん畑から行けるかも知れませんが不明です。此方は畑の所有者さんに許可が必要かと思います。
登城には、前述した擁壁工事の側(法華津本城の東側)から登城する事が可能です。(2020年6月当時)
投稿写真より確認出来るかと思いますが、擁壁を斜めに走る通路がありますのでこちらを登って頂くと、ちょうど本丸から二ノ丸(法華津本城は最南が本丸とされています。)に辿り着きます。夕日のタイミング時は絶景です。但し途中から急坂なのでくれぐれもお気をつけ下さい。
また夏の時期は、草が茂っており確認が難しいかもしれません。車は擁壁近くの空き地スペースに駐車可能でした。
なお、現在も豪雨災害の工事は行われていますので現場の状況を確認の上、安全な行動をお取りください。