大洲城(おおずじょう)

大洲城の基本情報

通称・別名

比志城、地蔵ヶ嶽城、地蔵岳城、大津城、亀ヶ城

所在地

愛媛県大洲市大洲903

旧国名

伊予国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

複合連結式層塔型[4重4階/1609年築/破却]、複合連結式層塔型[4重4階/2004年再/木造復元]

築城主

宇都宮豊房

築城年

元徳3年(1331)

主な改修者

藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰

主な城主

宇都宮氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、櫓、石垣、横堀

指定文化財

国重要文化財(台所櫓・南隅櫓・高欄櫓・苧綿櫓)、県史跡(大洲城跡)

再建造物

天守、塀、石碑、説明板

周辺の城

米津城(愛媛県大洲市)[7.3km]
萩森城(愛媛県八幡浜市)[11.0km]
曽根城(愛媛県喜多郡)[12.4km]
白木城(愛媛県西予市)[15.5km]
黒瀬城(愛媛県西予市)[17.0km]
飯野山城(愛媛県八幡浜市)[17.4km]
法華津本城(愛媛県宇和島市)[21.5km]
由並城(愛媛県伊予市)[22.2km]
石城(愛媛県宇和島市)[24.9km]
太田城(愛媛県喜多郡)[25.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

82 大洲城

設置場所

台所櫓入口(大洲城内入口)[地図

大洲城の解説文



大洲城(おおずじょう)は、四国の伊予国喜多郡大洲(現・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。

概要 

大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現・八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはやや鄙びた立地ながらも交通の要衝と言える場所にあった。伊予宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。

江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在に至る地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成往時を忠実に木造復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。大洲市によると二の丸御殿跡の発掘調査の計画はあるが予算の関係で建物の木造復元計画はない。

歴史・沿革 

この地に初めて築城したのは、鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房で、元徳3年/元弘元年(1331年)のことであると伝わる[1]

豊房には子がなく筑後宇都宮氏の宇都宮貞泰の子の宇都宮宗泰を養子に迎えた。伊予宇都宮氏はその後、国人として二百数十年間にわたって南伊予を中心に支配を行うが、永禄の末期に毛利氏の伊予出兵によって降伏した。天正初年[2]に土佐の長宗我部元親と通じた家臣の大野直之によって大洲城を追われた。しかし天正13年(1585年)にはその大野直之も豊臣秀吉の意を受けた小早川隆景によって攻め滅ぼされ、その小早川隆景が35万石で伊予に入封し、大洲城は一支城となった。

その後は戸田勝隆が城主として入ったが、文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すると近世の城郭として整備された。江戸時代初期の慶長14年(1609年)には淡路の洲本から脇坂安治が転封され、この2人の時代に天守[3]をはじめとする建造物が造営された。

また脇坂安治の時代に従来の「大津」から現在の「大洲」に城名が変更(異説あり)された。元和3年(1617年)に伯耆米子から6万石で加藤貞泰が入り、以後は加藤氏が12代に亘り大洲藩主として治め、明治維新を迎えた[4]

明治時代以降

維新後は城内のほとんどの建築物は破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存された。しかし天守は老朽化と構造上の欠陥[5]のために明治21年(1888年)に解体された。現在の天守は伝統工法を用い、平成16年(2004年)に復元されたものである。

  • 昭和32年(1957年) - 台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓が重要文化財に指定される。
  • 昭和34年(1959年) - 苧綿櫓の解体修理が終わる。
  • 昭和40年(1965年) - 三の丸南隅櫓の解体修理が終わる。
  • 昭和45年(1970年) - 台所櫓と高欄櫓の解体修理が終わる。
  • 平成18年(2006年)4月6日 - 日本100名城(82番)に選定された。
  • 平成19年(2007年)3月 - 河辺地域浪漫八橋・長浜大橋とともに美しい日本の歴史的風土準100選に選定された。
  • 平成23年(2011年)11月 - 天守復元以後の入城者数が30万人を超える。

