能島城(のしまじょう)
能島城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛媛県今治市宮窪町
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 海城
天守構造
- -
築城主
- 村上雅房
築城年
- 応永26年(1419)
主な改修者
- -
主な城主
- 村上氏
廃城年
- 天正16年(1588)
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- 国史跡(能島城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
木ノ浦城(愛媛県今治市)[4.5km]
甘崎城(愛媛県今治市)[7.2km]
来島城(愛媛県今治市)[12.6km]
今治城(愛媛県今治市)[15.0km]
因島村上氏城館(広島県尾道市)[16.3km]
小頃子城(広島県豊田郡)[17.3km]
国分山城(愛媛県今治市)[17.9km]
賀儀城(広島県竹原市)[18.8km]
余崎城(広島県尾道市)[23.1km]
世田山城(愛媛県西条市)[23.1km]
能島城の解説文
[引用元:Wikipedia「能島城」の項目]
能島(のしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、伯方島と大島との間の宮窪瀬戸、鵜島の南西に位置する無人島。愛媛県今治市(旧:越智郡宮窪町)に属する。属島として鯛崎島が南にある。
能島城
中世、村上水軍の一派、能島水軍(野島氏)が水軍城を設けた。この付近の海域は帆船時代、瀬戸内海航路の最も重要な航路の一つであった。しかも宮窪瀬戸の東側で能島と鵜島とが流れをさえぎるような位置関係であることから、干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなった。このため、平時には通過する船に対して水先案内人として行きかう船を案内し、帆別銭(一種の通行料)を徴収、室町期以降この地に能島城を築き、この海域の制海権を掌握していた。能島城には本丸、二の丸、三の丸、出丸などがあり、中世の水軍城としても規模が大きいものであった。なお、能島には水が得られないことから、近傍の鵜島や木浦から補給していたとされる。
戦国末期、村上氏は豊臣秀吉との戦いに参戦したが敗北を喫し、1588年(天正16年)、秀吉の海賊停止令により、水軍の歴史は終わりを告げた。能島城は廃城となり、江戸時代以降無人島となったため、その城塞遺構はよく保存されている。
1953年(昭和28年)、能島城跡の名称で国の史跡となり、1973年(昭和48年)に愛媛県教育委員会は「能島水軍の里」を設置した。その後もたびたび文化財調査等が行なわれている。
2017年(平成29年)4月6日、能島城が続日本100名城(178番)に選定された。
観光
能島のソメイヨシノは1931年(昭和6年)に宮窪村(当時)の有志により植えられたもので、長らく桜満開の時期の週末には季節船が運航され花見客でに賑わった。 しかしながら、2018年(令和元年)の西日本豪雨と2019年(令和2年)の台風接近時に相次いで土砂災害が発生。樹木の根が斜面崩壊や岩盤崩落の原因の一つと考えられたことから、2022年(令和4年)、遺構や遺物の保護を目的にソメイヨシノを含む樹木の大部分を伐採し、根の除去が行われた[1]。
また、村上水軍博物館の前から宮窪町漁業協同組合が主催する観光船が出され、能島付近の潮流体験が出来る。
村上海賊の娘(和田竜、2014年本屋大賞)の歴史に依る、村上水軍城(本丸、二之丸、三の丸、東南出丸、吊り橋、鯛崎出丸)などの再現が進行中である。
脚註
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能島城の口コミ情報
2024年05月30日 noble権中納言弥勒菩薩
能島城
来島城に続き、能島城にも念願の上陸です!
来島の渡船と異なり、ここは観光船です。人の集まり次第など、運航する日は限られているようなので、事前予約は必須です。
全島要塞の小さい島ですが、いい感じにほどよく整備保存されていると思います。
上陸し、三、二、主の順に曲輪を案内してもらいました。ほか、『ヤビツ』の曲輪、出丸のような四の曲輪があります。
帰りは、向かいの水軍博物館も寄りましょう。いろんな水軍グッズもあって面白い。また、観光船発着場所には漁協レストランもあり、海産系料理を食べることができます。漁協直営なので美味しい!
なかなか行きづらい場所、予約などのタイミングもあってそう簡単には来れないですが、登城しただけの価値は大アリでした。
余は大満足!
2024年05月12日 『麦わら 柴田軍』
能島城
【潮流体験】潮流体験の出来ないほど渦が無い場合は、その時間を(10分程度)上陸させて下さる事も有るそうです。
【船隠し】砂浜では船から岩礁にピットが2箇所見えました。すぐ横は、護岸工事で真新しい修復跡が。
乗船する船は、屋形船のように屋根付き、ライフジャケット、しっかりしたハーフ雨合羽(雨天)も、無料で準備してくれていました。
令和6年9/21(土曜日)14:00 15:00 は【潮流体験】の渦が大きいそうです。期待度大!
