荏原城(えばらじょう)

荏原城の基本情報

通称・別名

恵原城、会原城、平岡城、棚居城

所在地

愛媛県松山市恵原町1109-31

旧国名

伊予国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

平岡氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石積、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

県史跡(荏原城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

千里城(愛媛県伊予郡)[8.0km]
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松山城(愛媛県松山市)[9.8km]
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荏原城の解説文

概要
築城年代は不明であるが、建武2年(1335年)、忽那氏が「会原城」で戦ったという記録が『忽那一族軍忠次第』にあり、築城はそれ以前である。

この城は、河野氏の家臣平岡氏の居城で平岡城ともいわれ、天正13年(1585年)、平岡通倚のとき、豊臣秀吉の四国征伐により落城した。その後、慶長5年(1600年)、平岡善兵衛がこの城で河野氏再興をはかって失敗し、城は廃墟となって今日に至っている。

周囲に高さ5mほどの土塁を築いた方形の平地で、東西130m、南北120m、四周に濠をめぐらせ、南側に土橋で城外と連絡をとっている。土塁の上にあった建物は不明であるが、四隅に櫓があったらしく、特に西南の隅に石積みがあり、櫓の存在が考えられる。矢竹が植えられているのは、この時代の城塁に共通する特色であろう。

歴史・沿革
建武2年(1335)忽那氏、荏原城を攻めて翌年に至った。
天正13年(1585)9月豊臣秀吉の四国征伐により落城する。
慶長5年(1600)9月平岡善兵衛直房がこの城で河野氏再興をはかって失敗し、城は廃墟となった。
昭和25年(1950)10月10日 愛媛県指定文化財史跡荏原城跡に指定される。

参考文献
松山市教育委員会文化財課2002「松山の文化財」松山市教育委員会
愛媛県教育委員会1987「愛媛県中世城館跡―分布調査報告書―」
長山源雄1982「伊予の古城跡」伊予史談会双書第4集 伊予史談会

情報提供:松山市教育委員会文化財課

荏原城の口コミ情報

カガシ様[2015年10月05日]
今は ミカン畑

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