萩森城(はぎもりじょう)

萩森城の基本情報

通称・別名

所在地

愛媛県八幡浜市大平

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

宇都宮清綱

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

主な城主

宇都宮氏

廃城年

天正13年(1585)?

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

飯野山城(愛媛県八幡浜市)[7.9km]
大洲城(愛媛県大洲市)[11.0km]
黒瀬城(愛媛県西予市)[13.5km]
米津城(愛媛県大洲市)[15.4km]
中尾城(愛媛県西宇和郡)[17.9km]
法華津本城(愛媛県宇和島市)[18.3km]
白木城(愛媛県西予市)[20.3km]
石城(愛媛県宇和島市)[22.2km]
曽根城(愛媛県喜多郡)[23.4km]
宇和島城(愛媛県宇和島市)[29.9km]

萩森城の解説文



萩森城(はぎもりじょう)は、愛媛県八幡浜市にあった日本の城(山城)。

概要 

標高200mほどの山に築かれ、高森城、城高城、飯森城が支城として存在した。

宇都宮清綱が嫡男の宇都宮豊綱に大洲城を譲った際、次男の宇都宮房綱らを連れて萩森城に隠居して7,800石を知行したという。

天正2年(1574年)、大野直之によって城が落とされ、房綱は豊後の大友宗麟を頼って落ち延びた。

しかし、天正7年(1579年)、家臣の梶谷景雄、景晴、良景が高森城及び当城を奪還、房綱を豊後より呼び戻し、房綱は再び城主として帰り咲いた。

天正13年(1585年)の四国の役にて、小早川隆景の進攻をうけて開城、その後廃城となった。

参考文献 

  • 日本歴史地名大系 (オンライン版)

萩森城の口コミ情報

2025年02月24日 生駒讃岐守江現蔵✿
飯森城[萩森城  周辺城郭]



伊予国飯森城は、八幡浜市の標高200mほどの山の尾根に築かれています。築城年代は不明ですが、萩森城の支城で、得能彦右衛門によって築城されました。

1572年に豊後の大友氏などが西宇和郡に攻め入り、飯森城にも攻め寄せましたが、落城せず持ちこたえました。

2月の天気が良いリア日和、直登クラブ6人が初めて全員揃い、本日の3城目です。1城目の飯野山城で2城分の体力を使いましたが、師匠から縄張り図をもらってテンションアップ、疲れが吹っ飛びました。

墓地に車を止めて、山道を登るとすぐに堀切がありました。下から見上げる畝状竪堀軍は、近くに登録城が無くて口コミ出来ない土佐の室津城を彷彿させるぐらい圧巻です。10以上のさまざまな形の曲輪、角形堀切、石積み、土塁、岩盤から折れて落ちる竪堀など見所満載です。

ただ残念なのは、主郭と周辺の曲輪は、金鉱が出るという噂で掘られた穴でボコボコに荒らされています。かなり深い穴が広範囲にありました。詳細は不明ですが、きっと金は出なかったのでしょう。

城域までの道は分かり易かったので、帰りは迷う事なく墓地まで戻れました。面白い山城なのでオススメです。1時間20分の楽しい山歩きでした。

2025年02月24日 生駒讃岐守江現蔵✿
萩森城



伊予国萩森城は、八幡浜市の標高200mほどの山に1532年〜1555年に宇都宮清綱によって築かれたと伝えられます。清綱は子の豊綱に家督を譲り、三男房綱とともに大洲城から萩森城に移り隠居しました。1574年、長宗我部氏と通じた大野直之によって攻められ落城しました。

2月の天気が良いリア日和、直登クラブ6人が初めて全員揃い、本日の2城目です。

みかん畑を進むと主郭には四国電力の送電鉄塔が建ち、その北側に一段下がってみかん畑となった削平地があります。西側には腰曲輪があり、北側から東側に回り込むと石積みを発見しました。南側は竹藪で切岸はあっても全く写真映えしません。

ランチタイム後のデザートにちょうど良い、30分ほどの楽しい山歩きでした。

萩森城の周辺スポット情報

 飯森城(周辺城郭)

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