国分山城(こくぶやまじょう)
国分山城の基本情報
通称・別名
- 国府城、唐子山城
所在地
- 愛媛県今治市古国分3
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- 村上氏
主な城主
- 脇屋義助、河野氏、村上元吉、小早川隆景、福島正則、池田秀雄、小川祐忠、藤堂高虎
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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-
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国分山城の口コミ情報
2024年05月25日 『麦わら 柴田軍』
国分山城
右側に池がある場所から、左上に上がるちょっと勾配のある舗装路を通り竹藪を突き抜け、階段が多いですがかなり整地されており、不覚にもヤブ蚊被害にあいながらでした。登り口右側にある看板の後ろに杖が有ります。少し登ると丁寧に傘立てにも杖を用意して下さってました。
2023年07月18日 つか征夷大将軍ぽ
今治藩主墓所[国分山城 寺社・史跡]
今治藩主であった初代松平定房、3代定陳、4代定基の墓所があります。久松松平氏は徳川氏の一門であり、また松山藩久松松平氏の分家でもあります。 藤堂高虎が伊勢に移った後へ、寛永12年定房は 伊勢長島6千石から4万石で今治に転封となります。 それから10代明治に至るまで代々今治藩主として藩政を行って来ました。今治城からは遠いですがお寺でもあったのでしょうか?
2022年08月27日 やまてつ伊予守
国分山城
公園として整備されているので、近くの池の側に駐車スペースとトイレ、案内板があります。階段等も整備されています。
2022年05月27日 スイトピー❁伊予守
国分山城
以前より公園部の主郭周辺は雑木伐採されスッキリしていたが、それぞれの尾根にある郭は藪に覆われ分かりづらかった。山頂の主郭(公園展望台)から東側に4〜5程の郭が点在。西側には2つの郭がある。また、東麓にはL字状の水堀に囲まれた方形状の居館がある。
伐採された事で見えた石垣の痕跡かな?と思うような石も転がっていたが、今治城築城の際に石垣を運んで使用したと言われているため、確認出来ない。また、主郭を取り巻く幅4メートル程の武者走りも年々雨に流されて僅かに痕跡を留めるほどしかなかった。
展望台よりの素晴らしい眺望は瀬戸内海の島々がよく見え、海にごく近い位置にもあり海城としての機能も有していた可能性がある。
今回、曲輪はもちろん土塁、横堀も確認することができた。縄張り図や鳥瞰図を拝見したが、単純でコンパクトな構造であり山麓居館がメインでその背後の山上に詰めの城を置く、といった城郭である。(2022.5.22訪問)
2021年04月09日 スイトピー❁伊予守
国分山城
標高106mの唐子山の山頂に国分山城は立地している。北には県指定の今治藩主の墓所があり立ち寄った。北西麓下には脇屋義助の廟がある。名所の小路となっているようだ。登城口手前(鳥越池付近)には駐車場、トイレ、説明板が完備されている。南に少し進むと登城口はあり、コンクリートスロープになっている。そこから、南西へ抜ける遊歩道(公園)として整備されている。
主郭からの眺望は絶景で、北西部に今治平野。北部には芸予諸島。東部眼下には燧灘。南部には世田山城や永納山城を望むことが出来る。唐子山の山頂から東側へ伸びる尾根を数段に削平し出郭を形成している。山頂主郭には三角点と説明板がある。今回、主郭周辺の石積み等の遺構は確認することが出来なかった。
(2020.4.6訪問)