天守復元

  • 平成6年(1994年)5月 - 天守再建検討委員会が発足。
  • 平成8年(1996年)7月 - 大洲城天守閣復元委員会に改称。
  • 平成10年(1998年) - 樹木現況調査と整備予測調査が終了。県指定史跡「大洲城跡」保存整備計画策定。
  • 平成11年(1999年) - 工事概算費用は13億円、募金目標額は5億円に決定し募金活動が始まる。
  • 平成12年(2000年) - 御杣始め式を行い、第1次樹木整備を開始。
  • 平成13年(2001年) - 天守復元工事に着工。御用木お披露目式を行い、石垣修復工事、第2次樹木整備を開始。
  • 平成14年(2002年) - 起工式を行い、基礎工事・素屋根工事等を開始。
  • 平成15年(2003年) - 上棟式を行い、付帯設備工事・第3次樹木整備を開始。
  • 平成16年(2004年) - 漆喰仕上げ・外構工事。7月に復元工事が竣工し、完成記念式典を行う。9月、再建天守の一般公開を開始。

天守 

天守は本丸の南東隅に建てられ、北に高欄櫓、西に台所櫓を配置し渡り櫓で連結した複合連結式層塔型4重4階である。中央付近に心柱が通され、それに伴い2階の床には吹き抜けが造られていた。外観は、下見板張りで、比翼千鳥破風、千鳥破風、向唐破風で屋根を飾り、窓には連子窓が多用されたが、2階には華頭窓のみが並べられていた。

木造復元

現在の天守は、大洲市市制施行50周年記念事業として平成16年(2004年)に竣工したもので、第二次世界大戦後初の当時の工法・木造で復元されたものである。明治時代に撮影された外観写真のほか、大洲藩作事棟梁の中村家に伝わる天守雛形(木組み模型)など内部構造を知ることができる資料が充実していたため、往時の姿を正確に木造復元することができた。このように、多くの資料が残ることは稀である。

また天守の高さは石垣の上から19.15mあり、本来なら建築基準法で木造では認められない規模[6]であったため、当時の建設省や愛媛県は建設計画をなかなか認めなかったが、大洲市により2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外が認められ、往年の複合連結式による天守群の木造復元に至った。天守の木造復元資金には、民間からの浄財が多く寄せられ、その寄付者の名簿は天守内にレリーフで残されている。

天守の木造復元によって国土技術研究センターから第七回国土技術開発賞を受賞した[7]

木造復元天守は文化財指定を受けていないため、バリューマネジメント社(大阪市)が大洲市や伊予銀行などの協力を得て、城への宿泊を受け付ける(年間30日まで)[8]

遺構 

建築物

以下はいずれも国の重要文化財に指定されている。

  • 台所櫓- 1859年に木造復元される。二重二階。
  • 高欄櫓- 1860年に木造復元される。二重三階。西と南に高覧がついている。
  • 苧綿櫓(肱川堤防上にある)- 1833年に木造復元される。北東隅に窓のある石落しがある。
  • 三の丸南隅櫓(大洲城最古の建築物)

その他の遺構

  • 暗り門跡
  • 二の丸御殿跡-当時、藩主の住まいだった。
  • 下台所

伝説 

  • 人柱伝説 - 川に面した高石垣の工事が難航したため、人柱を立てる事となり、籤によって「おひじ」という若い女性が選ばれ、おひじはやむなく生き埋めにされ人柱となった。その後、工事は無事完了し、おひじの最期の願いにより、大洲城下に流れる川を「比志城」(肱川)と名付け、大洲城を「比志城」とも呼んだという。[9]

大洲城が描かれた作品 

  • 映画『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(大洲城内外がロケ地となっている) - ただし映画では、大洲城の「殿様」(城主の末裔。演・嵐寛寿郎)は加藤氏でなく、藤堂氏の設定になっている。

文化財 

重要文化財
  • 高欄櫓:万延元年(1860年)に再建、二重二階櫓、本瓦葺。昭和32年6月18日指定で以下三件も[10]
  • 台所櫓:安政6(1859)年に再建されたもので、二重二階櫓、本瓦葺
  • 苧綿櫓 附 棟札2枚:天保14(1843)年に築造されたもので、二の丸の東隅にあって独立した櫓である。二重二階櫓、本瓦葺で規模は小さい。外隅に袴腰形石落しをつけ、その一部は窓となっている。
  • 三の丸南隅櫓 附 棟札1枚:明和3(1766)年の建築、二重2階櫓、本瓦葺
愛媛県指定有形文化財
  • 下台所:建築年代は不詳であるが、元禄5(1692)年の絵図に描かれている。木造一部2階建、切妻造、本瓦葺、桁行19.82m、梁間7.90m、平面積156.58㎡で土蔵風の造り。昭和43年3月8日指定。
愛媛県指定史跡
  • 大洲城跡:昭和28年2月13日指定。

