横山城(よこやまじょう)

横山城の基本情報

通称・別名

所在地

愛媛県松山市麓乙117

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

河野通武

築城年

建武年間(1334〜1338)

主な改修者

主な城主

河野氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、堀切、貯水施設

指定文化財

県史跡(横山城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

日高山城(愛媛県松山市)[7.2km]
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横山城の解説文

概要
この城は、建武年間(1334~1338)に河野通武が築いたもので、海抜約453mの険しい山の上にあり、眼下に瀬戸内海を見張ることができる。通武の子孫南氏が代々ここを居城としていた。天正13年(1585)に小早川隆景に攻められて落城し、その後400年を経た現在、わずかに昔の面影をとどめているにすぎない。

この城跡は大体西北にのびた本丸、出丸、馬乗り駄馬の三つにわかれており、本丸の中ほどに太鼓岩と呼ばれている大岩があって、この上に物見櫓の跡が残っており、その右側には城門や角櫓の跡が残っている。

この城跡の特徴は建物に使われる柱口(38個、16×20cm、20×23cm、18×24cm程度の大きさ)がそれぞれ岩に彫りつけてあることで、この点は今治市能島城跡とよく似ている。この彫りこみは水がたまり柱が腐りやすいので永久建築用ではないだろうと思われる。また、3か所に石段が彫りつけてあるが、これらの構造は戦国時代の城郭建築の研究のためにも重要なものである。

歴史・沿革
建武年間(1334~1338)河野通武が横山城を築く。
天正9年(1580)2月風早郡横山領と宅並領の百姓による分水問題と闘争が起こると、横山城主南通方と宅並城主栗上通妙は対立する。その後、南通方は謀殺され嫡男の亀寿丸が跡を継ぐ。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の時に小早川隆景に攻められて落城する。
昭和28年(1953)2月13日 愛媛県指定文化財史跡横山城跡に指定される。

参考文献
北条市教育委員会2002「北条市の文化財」北条市教育委員会
愛媛県教育委員会1987「愛媛県中世城館跡―分布調査報告書―」
長山源雄1982「伊予の古城跡」伊予史談会双書第4集 伊予史談会

情報提供:松山市教育委員会文化財課

横山城の口コミ情報

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