米津城(よなづじょう)
米津城の基本情報
通称・別名
- 滝ノ城、津々喜谷城
所在地
- 愛媛県大洲市米津
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 津々喜谷(宇都宮)行胤
築城年
- 建武年間(1334〜1338)?
主な改修者
- -
主な城主
- 津々喜谷氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
大洲城(愛媛県大洲市)[7.3km]
曽根城(愛媛県喜多郡)[11.3km]
萩森城(愛媛県八幡浜市)[15.4km]
由並城(愛媛県伊予市)[16.3km]
白木城(愛媛県西予市)[22.1km]
飯野山城(愛媛県八幡浜市)[23.0km]
黒瀬城(愛媛県西予市)[24.2km]
太田城(愛媛県喜多郡)[25.2km]
千里城(愛媛県伊予郡)[27.6km]
松前城(愛媛県伊予郡)[28.7km]
米津城の口コミ情報
2024年01月12日 織田上総介晃司
ンョ゛ハー゛[米津城 その他]
米津城を肱川沿いに下った長浜地区にネットで話題になった「ンョ゛ハー゛」
ネットで紹介されると「なんて読むの?」「読めない」と反響。
挙句の果てには正しい発音(非公式)まで動画がアップされる。
実際、このままだと読めない…
2021年02月25日 た〜坊 対馬守
滝山城[米津城 周辺城郭]
別名:田風呂喜城
縄張構成:連郭式
曲輪規模:260×20
遺構:6曲輪、堀切、石垣、盛土
天正13年(1585)まで220年間存続
久保氏の居城
瀬戸内海と大洲盆地を結ぶ要衝の地
2021年02月25日 た〜坊 対馬守
石堂城[米津城 周辺城郭]
曲輪構成:連郭式
曲輪規模:65×20
遺構:2曲輪、石垣
土豪的小領主が経営
2021年02月25日 た〜坊 対馬守
成能城[米津城 周辺城郭]
別名:成野城
曲輪構成:連郭式
曲輪規模:100×20
遺構:7曲輪、堀切
2020年05月05日 西市正紫雲
るり姫伝説[米津城 碑・説明板]
1 米津城、津々喜谷氏居城。
2 滝と花見の名所ですね。
3 乳切木=契木術。棒に石突きと鎖分銅を取り付けた武具。かつては農村で一般的に使われたらしい。本来は、運搬、計量のための民具。
4 1579年、長宗我部軍の襲来!
2020年05月05日 西市正紫雲
るり姫伝説[米津城 碑・説明板]
5 手裏剣!!吹き矢!!静流長刀!!これは、薙刀だと思われます。
すげー( ̄□ ̄;)!!
6 史実では、長宗我部軍は、一度撤退していきました。
7 るり姫隊、めちゃ強い!
8 侍女さん、そんなこと大声で言っちゃだめ!
9 史実では、翌年またも長宗我部軍襲来。
2020年05月05日 西市正紫雲
るり姫伝説[米津城 碑・説明板]
10 無念…
11 データ欠損。誰かお持ちの方、補完お願いします。
12 13 14
悲しい話やなぁ(>_<)
2005年1月2日撮影
この紙芝居が、まだあるかどうかは
わかりません。
るり姫祭りは、続いているようです。
2018年01月29日 普賢菩薩
米津城
予讃線伊予白滝駅から500mで白滝の入り口。この崖上に米津城があった。長宗我部の大軍が攻めてきた折、城主の妻るり姫は娘子軍を率いて吹き矢や手裏剣で応戦。最期は2歳の世継尊雄丸を抱き、雌滝に身を投じた。毎年11月23日に慰霊の祭事が行われるという。雌滝の落ち口に親子観音がある