現地情報 

アクセス

  • JR予讃線: 伊予大洲駅から徒歩約20分
    • 伊予大洲駅観光案内所にレンタサイクルあり
  • 同・伊予大洲駅から市内循環バス(ぐるりんおおず)「市立大津病院行き」に乗り「大洲城前」バス停下車、本丸まで徒歩5分
  • 松山自動車道・大洲ICから約10分

天守観覧

  • 開館時間: 9時〜17時
  • 休館日: 12月29日〜31日
  • 観覧料: 大人500円、小人(中学生以下)200円
    • 臥龍山荘との共通観覧券: 大人800円、小人300円
5歳以下の幼児、高齢者手帳もしくは身体障害者手帳の所持者とその付添いは無料。団体割引あり。

大洲城の口コミ情報

2024年03月09日 丹後守こじとも
大洲城

当時のまま木造で復元した天守で、素晴らしい。エレベーター付きの復興天守よりこういう方が絶対にいいと思いました。

2024年02月24日 パキラ主税助
大洲城



市民会館前にある駐車場に停めました。料金は1時間くらい停めて80円でした。大洲城の中は復元されてましたが階段などや梁も元の通りにされてました。近くをJR西日本の伊予灘ものがたりが通過する館内放送もあり観に行けます。

2024年01月09日 飛騨守塩田陸奥入道
大洲城



全て復元建造物かと思いきや意外と江戸時代当時の櫓が残っておりびっくりしました。天守内部は寒かったのです。

2023年08月18日 ( *¯ ³¯)っ旦
大洲城

天守にいるネズミですが、私が見せてもらった昔の写真より全然見えにくくなっています。かなりアクロバットな写真の撮り方をしても背中くらいしか写りませんでした。もしも位置が変わらいようでしたら、自撮り棒を持って行かれるのをお勧めします。

2023年08月13日 武景右近衛少将
大洲城



7年ぶりの訪問です。以前来たときより味わいがでて、雰囲気も良いです。天守の木造再建技術には、眼を見張るものがあります。興味のある方は是非ぜひ登城してみてください。

2023年03月20日 かつどん
大洲城



他の復元天守閣と違うのは中が資料館みたいな構造ではなく、本当に同時の天守閣で再現されてる所です!

2023年02月15日 百舌鳥
大洲城



雨混じりでしたが、大洲城は、映える城でした。最近立て替えたようで、木造づくり、エレベーターもありません!大洲城の看板を一緒に撮ると綺麗に撮れます。周辺も整備されています。

大洲駅で観光案内所で、レンタサイクルを借りました。駅からは結構遠いこと、橋を渡りお城と逆方向に、おしゃれなカフェなどがあり、その辺りを廻るのも歩くと大変なので、レンタサイクルはオススメです。

2023年02月12日 天河水民部卿
大洲城



木造復元天守で建築からそれなりに年数が経っているわりに、かなり綺麗です。訪問の翌日には地元の高校生による清掃奉仕があったようで、大切に守られているのを感じます。訪問者の色紙に松本零士氏のものがあり、調べるとご両親は大洲市出身だそうです。

2022年07月11日 
大洲城

伊予大洲駅から2kmほど距離があるので、鉄道利用の場合は駅から交通機関を利用されると良いですね(とくに夏場は)。
夜行高速バスの一部(名古屋線など)は、城下町の「大洲本町」に停車します。

2022年05月22日 課長大和守Ver.B
内堀跡[大洲城  遺構・復元物]



大州城内堀で形状を留める唯一の痕跡となります。
一部に石垣が見られますが堀内部は公園化されており堀感は薄いです。
菖蒲園なので開花時期は綺麗かと思いますが…(^^;
俯瞰して見ると堀形状がよく分かると思いますので、後は脳内補正で往時を想像するのが吉かと思います(笑)

2022年05月21日 課長大和守Ver.B
三の丸南隅櫓[大洲城  遺構・復元物]



大州城の現存建築物のうちの一つである三ノ丸南隅櫓が外堀跡に沿ったお殿様公園と呼ばれる地に残っています。

火災による焼失から明和3年再建されたモノとのことですが、二層二階に3つの袴腰型の石落としを備えた外観は中々の風格です(^^)
また内部は無料公開されており急な階段を使い二階へも上がることが出来、隠狭間なども見ることが出来ます。
外堀跡は高校グラウンドとなっておりテニスコートなんかがあったりしますが、堀状地形は明確に残っており石垣もしっかり存在しています☆