2024年04月09日 みその対馬守
能島城
能島に上陸することができましたが、豪雨による崖崩れの修復の跡が、痛ましかったです。その為、行けない箇所が何箇所もあり、残念でした。敢えて、桜🌸等の木🌲を伐採🪚して、崩れ無いように取り組んでいるそうです。
2023年06月19日 杉玉右京大夫
能島城
能島上陸!潮流と航路からこの島が最適だったことがわかります。
2023年05月14日 728U内大臣Edes
能島城
能島潮流クルーズ圧巻でした。皆様も是非体験してみられては❗
2022年11月04日 ぴっぴ
能島城
整備工事をされているので、重機とか置いてあります。砂がサラサラで風が吹けば砂埃が目に入り、靴も汚れる。上陸船の予約は必須です。
2022年05月05日 明石家船上
能島城
昭和になって植えられた桜が、現在では遺構を破壊して行くので、移植を検討しているそうです。
2022年04月10日 坂の上の蜘蛛
能島城
村上水軍の城跡です。行った時はちょうど桜が満開できれいでした。夏場でも海の上のクルーズは気持ちいいと思います。愛媛県今治市大島の『村上海賊ミュージアム』の隣の海側の『能島水軍』と言う食事処が受付になってますが、クルーズ船の運航は土日祝日のみで、事前の予約が必要です。
2022年03月29日 レッツゴー長門守
能島城
カレイ山展望公園の展望台から能島城址とその周りの潮流がよく見えます。
2022年03月24日 坂の上の蜘蛛
村上海賊ミュージアム[能島城 スタンプ]
ご存知かも知れませんが、能島城の御城印が発売中!大島(愛媛県 今治市)の『村上海賊ミュージアム』で購入できます。
2021年11月28日 ホテルモスクワ常陸介
能島城
今回、上陸出ました。小さいですが、とても良い縄張りでした。只、あちらこちら崩れているので、行動制限付きです。記念朱印は、港の売店又は、反対側のミュージアムで、300円で販売していました。
2021年11月07日 数珠丸恒次大納言ヒロティー
能島城
念願の能島、潮流体験も楽しくガイドさんの説明も面白くてよかったです
2021年09月23日 陸奥守新九郎
能島城
能島城、ハンパないですね。
お城🏯って何?ということを考えないといけないお城🏯ですね。
出土遺物のクオリティ、村上氏の立場と役割・・・
能島城、スゴイっす✨
2021年04月21日 Kedama☪︎B
能島城
Twitterより
「続100名城 #能島城 スタンプについて
#村上海賊ミュージアム の臨時休館中
4月22日㈭~5月19日㈬
は、村上海賊ミュージアムおよび宮窪公民館での押印は中止とさせていただきます。
何卒ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。」
だそうです!
行く予定ある方、日程にお気をつけて!
2021年04月11日 MACHT征夷大将軍
能島城
能島城上陸ツアーが開始されていることを知り、とりあえず申し込んでみることとする。参加人数10人未満だと開催されないとのことで、当初1便で申し込んだが実際は3便での参加となった。
ただこれが功を奏したようで、潮流がいい感じで激しく、能島城の防御体勢の一端を垣間見ることができた。エンジンのない手漕ぎのボートでは近づくこともままならないと思われる激しく複雑な潮流であった。
その後念願の能島城上陸へ。基本的に説明員の後に続いていく形で勝手に動き回ることはできないので、船だまりと呼ばれる砂浜辺りや矢びつと呼ばれる東海岸辺りには行けなかったが、小さな島なので上陸時間45分で充分楽しめる内容であった。
最新の研究では能島城で日常生活も営んでいたということだが、あのスペースでは多数の海賊が駐屯するのは難しいのではいうくらいの小島であった。真水の調達も雨水か対岸からの運搬頼みとのことで、ここで生活するのはかなり厳しそうな印象である。
説明員の方が言うにはもう調べる余地がないほどあっちこっち散々掘り返したとのことだったが、まだ謎は多そうである。
潮流体験と上陸合計75分で2000円は割とお得だと思いますので、お近くに立ち寄りの際にはぜひ参加してみて下さい。
2021年04月10日 石田大宰帥いしのすけ
能島城
能島城上陸クルーズで行きました。事前申し込み要で2000円ですが、充分な価値があると思います。島には昭和になってから植えられた桜があり、ガイドさんいわく、一昨年くらいまでは、地元の人で年に2回お花見をしていたそうです。曲輪の様子もよくわかって、機会があれば、是非、上陸をおすすめします。
2020年10月29日 スイトピー❁伊予守
能島城
・島全体がお城
城なのに開放的な縄張りと海岸整備
居住空間としての城
*戦時の備え以上に、平時の海上活動拠点であり生活の場
・縄張りの象徴
郭Ⅰ〜Ⅲ 西と南に出郭
南部平坦地の造成
斜面の小平担面
天然の切岸
土塁なし
堀切、竪堀、横堀なし
虎口(出入口)単純
・単純で海に対して開放的(戦国山城との違い)
*「海面が土塁となり、潮流が堀」と言われてるが防御性は不安定
・城での攻防ではなく、船戦がメイン
・南部平坦地には石垣に原見がある
南部平坦地…物資の荷揚げ漁具の手入れなどの作業場、海産物の加工場、軍事演習等に多目的に利用されたヤードである
・海城最大の特徴は海岸部にあり
直径1mの謎の大穴
船だまり(接岸、係留対岸的な窓口)
建物状に並ぶ岩礁ピットは接岸施設か?
