曽根城(そねじょう)
曽根城の基本情報
通称・別名
- 曾根城
所在地
- 愛媛県喜多郡内子町城廻
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 曽根高昌
築城年
- 天文13年(1544)
主な改修者
- -
主な城主
- 曽根氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- 町史跡(曽根城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
米津城(愛媛県大洲市)[11.3km]
大洲城(愛媛県大洲市)[12.4km]
太田城(愛媛県喜多郡)[13.9km]
由並城(愛媛県伊予市)[14.0km]
白木城(愛媛県西予市)[19.0km]
千里城(愛媛県伊予郡)[19.5km]
三滝城(愛媛県西予市)[21.2km]
萩森城(愛媛県八幡浜市)[23.4km]
大除城(愛媛県上浮穴郡)[25.4km]
松前城(愛媛県伊予郡)[25.8km]
曽根城の解説文
曽根城の口コミ情報
2024年01月24日 尼崎城駿河守一口城主
曽根城
1月4日、愛媛県内子町の曽根城に登城。当日は大洲市から久万高原方面へ徒歩で向かっていました。内子町の道の駅内子フレッシュパークからりで休憩中に曽根城の場所を確認したところ徒歩約20分で行けることが分かったので立ち寄ってみました。進軍中、山城の近くの麓川に架かる麓橋から外観を撮影(写真①)。写真①の右端に写っている小児科の看板の所を左折していくと民家の間に<➡︎曽根城址登り口>の小さな石碑(写真②)があったのでここから入城。入城前、タイミングよく買い物帰り風の近所の方がいらっしゃったので挨拶をしたところ、以前お城好きの落語家さんがこちらで落語会があった際に登られていましたよ✨との話を聞きテンションが上がってきました⤴️
本当にここを進んで行っても大丈夫かなと思うくらいのミラーと石碑の間の細い登山口(写真③)でしたが城攻めに挑戦‼️前半は登山道らしきものがあったのでその道を進みましたが、途中で歩き易そうな道がなくなってきました😖麓からの比高は、大したことはないかなと思っていましたが上を見上げてみるとなかなかの勾配(写真④)で合戦があった場合、守り手にかなり優位な高低差があるように思えました。実際の攻め手の気持ちになって登れそうなところを探しながら這い上がるように頂上部を目指しました💦何とか這い上がって頂上部に上がりましたが頂上部は草が生い茂っていました(写真⑤)折角上がったので頂上部周辺を散策してみたところ、なんらかの曲輪跡と思われるスペースを発見(写真⑥)。曲輪の端の段差(写真⑦)が気になったので下りてみると石垣(写真⑧)がありました。石垣の苔むした感じが古城感を醸し出していて良かったです🍵
下山の際、足を滑らせて滑落しそうになりましたが運良く木の根を掴んで事なきを得ました😅ある意味、攻城の困難さを体感出来ました💦自戒を込めて山城を歩くときは特に足元の安全に気をつけましょう‼️
2021年12月23日 ぐるたぬき
笹の森城[曽根城 周辺城郭]
城の規模は約80m×40mで、 曲輪 (山を削平し た平坦面)は3面あります。 最上部の曲輪には土 塁 防御壁が盛られ、 尾根筋を切り取って敵の 侵入を防いだ堀切も設けられています。
江戸時代に編さんされた 『大洲旧記』によれば、 「城の背後にある高い山から射下ろされる矢を防げ 「ない」という弱点があったため、城主の冨永氏が 19代目のときに橘城へ移ったと記されています。 永治年間(1141-1142 年)に築城されたとも伝 わり、大洲市内では最も古い 城といわれています。
2021年03月15日 た〜坊 対馬守
太鼓やぐら跡[曽根城 遺構・復元物]
愛媛県喜多郡内子町
看板は写真の通り錆びて読みにくくなっています。神南城の遺構と思えます。
2021年03月15日 た〜坊 対馬守
南の城[曽根城 周辺城郭]
愛媛県喜多郡内子町古田甲
城館構成:連郭式
遺構:4曲輪、堀切
龍王城の支城
墓場から登る事が出来ます。