公園内には藩主加藤家の後裔が大正期に建てたという旧加藤家住宅主屋というモノもありますが、こちらは内部非公開でした。
因みに過去には男はつらいよのロケ地にもなっていたとか…(笑)

公園は9〜17時開園で4台程度の駐車場もあります。
櫓はもちろんですが大州城では貴重な堀感を味わえる所ですので是非こちらへも足を伸ばしてみてください(^^)

2022年05月03日 拾丸勘解由長官
大洲城



大洲城は最寄駅のJR伊予大洲駅から少し離れているので(徒歩約25分)、時間が合えば市内循環バス「ぐるりんおおず」が便利です。

魅力的なバス停「桝形」がありますが、「大洲城前」の方が近いです。

2022年04月29日 美濃守レスタト
大洲城



市民会館の駐車場からはゆっくり歩いても10分程度で天守に到着できます。4階からの肱川と山の景色が素晴らしかったです。

2021年10月18日 虹ノ松能登守
大洲城



天守閣は再建ですが、綺麗なお城です。歴史は古く、鎌倉時代に遡ると説明にありました。近世城郭が整備されたのは戦国時代以降とのこと。

台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓は、安政の地震で壊れたものの修理が行われ、国指定の重要文化財になっていました。暗り門跡、本丸井戸などの史跡も残っています。

城下町も散策できます。近くにある市民会館の駐車場を利用しましたが、催しがあるときは避けた方が良いかもしれません。

2021年08月09日 ホーリー大膳大夫
大洲城

観光駐車場が無料。お殿様公園の南隅櫓は中に入れます。

2021年04月11日 坂の上の蜘蛛
大洲城

復元天守ですが、木造です。中の階段も忠実に再現されてて、現存天守のように急なので御注意を。

2020年12月16日 【城郭道】たっきー
高欄櫓[大洲城  遺構・復元物]

1861年に再建された小型の二重櫓。当初から高欄を持つ小天守に準ずる櫓だった。

2020年10月07日 橘若狭守次郎吉
松の城[大洲城  周辺城郭]



宇都宮氏もしくは西園寺氏の家臣で、大竹村・菅田村・梅ノ川村の三ヶ村を領した矢野若狭守行定~三郎左衛門行森の居城と伝わる。天正年間(天正7年カ)に長宗我部元親軍が松の城を攻めたと言われており、その時の城主たちの奮戦の様子が「白米城伝説」として伝わっており、柳田國男の『日本伝説名彙』にも収録されている。また、この時の戦で三郎左衛門行森は討ち死にしたという。その後、天正13年の秀吉による四国攻めによって開城し、廃城となった。

現況は神社境内となっており、参道が造成された時に遺構が一部破壊されている。曲輪が尾根筋に南北に並ぶ連郭式で、あまり複雑な縄張りはしていない。主な遺構は曲輪、土塁である。

2020年10月04日 たっかー出羽守
大洲城



復元天守ですが木材を使っています。御城印が手書きで趣きがあります。

2020年09月22日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
大洲城

大きな城ではないですが、周囲を一望できる良いところです。手入れも行き届いています。

2020年09月13日 こたつ猫宮内大輔三毛
大洲城



あいにくの雨でしたが、JR四国の伊予灘ものがたりの列車への旗振りおもてなしです。登城者も参加可で、旗振り後には、記念撮影もあります。

2020年08月13日 ぐるたぬき
松の城[大洲城  周辺城郭]

松の城は矢野若狭守行定の居城。城の歴史は不明な点が多いが、長宗我部元親に攻められたという伝承がある。山の中腹に城主の墓と供養塔がある。

2019年05月04日 クルス秋田城介トッツィー
大洲城



天守は復元ながら、当時の木組み模型や豊富な資料をもとに木造で作られており、4棟の櫓が現存しているのは素晴らしい!