帯状に並ぶ岩礁ピットは護岸用坑の痕跡か?
*海岸遺構から見た能島城の機能は閉鎖や防御機能を持った施設は明確ではなく、むしろ船の発着停泊の利便を図り開放的な海岸整備
*平時の海上活動の拠点として有効な構造で、戦時における水際の防衛性は高いとは言えない
・能島城本丸(郭I)
2間四方の掘立柱建物跡があり井楼。
物見櫓と考えるられている
かわらけ大量出土→儀礼、饗宴の場
・二之丸(郭Ⅱ)
城内の生活空間である
大量の生活容器の出土
*生活用の雨水溜めか?壁と底に粘土をべったり貼った大きな穴が。
・三ノ丸(郭Ⅲ)
鍛冶屋の存在を想定。
「目一つの鼻」鼻=鍛冶の神様が祭られていた「天ノ目一ツの神」
・東南出丸(郭Ⅳ)
祭禮の空間か?
首から上の無い土製仏像出土 銭貨など
地鎮め遺構 地を鎮める儀式
*鯛崎島
燧灘(大阪方面)を視認出来る
能島村上氏のナワバリ 監視の必要性
かわらけ大量出土(祭禮)
*16世紀中頃は能島村上氏の節目である
<結論>
戦時<平時
能島城の防御性は簡素
海に対して開放的な構造
接岸施設の充実(岩礁ピット、海蝕テラス、海岸埋め立て)
最低限の戦の備えと共に平時の多様な海上活動の拠点として機能
通行料徴収の根拠である海賊のナワバリを示す象徴的存在ではないか?
令和2年10月4日(日)に開催された田中謙氏の歴史講座より参考
2020年10月19日 織田上総介晃司
能島城
車は村上水軍博物館または能島水軍(乗船場所)に停める事ができます。
潮流体験:9:00スタート。最終16:00の間1時間おきに運航(2名からの運行。所要時間約40分)
当日参加可 大人¥1,200 小学生¥600
月曜日運休
能島・鯛崎島〜鵜島〜鶏小島〜伯方・大島大橋〜能島をめぐりますが能島には上陸しません。
能島上陸&潮流クルーズ:
①9:45 ②11:45 ③13:45 の3便(10名以上で運行。10名以下の場合運休。所要時間約75分)
要予約 大人¥2,000 中高生¥1,500 小学生¥1,000 幼児500
土日祝日運航。平日は運休ですが10名以上の申し込みがあれば臨時運航。
15分前から受付となりますので早めに能島水軍に行きましょう。
※当日飛び入り参加も可能ですが確率は低いです。予約をして行きましょう。
どちらも汐見表で確認して乗船時間を決めたほうがいいですよ。
激しい潮流に当たるのも、潮止まりで穏やかな海に当たるのも潮次第ですから。
能島水軍で鯛だしラーメンを食べました。
裏メニューとしてライスを注文して麺を食べたあとのスープにライスを入れて鯛だし茶漬けとして食べるのが乙なんです。
2020年09月10日 土佐香美真乃佐
能島城
実際に来てみると、資料などで知る以上に、生の感覚を実感することができます、また島をまるごと城としていたことがとても感動することができました。
2020年08月15日 Shige弾正大弼
能島城
能島に上陸は出来ませんでしたが、能島の観潮船に乗って島をすぐ近くから見ました。潮流が穏やかな島の船泊り跡に船が最接近した時にポチしたらリア攻めが付いたみたいです。船からも城跡が良く見えます。凄い潮流に囲まれた島を要塞に仕上げた村上水軍のパワーを感じました。船を降りた後、カレイ山展望公園からも島を眺めました。ぜひ上陸もしたいです。
2020年07月08日 かちゃすけ常陸介
能島城
今現在、能島上陸はありませんが、村上水軍博物館向かいの能島水軍さんで、潮流体験はやってます。9時から1時間おきのスケジュールで40分ほど。¥1200です。
時間帯によって潮流の見ごたえが変化するので、事前に聞いてみた方がいいと思います。
2019年09月04日 風祭すぅ
能島城
2019.08.11
村上水軍博物館にて続日本100名城のスタンプをゲットしました。
