横山城(よこやまじょう)
横山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛媛県松山市麓乙117
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 河野通武
築城年
- 建武年間(1334〜1338)
主な改修者
- -
主な城主
- 河野氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、堀切、貯水施設
指定文化財
- 県史跡(横山城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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横山城の解説文
横山城の口コミ情報
2021年11月17日 スイトピー❁伊予守
横山城
「レインボーハイランド」とも呼ばれ市民に親しまれる松山市野外活動センター。週末には親子連れで賑わい駐車場は満車になるほど…先ずはこちらを目指し訪れて下さい。その敷地内、西北端に案内板あり。整備されたハイキングコースになっていて遺跡巡りを楽しむことができます。
横山城は東西に細長く延びる稜線で、その西北端が本丸になっています。城の入り口を進むと看板があり、左右に道があります。左に進むと整備された遊歩道のコース先に展望台があり、風早の平野を見渡せる眺め良好な場所でした。そして右に進むと尾根伝いに向かい15分程で主郭に繋がります。
先ず最初に見えてくるのは堀切と土橋。そこから次々と堀切があり感動の連続です。上り下りの多い道と途中やや広い平坦部が現れ、それぞれを遮断するような空堀の跡を数箇所確認出来ます。当時、東南側が搦手側であったと言われているそうで、敵の侵入を阻止するために出来た事がよく分かりました。
南側斜面の道は傾斜があり、一部崩れて道幅もとても狭くなっており落ち葉で滑りやすく危険なので注意が必要です。道なりに進み、本丸近くになると岩石が多く険しい階段状の道になり巨石が見えてきます。
主郭には「太鼓岩」や「天狗岩」などと呼ばれている多数の巨石と手水鉢のような形をした城址碑が建っており、珍しかったです。注意してよく見ると本丸巨石付近に小さな石仏が置かれていました。
巨石には人工的に刻んだ溝が数箇所あって、岩上に櫓を組み立てる際の柱穴で山城には珍しい遺構だそうです。また、雨水を溜めたと思われる彫り込み穴二箇所がありました。本丸の巨石上に登りました。脚がすくむ高さですが、山頂からの眺めは素晴らしく北条の町並みがよく見え、風早平野から攻め寄せる敵に備えたものであり、大手口側になります。
本丸巨石の西側には削平された郭があって、礎石らしきものも確認できました。簡単な建物が建っていたとも言われています。
北側崖下には平坦地があり「馬乗り駄馬」となっています。想像以上に見どころ満載で、当時へと想いを巡せながら楽しく遺構旅をすることが出来ました♪
2021年02月23日 た〜坊 対馬守
賀生城[横山城 周辺城郭]
愛媛県松山市水口町加名山
別名:加名山城
脇屋義治築・居城と伝わる
2018年03月07日 笑門来猫
横山城
レインボーハイランドの敷地内、西北端に案内板あり、そこから城域に入れます。ちょっとしたハイキングコースになっており、主郭までは10分くらい。
大岩には柱を支えたと思われる穴が多数あり、苗木城のように岩の上に建物があった可能性があるそうてす。大岩にも上れますが、コケで滑りやすいので注意です。
概要
この城は、建武年間(1334~1338)に河野通武が築いたもので、海抜約453mの険しい山の上にあり、眼下に瀬戸内海を見張ることができる。通武の子孫南氏が代々ここを居城としていた。天正13年(1585)に小早川隆景に攻められて落城し、その後400年を経た現在、わずかに昔の面影をとどめているにすぎない。この城跡は大体西北にのびた本丸、出丸、馬乗り駄馬の三つにわかれており、本丸の中ほどに太鼓岩と呼ばれている大岩があって、この上に物見櫓の跡が残っており、その右側には城門や角櫓の跡が残っている。
この城跡の特徴は建物に使われる柱口(38個、16×20cm、20×23cm、18×24cm程度の大きさ)がそれぞれ岩に彫りつけてあることで、この点は今治市能島城跡とよく似ている。この彫りこみは水がたまり柱が腐りやすいので永久建築用ではないだろうと思われる。また、3か所に石段が彫りつけてあるが、これらの構造は戦国時代の城郭建築の研究のためにも重要なものである。
歴史・沿革
・建武年間(1334~1338)河野通武が横山城を築く。・天正9年(1580)2月風早郡横山領と宅並領の百姓による分水問題と闘争が起こると、横山城主南通方と宅並城主栗上通妙は対立する。その後、南通方は謀殺され嫡男の亀寿丸が跡を継ぐ。
・天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の時に小早川隆景に攻められて落城する。
・昭和28年(1953)2月13日 愛媛県指定文化財史跡横山城跡に指定される。
参考文献
・北条市教育委員会2002「北条市の文化財」北条市教育委員会・愛媛県教育委員会1987「愛媛県中世城館跡―分布調査報告書―」
・長山源雄1982「伊予の古城跡」伊予史談会双書第4集 伊予史談会