2019年05月03日 駿河守えすたの
下台所[大洲城  碑・説明板]



登城前の休憩場所になっています

2018年03月10日 救援不要♪ちょび周防守
大洲城

電車で訪れる方へ
伊予大洲駅に
コインロッカーはありませんが
駅窓口で18時までですが
400円で預かってもらえます
レンタサイクルは改札出て直進
百メートル位先に見える信号の左手にある
自転車屋さんで
2時間400円で借りられます
道に迷ったら自転車に貼ってあるシールに
お店の電話番号書いてあるので
電話してくださいと
親切な対応してくださいます


2018年02月03日 摂津守いくpika
大洲城



観光列車の伊予灘ものがたり号は土日祝のみ運行しており、夕方の2便(八幡浜編と道後編)が15時15分頃と16時25分頃に肱川鉄橋を通過します。
その伊予灘ものがたり号の通過時間に合わせて大洲城の本丸で幟旗を振るイベントをされています。
大洲城の職員さんは暖かい人達ばかりで本当に楽しいイベントなので是非ともタイミングを合わせて参加してみて下さい。
私は15時15分の旗振りが終わった後に徒歩で大洲城と伊予灘ものがたり号が一緒に撮れるポイントに行きました。
徒歩40分位掛かりましたが16時25分の通過には十分間に合いました。
場所は大洲市阿蔵1873付近です。
近くに退避所の様な場所がありますので車での訪問も可能です。
またお城と撮影ポイントの間には松本城の様に見える素晴らしい場所がありますので是非探してみて下さい。
伊予灘ものがたりと大洲城。乗っても振っても撮っても最高でした。

2017年09月24日 すかしかしぱん先生
大洲城

城の北側を降りると川に面した土手を走る道路が伸びており、途中川岸に降りることができます。そこに座って眺めると、城に沿ってゆったりと流れる肱川とそこに遊ぶ鷺、城山の木々に石垣の高低差、黒々とした天守・台所櫓、城山の向こうの岸辺に伸びる塀と川面に浮かぶ鵜飼観光舟の調和が美しく、永遠に見ていられます。
土手をそのままずっとU字に走れば角度で少しずつ姿の変わる様子を楽しむことができ、続けて大洲高校正門付近まで走ればそれがそのまま外堀のラインにあたるようです。
レンタサイクルで是非。

2017年08月16日 青き巨星弾正少弼かみ
大洲城

大洲城のお城メダルはありません。
1階売店の人達に聞きましたが売ってはいないとのこと。

2017年06月12日 織田上総介晃司
大洲城

大洲城天守は古写真、発掘調査、設計図(雛形)のすべてが残っていた為唯一、木造復元できた天守。

2004年復元して直ぐに訪れた時は黒塗りの下見板が真新しかった天守が、年月経つと風雨により台所櫓の下見板と馴染んで歴史を感じさせる佇まいへとなっている。

大洲は「おはなはん」「男はつらいよ」「東京ラブストーリー」のロケ地だそうです。

大洲の菓子「志ぐれ」をいただきました。
あっさりした甘味で美味しかった。

2016年07月07日 中務卿一之介
大洲城

伊予大洲駅からバスがありますが、列車、バスとも本数が多いわけではないのに、驚くほど接続が悪いので、注意が必要です。駅員さんに聞いたら、レンタサイクルを扱う自転車屋があるとのことで、自転車を借りました。
城までは歩道がなかったり路側帯がないところはなく、自転車でも問題ありません。

天守一階が受付ですが、ゼロ円のロッカーがあって、身軽に城内を見学できます。
売店で大洲城のタオルハンカチを買ったら、大洲城のイラストシールをもらえました。

大洲城の絶景ポイントは、実は予讃線で紘川鉄橋を渡っているときの車窓からだと、私は思います。

2016年05月07日 橘若狭守次郎吉
大洲城

大洲城を訪城した際には時間があれば櫓巡りしてみるのをおすすめする。
苧綿櫓は補修が行われ、往時よりも石垣が2.6m程高くなっているそうだ。

2016年05月05日 橘若狭守次郎吉
大洲城

個人的に好きな城跡です。肱川沿いにある小山にあります。その昔、宇都宮氏城主時代は地蔵ヶ嶽城や比志城といわれていた。また江戸期初期まで大洲は大津と表記されていたので〝大津城〟ともいわれていた。
大洲城は全国でも珍しい木造復元天守で、市民たちの寄付のもとで完成した。
その際にできるだけ忠実に復元するために大洲藩の大工などを取りまとめていたある藩士の子孫宅で見つかった天守の模型を参考にされた。現在は伊予大洲駅近くの大洲市立博物館で展示されているので必見である!
大洲城跡は肱川を挟んだ肱川橋の上から見るのもおすすめする。

