萩森城(はぎもりじょう)
萩森城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛媛県八幡浜市大平
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 宇都宮清綱
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 宇都宮氏
廃城年
- 天正13年(1585)?
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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-
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萩森城の解説文
[引用元:Wikipedia「萩森城」の項目]
萩森城(はぎもりじょう)は、愛媛県八幡浜市にあった日本の城(山城)。
概要
標高200mほどの山に築かれ、高森城、城高城、飯森城が支城として存在した。
宇都宮清綱が嫡男の宇都宮豊綱に大洲城を譲った際、次男の宇都宮房綱らを連れて萩森城に隠居して7,800石を知行したという。
天正2年(1574年)、大野直之によって城が落とされ、房綱は豊後の大友宗麟を頼って落ち延びた。
しかし、天正7年(1579年)、家臣の梶谷景雄、景晴、良景が高森城及び当城を奪還、房綱を豊後より呼び戻し、房綱は再び城主として帰り咲いた。
天正13年(1585年)の四国の役にて、小早川隆景の進攻をうけて開城、その後廃城となった。
参考文献
- 日本歴史地名大系 (オンライン版)
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