2021年02月23日 た〜坊 対馬守
表岸城[曽根城 周辺城郭]
愛媛県喜多郡内子町重松
別名:三重城、大森城
曲輪構成:連郭式
遺構:3曲輪
大森氏(のちの篠崎氏)の居城
2021年02月23日 た〜坊 対馬守
裏岸城[曽根城 周辺城郭]
愛媛県喜多郡内子町重松
曲輪構成:連郭式
遺構:2曲輪、土塁、堀切
天正7年(1579年)より篠崎左馬介の居城
2021年02月23日 た〜坊 対馬守
北の城[曽根城 周辺城郭]
愛媛県喜多郡内子町吉田
別名:北城
曲輪構成:連郭式
遺構:3曲輪
現在は妙見神社が建っています。
2021年02月23日 た〜坊 対馬守
望みの城[曽根城 周辺城郭]
愛媛県喜多郡内子町福岡
別名:段之城
曲輪構成:連郭式
遺構:2曲輪
福岡集会所を少し通り過ぎた辺りから登る事ができます。
2020年08月22日 ぐるたぬき
橘城[曽根城 周辺城郭]
肱川町中居谷にあるが、道は狭く離合できない道幅が多い。
2020年08月15日 ぐるたぬき
つがみ森城[曽根城 周辺城郭]
同村(五十崎村)おおくきに在る砦址なり。(伊予古城砦記)
2019年03月31日 た〜坊 対馬守
曽根城
住宅地の中に登り口の石碑がありますが、小さくて見落としがちです。カーブミラーのすぐ手前にありますのでご注意を。
2016年05月20日 橘若狭守次郎吉
曽根城
城主であった曽根氏は秀吉の天下統一の際の下城命令で下城。江戸時代は庄屋や大洲藩士になった子孫がいた。
曽根城の周辺スポット情報
太鼓やぐら跡(遺構・復元物)
龍王城(周辺城郭)
つがみ森城(周辺城郭)
橘城(周辺城郭)
北の城(周辺城郭)
鳥屋森城(周辺城郭)
望みの城(周辺城郭)
表岸城(周辺城郭)
裏岸城(周辺城郭)
伊福城(周辺城郭)
弓削城(周辺城郭)
南の城(周辺城郭)
菊ケ森城(周辺城郭)
鷹の巣城(周辺城郭)
日表城(周辺城郭)
嘉城(周辺城郭)
笹の森城(周辺城郭)
寺尾の城(周辺城郭)
貞行城(周辺城郭)
正木の城(周辺城郭)
東の城(周辺城郭)
陣の森城(周辺城郭)
西の城(周辺城郭)
中土城(周辺城郭)
小森城(周辺城郭)
梅原寺城(周辺城郭)
中城(周辺城郭)
和田城(周辺城郭)
瓜畦城(周辺城郭)
向城(周辺城郭)
大久喜城(周辺城郭)
北表城(周辺城郭)
神南城(周辺城郭)
概要
「曽根城跡」が所在する愛媛県喜多郡内子町は県庁所在地である松山市から南西に車で約40分の場所に位置する。町内には一級河川肱川の支流である小田川が流れており、古くは川を利用した流通で栄えていた。曽根城跡は中山川と麓川に挟まれた城廻地区の標高約110mの丘陵上に位置している。山麓からの高さは約50mであり、山城としてはそれほど高くはなく上りやすい地形である。そのため、城主が館を構え、常時居住していたのではないかと伝わっている。
正確な城域は確定されていないが、『大洲旧記』には「城跡よほど大にしてしかるべき地なり」と記載される。城の西側には江戸期の大洲街道が、東側には小田方面へ通じる遍路道が残っており交通の要衝としての役割を担ったと推測される。
歴史
築城年代ははっきりしていないが、戦国期には周辺を支配していた曽根氏の居城であったと伝わる。特に曽根高昌(たかしげ)と最後の城主・宣高父子にかけての時代には松山の河野氏や土佐の長宗我部氏をはじめとする諸勢力との戦いや調略などの争いに巻き込まれ、動乱期を送ったといわれる。その後、豊臣秀吉の四国征伐に際し、天正13年(1585)、宣高は進軍してきた小早川隆景に降伏開城した。翌年、曽根城は廃城となり、その役割を終えた。
遺構
本丸に相当する郭は三角形をなしており、頂点の三方向の内、西には二段の腰郭、南東には一段の腰郭を持つ。三方の斜面はいずれも急斜面になっており、天然の要害の地である。北側には尾根からの敵を防ぐための堀切と土塁が設けられている。堀切幅は約11m、土塁は堀底から約9mの高さを有しており、いずれも山城としては規模が大きいと考えられる。※現在、郭へ至る登山道の一部が崩落しており、登城が難しい状況にあります。周辺環境に十分留意したうえ、ご自身の判断で見学していただきますようお願いします。