大熊城(おおくまじょう)

大熊城の基本情報

通称・別名

所在地

愛媛県西条市丹原町鞍瀬辛592-13他

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

河野氏、佐伯氏、神野氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

曲輪

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

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大熊城の解説文

「伊予国周布郡地誌」「河野家譜」「予陽河野家譜」「伊予温故録」「小松邑誌」等に記録を残す。

「鞍瀬村西方十八町大熊山にあり、高さ千五拾尺、上中下三壇、上壇は東西九間、南北拾四間、中壇は東西八間、南北三間、下壇は七間に四間、河野家中山口の要害城、治承四年河野通清平氏の目代を当城に破る、元暦元年平氏の残党を討ち、建武元年中先代の乱が起こり、文明十一年河野通篤当城に於いて細川義春を苦戦の末に撃退さす」などと400年に渉り大熊城攻防の大合戦の古記録がある。

その後、佐伯河内守惟元、神野孫太郎らの城主の時代が続き、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国統一により河野通直の時代伊予の諸城は落城したが、その頃廃城になったのであろう。

参考文献
松木武著『桜樹村の足跡』

情報提供:西条市教育委員会社会教育課歴史文化振興係

大熊城の口コミ情報

2020年11月21日 伊予守大納言のりむね
大熊城

大熊城は、信濃と伊予の二ヵ所あり、どちらも戦国時代の激戦区で、信濃側は千野氏の居城で、武田氏により落城。
伊予側は、400年もの攻防大合戦の古記録があり、河野氏、佐伯氏、神野氏と城主が変わり、秀吉の四国統一の頃廃城となった。

2020年09月30日 スイトピー❁ 伊予守
大熊城



標高327mの西峰と標高303.7mの東峰それぞれに曲輪があった。
・西曲輪(現在は鉄塔は撤去されており、基礎土台のみです)
明瞭ではないが、腰曲輪や堀切、切岸など遺構があったのではないか?という雰囲気は感じられた。
曲輪南端の主郭には石祠が祀られており、南下には狛犬が二対、城の聖域を守るかのように鎮座していた。
・東曲輪(鉄塔あり)
道前平野が見晴らせる眺めで、東へ向かって睨みをきかせていたと言われる要害の城砦。藪を掻き分け進むと「大熊城跡」の石碑があった。
・源平合戦1180年河野氏の城となり、幾度かの合戦を経て1585年四国攻めで伊予諸城が落城し、時を同じくして廃城になったと考えられているそう。その間400年もの間、軍事的にも重要な場所であり城砦の機能を果たしていたそうだ。
・登城口…北麓の県道沿い丹原327号線より。柵ガードレールが目印で、入り口付近のみコンクリートスロープになっています。登り始めから竹林が広がる急勾配なので滑りやすくご注意下さい。途中、野猿を見かけました。

2019年04月24日 城郭放浪記 肥前守
城石碑[大熊城  碑・説明板]

城の石碑が東曲輪にある。

2019年04月24日 城郭放浪記 肥前守
登山道入口[大熊城  その他]

登山道入口。

2019年02月25日 城郭放浪記 肥前守
大熊城

登山道は北の県道側で鉄塔巡視路がある。遺構は西峰と東峰に曲輪があり、東峰の三角点脇に城石碑がある。

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