千里城(せりじょう)
千里城の基本情報
通称・別名
- 芹城、施里城、世梨城
所在地
- 愛媛県伊予郡砥部町川登
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 大森盛清
築城年
- 建武年間(1334〜1338)
主な改修者
- -
主な城主
- 大森氏
廃城年
- 天正13年(1585)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- 町史跡(千里城址)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
荏原城(愛媛県松山市)[8.0km]
大除城(愛媛県上浮穴郡)[9.7km]
松前城(愛媛県伊予郡)[13.8km]
由並城(愛媛県伊予市)[13.9km]
太田城(愛媛県喜多郡)[14.3km]
松山城(愛媛県松山市)[16.8km]
湯築城(愛媛県松山市)[16.9km]
岩伽羅城(愛媛県東温市)[17.8km]
曽根城(愛媛県喜多郡)[19.5km]
港山城(愛媛県松山市)[20.7km]
千里城の解説文
千里城の口コミ情報
2023年04月16日 刹那F精鋭渡島守【元親】
千里城
町指定史跡となっているため、登山道などが整備されています。
登山道入口は標柱があり、付近に少し駐車スペースがあり車1台分位は大丈夫です。
城郭は山頂から北東、また西へ延びる尾根に曲輪がある。全長はとても長く200から300メートルはあると思われる。山頂でこれだけの規模はリアしがいアリ。
主郭から西へ延びる尾根には二郭、三郭とあり三重掘切、この掘切が大きく見ごたえがある。
東側にも見ごたえがある二重堀切や竪堀もあり見事だ。
2023年04月16日 刹那F精鋭渡島守【元親】
立花城[千里城 周辺城郭]
立花城は広田小学校の東側に位置する
民間脇の登城口を登って直ぐに北の曲輪に着く、すぐ下に畝状竪堀郡があります。
主郭の曲輪には二重堀切があり、主郭の側の切岸は土の絶壁、さらに土に苔生して直登は無理(長年触るとがないから苔生しているのだろう)
主郭の南側には竪堀、堀切があり、小学校の子どもたちが時々整備に来ているのだろう、城郭を大切にしているのがわかる。
登城口からすぐにあるが見ごたえがある。
2020年12月02日 スイトピー❁伊予守
千里城
銚子ダムの東に聳える千里山は富士山に似た標高581mの美しい山☆千里城はその山頂に築かれている。
伊予10城の一つとされており、1585年豊臣秀吉による四国征伐後も存続していたが、江戸時代の一国一城令で廃城となった。
*ルート…国道379号線から銚子ダム公園に向かって進む(案内板あり)
登城ルートは二箇所あり、1.5km程行くと城の南西、カーブミラー手前に「千里城跡登山道入口」の標柱が建っていて、そこから登った。丁度、車一台停車するスペースがある。
しばらくは杉の人工林が続き登山道は階段状に整備されていたが、落葉が堆積しており滑りやすい。進んで行くと古いお墓が現れた。江戸後期〜明治初期のものらしい。途中案内板があり、15分程で山頂到着。
・ちなみに、もう一箇所の登山口は少し先へ進む銚子ダム公園内にある。そちらは広い駐車場やトイレなどもあり、キャンプ場になっている(高低差により、山頂までの距離は少し遠くなる)
*山頂から北東、西尾根に曲輪を連ねる連郭式山城で全長約300mの大規模な山城。5つの主要郭と北側に付属郭があり、空堀や堀切、竪堀もよく残っている。
また主郭とニ郭の間に空堀があり、東側に主郭。東下には犬走り、主郭には風化した説明板があった。
西へ伸びる尾根にはニ郭があり、炭窯跡が残っていた。
南側に三郭があり、窪みを発見。井戸跡らしいです。
見どころが沢山あってワクワクします。
少し倒木が多く、荒れていた?これもまた良いのかもしれません。
銚子ダムにも寄って帰りました♪
キャンプ場にはテントを張り楽しむ方も居て、整備された公園から見上げる千里山は紅葉と相まってとても綺麗でした☆
2020.11.29登城
砥部川上流の川登千里にそびえ立つ千里山(592m)は、連なる峰なく独立した山容で、その山頂に千里城はあります。
城砦は東西に長い尾根を削平して連続に曲輪(郭)を設けた連郭式で、郭の周囲を削り取る等で防御を高める一方、東西にある郭の先端尾根は空堀や石塁・土塁等で防備を固めています。なお、南麓には城に因ちなんだ地名が残されています。
大森氏が砥部の歴史に登場するのは、文明2年(1470)の大森直治の大三島神社への寄進状に合三反「在所砥部ノ内千足屋敷下同千足分」が承久勲公(功)地とあるため、大森氏は承久の乱で活躍して、砥部に領地を得ていたことが知られます。
『続伊予温故録』では、大森氏の動向に触れて元弘・建武のころ大森盛清その子彦七盛長の居城を記しています。この頃、大森彦七盛長が湊川の戦で楠木正成を自刃させ世に名を轟かせました。
その後の千里城の経緯は諸説があります。城の役割は慶長20年(1615)徳川幕府の一国一城令によって幕を閉じました。
参考文献
・『砥部町の文化財』ウェブサイト。