残念ながら時間があわず漂流体験はできませんでしたか、博物館にていろいろな資料がとても参考になります。
2019年05月04日 クルス秋田城介トッツィー
能島城
5/3 遊覧船の船長さんに、「6時間に1回の潮止まりに当たるのは、ある意味幸運です」と慰められましたが、僅かに流れているのがわかります
2017年06月23日 ️_
能島城
能島上陸&潮流クルーズに参加してきました。以下、ネタバレ注意でガイドさんの説明のうち、興味深いものを記しておきます。
・対岸とは300メートルぐらいあるが、当時の海賊衆は大声で連絡を取り合っていた
・猪が一度渡ってきたが、真水が湧かないため、すぐにいなくなった
・木津川の戦いで信長が造らせた鉄甲船の存在は懐疑的?あの時代に鉄板を作製する技術はなかった?
・鯛崎出丸から景姫が飛び込むシーンは完全フィクション 17、8メートルの高さから飛び込むと、海面下の岩場で「グシャ」っとなる(+_+)
・鯛崎出丸とは吊橋で繋がっていたとされているが、橋桁跡が見つかってない。
・「朝日昇り、夕陽沈むところ、白南天の木の下」に財宝が眠るとされる伝説があり、鯛崎出丸を望む東南出丸の先端には発掘した穴の後がある。
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
能島城
対岸から見ました。
近くには資料館もあります。
道の駅の様に飲食する場所もあります。
2016年05月15日 雑賀
能島城
『能島上陸&潮流クルーズ』 平成28年12月までの土日祝日(一部除外有り)
周囲1kほどの小島、要害たる所以の激しい潮流を体験出来ます。
城跡を案内して下さる現地ガイドさん同行で、所要時間75分。
なお、平日でも10名以上の申し込みがあれば臨時便が運航されるそうです。
問い合わせ先『瀬戸内しまなみリーディング』
乗船場所前でもある『村上水軍博物館』見応えのある展示品の数々でした。
小説『村上海賊の娘』を始め関連本を読了された方であれば尚更、作品中のいろいろな場面の船、武器、装備、書状などのイメージが実像と結ばれることと思います。
展望室からは能島が臨め、予想外の小ささ?や瀬戸内の美しさに魅了されます。
2015年04月05日 コロ助
能島城
昨年の桜祭りに行ってきました。今更ですが、ご参考までに。
宮窪港までのバスはとても少なかったので、今治駅前から25分程の石文化公園バス停で下車し宮窪港まで1時間弱歩きました。宮窪港前には広い駐車場があるので、車の方が便利です。
能島に渡るフェリーは往復大人\500。待っている人数に応じて10〜30分間隔運行。フェリーは小型なので、並んでいても乗船人数がいっぱいになると締め切られて次の便を待ちます。(ピストン輸送で片道5分なので、最短10分待ち)
現地説明会をしていました。能島は周囲850m、鯛崎島は周囲250m。小説とは異なり、能島から鯛崎島への橋は無かったそうです。土塁や堀切はなく切岸のみ。三の丸には鍛冶屋、二の丸には位の高い人の館、本丸には櫓があったと推定。桜はてんぐ巣病にかかっていて、桜の根で遺構が壊されているので、今後は桜の植樹は行わないとの事。
帰りのバスの時間もあり、ゆっくり出来なかったのが心残りでしたが、今は桜祭り期間以外でも予約制で能島上陸クルーズをしているみたいです。行きたい!
2013年07月30日 中務少輔きたろう三世
能島城
一般人が上陸できるのは桜の時期くらいだが、村上水軍博物館近くから出発する潮流体験で船の上から見学できる。石垣や岩礁ピット、郭が確認できる。
2012年06月12日 伊予守菜々
能島城
訂正です
5月ではなく4月でした失礼しましたm(_ _)m
2012年06月12日 伊予守菜々
能島城
毎年5月の桜の時期、第1週か第2週目の土日2日間だけ能島に上陸できる定期船が出ます。
桜の開花具合によって変わるので、確認を。