徳能城(とくのじょう)

徳能城の基本情報

通称・別名

得能城、常石山城、常石城

所在地

愛媛県西条市丹原町徳能乙202他

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

得能(河野)通俊

築城年

承久3年(1221)

主な改修者

主な城主

得能氏、稲井氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

曲輪

指定文化財

再建造物

周辺の城

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徳能城の口コミ情報

2020年08月18日 美酒乱⭐︎桃太郎伊予守
徳能城

県道150号線より細い道を東へ600mほど行った表記番地の先に「常石山直進」の看板がありその先の墓地手前に1台駐車できる。250mほど行くと「徳能公忠魂碑/シロノッサンは直進」の標柱があり、左の山通じる舗装された道を登ると「徳能道綱忠魂碑」が建てられている。

【歴史】 徳能集落の北西方常石山上にあった中世の城で、河野氏の流れをひく得能氏の居城であった。「伊予国桑村郡得能村地誌」には「東西24間南北16間、山の絶頂にあり…」とある。
南北朝時代に、南朝方の忠臣として、新田義貞に従い、得能通綱が土居通増(久米郡石井郷土居)らとともに各地に転戦したが、延元2年(1337年)、越前金ヶ崎の戦いで一族と自刃して果てた。
昭和3年、昭和天皇御大典記念事業として、常石山山頂に通綱の忠魂碑が建立された。碑表の揮毫(きごう)は陸軍大将・秋山好古によるものである。また、徳田小学校校庭の西端には、得能、土居両氏の供養塔も建っている。『今どきの西条(西条市観光物産協会)』より引用。

2020年05月05日 近江守Silvine
象ヶ森城[徳能城  周辺城郭]



象ヶ森城は徳能城を築いた徳能氏の支流、重見氏によって築かれました。後に同じく河野氏に属した櫛部氏の居城となります。長宗我部氏による伊予侵攻の際に、土佐方に与した金子元宅に攻められ落城しました。

城は東西に伸びる尾根に郭を展開し、それぞれを大きな深い堀切で隔て、土橋や石積も一部残ります。主郭には水道施設が残りますが、現在は使われていないようでした。

麓の観念寺に駐車場と説明板があります。寺の裏から林道が続いていますが、途中で消えてしまいます。そこからは尾根を目指して獣道を直登し、尾根沿いを進むと城に辿りつきます。麓からは徒歩25分ほどです。

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