2015年09月04日 あきちい播磨守叫べ強右衛門
大洲城

台所櫓(スタンプ設置場所)で100名城スタンプラリーしてる方に大洲城の小さなシール貰えます。期間限定なのかはわかりませんが…。


2015年05月17日 ООトマシ
大洲城

復元と侮るなかれ 本格的な木組みのお城です。
大工さんのいたずらで梁の上に木彫りのネズミが置かれてたとかですが 見つけることはできませんでした

2012年04月12日 加藤豊後守清正
大洲城

復元天守も、一部違う所があり完全とは言いきれません。さらに、城を復元するとなると管理や、費用が莫大に掛かってしまいます。城を復元するのもままならない状態。明治の廃藩治県で壊されなければ、ほとんどの城は残っていた筈。今後の課題になりそう

2012年04月12日 加藤豊後守清正
大洲城

全国的に珍しい木造天守。一般的に復元天守と言えば、木造鉄筋で木造は唯一認められた大洲城だけです。何故かと言うと、法律上禁止されているのです。木造だと、燃えやすく危険だからです。また、木造鉄筋は管理が難しく耐震、耐久性が著しく費用も莫大にかかる為大きな問題となってます。木造も耐久、耐震性に優れる代わりやはり、管理が問題になってきます。

2011年09月16日 春風十勝守世遊
大洲城

城の近くには随所に案内板・案内図があり城巡りしやすくなっています。が、苧綿櫓は見逃し易いかもしれません(案内がほとんどない)。
行き方(駅→天守の場合)は、右手に下台所を見てから右折し、左手にニの丸御殿跡・右手に漆喰塀の坂道を登ります。通常そのまま左側に曲がって天守に向かいますが、苧綿櫓へは右手の漆喰塀に沿って右側に曲がって下さい(ピンク色の道)。そのまま進むと『天守閣は→』『苧綿櫓は↓』と案内板が階段を降りて道なりに行けば、発見
百名城スタンプは天守閣受付・状態ややかすれ

2011年07月29日 摂政M三郎
大洲城

大洲城は、肱川に面した山上を中心に築かれ、南から東側に向け、城下町が開けています。これに符合して、城の南面には、緻密に積まれた長大で美しい高石垣が築かれ、一方で北面は階段状に積んだ古い様式の石垣群となっています。近年、本丸北西角に木造下見板張層塔型の四重天守が復元され、北西側から望むと、高欄櫓、台所櫓との絶妙な均衡の景観を形成し、城の魅力を更に高めています。しかし、この位置は、城下からは見え難い、他に余り例を見ない配置です。将来の肱川対岸への城下町の拡大を意図した配置だったのでしょうか

2011年06月08日 加藤豊後守清正
大洲城

漆黒が実に美しいです。忠実に復元された天守と当時の櫓が、往時の姿を感じさせてくれます。

2010年09月13日 tomm加賀守
大洲城

忘れずに三ノ丸南隅櫓と二ノ丸苧綿櫓も見ましょう
市民会館の有料駐車場が嫌なら、小学校前の観光駐車場は無料で距離も大して離れていませんよ。
肱川の対岸から眺めるのもお勧めです

大洲城の周辺スポット情報

 苧綿櫓(遺構・復元物)

 復元天守(遺構・復元物)

 台所櫓(遺構・復元物)

 高欄櫓(遺構・復元物)

 三の丸南隅櫓(遺構・復元物)

 二の丸大手門跡(遺構・復元物)

 内堀跡(遺構・復元物)

 三の丸北西隅櫓跡(遺構・復元物)

 暗がり門跡(遺構・復元物)

 かま櫓跡(遺構・復元物)

 井戸(遺構・復元物)

 鉄炮櫓跡(遺構・復元物)

 玉櫓跡(遺構・復元物)

 二の丸御殿跡(遺構・復元物)

 廻り櫓跡(遺構・復元物)

 下台所(遺構・復元物)

 二の丸大手門跡(遺構・復元物)

 櫓下御門跡(遺構・復元物)

 下台所(碑・説明板)

 加藤貞泰公顕彰碑(碑・説明板)

 大洲城案内図(碑・説明板)

 松の城(周辺城郭)

 鴇ケ森城(周辺城郭)

 花瀬城(周辺城郭)

 小笹城(周辺城郭)

 岡崎城(周辺城郭)

 粟ヶ森城(周辺城郭)

 龍王城(周辺城郭)

 菅田城(周辺城郭)

 高森城(周辺城郭)

 池上城(周辺城郭)

 鳥坂城(周辺城郭)

 正信城(周辺城郭)

 八幡城(周辺城郭)

 鳥坂番所跡(寺社・史跡)

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