幻城(まぼろしじょう)
幻城の基本情報
通称・別名
- (上城・下城)
所在地
- 愛媛県西条市小松町新屋敷(地図は上城の場所を示す)
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 岡通守
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- 黒川元春
主な城主
- 岡氏
廃城年
- 天正13年(1585)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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幻城の解説文
幻城の口コミ情報
2024年05月28日 noble左近衛大将弥勒菩薩
幻城
上城と下城の2つあります。中間地点に、(多分お寺の)駐車場があるので、ここから歩きます。北へ行けば下城、南へ登れば上城。
上城へ到達するには、30〜40分くらいひたすら登ります。途中まではお遍路道でもあるので、それなりに整備されています。東屋が見えたらそこが分岐点。左へ曲がり、明らかに木や草が刈られていない方を登ります。長い木の階段があり、そこから城域。階段は年代物なので、踏み落ちないよう、注意しましょう。
登ると、ニ曲輪だと思います。さらに主曲輪が続きます。主曲輪は、南側を中心に掘り残しの土塁で囲まれています。また、飛び越えられそうな短い堀切がある(溝程度?)。明瞭な遺構はこれくらい。あと、この主、ニ曲輪には、天水溜のような割りと大きな窪みが数か所あり。堀切と繋がっているところにもあって、命水のような箇所だったのかも、とも思いました。
下城は、駐車場から割りと平坦な北側の道を進み、200m程度歩くと、右手に朽ち折れた案内の矢印板があります。ここから規制ロープが張られており(但し、ロープも抜けて地を這っている状態なので、それまた分かりづらくスルーしてしまう可能性大)、本当はちょっと危険ぽいです。行く場合は完全に自己責任。
暫く登ると、またまたながーい階段です。どうやら、この階段が上城よりもさらに朽ちて脆くなっている模様。整備もされていないので上下左右木と草が邪魔しており、一段一段、足の位置を確かめながら、抜け落ちないように行きます。落ちても完全に自己責任。登り切ると、主曲輪に到着です。案内看板が南端に建てられており、その後方に土塁が盛られています。明確なだんさがあって、北側には二の段があります。ここは、幻城全体の前衛的な所だったのでしょう。
上述の通り、上城、下城ともに結構到達するまで厳しい条件となります。自分は、日頃はちょっとした山城ならばスニーカーで『エイヤ!』と行ってしまうのですが、今回は登山靴に履き替えて登りました。
また、どこでも同じなのですが、“自己責任”的なところも多いので、それも踏まえて登りましょう。雨の中だるみ、ちょっと止んだ数時間でさっと攻城したので地面が濡れていたこともあるのですが、下りる時の方が危ない。2回転びました…
また、階段はホントにミシミシ言ってるので、かなり注意が必要です。結構な斜面の上に建てられているので、踏み落ちたら滑落骨折します。
せっかく伊予に遠征してきたのに、梅雨前線で雨模様、しかし、11〜15時くらいまでパーッと晴れてそこで登城!ラッキーでした。
また、これ以上の夏場は極めておすすめしません。草木がすごくて先が全然見えない状況になると思います。
“幻城”が、“夢幻城”で終わらなくて良かったです😀
2020年11月13日 スイトピー❁伊予守感♡謝
幻城
*四国八十八ヶ所61番札所「香園寺」から小松大谷池公園を抜け奥の院へ。更に進むと道の終点に駐車場と案内板がある。
伊予最大の難所と言われる西日本最高峰「石鎚山」の中腹にある60番札所「横峰寺」の遍路道方面に上城がある。
・幻城は上城と下城から成る山城で、南北朝時代、岡氏によって築かれたとされる。
・駐車場に停車し、案内板から横峰寺方面へ進むと上城への登城口が、又反対に北側に進むと下城へ行くことができる。
・先ずは上城へ〜坂道を登り始めた。訪れた日が日曜日という事もあってか、しばらく進むと、団体数十名のお遍路さんが横峰寺方面より下りてこられた。
上城への分岐点に休憩所とトイレがあり、真っ直ぐ進むと横峰寺方面、右へ進むと展望台。(展望台は立派な木の休憩所が建てられていたが、草木が茂り過ぎていたため、山頂からの眺めは見えづらかった)
左へ進むと上城主郭へと繋がる。
・郭IIから郭Iへ繋がる木の階段がある。進むと主郭へと到着。説明板があった。
・主郭は東西に細長く北、西端に土塁ある。
・郭IIIへ降りる。土塁、連続堀切が沢山確認でき、竪堀もあって想像以上のスケールに大興奮だった。
・下城へは、一旦下山し最初の駐車場より続く北側の細い道を進んだ。
途中、分岐点に案内板があるのでそちらへ登り進むと階段で整備されており、10分程で単郭の主郭へ到着する。上城と同じ内容の説明板があった。
南東背後に土塁、南側に二重堀切を確認。また行きたいと思わせてくれる城跡だった。(2020.11.8訪問)
2012年06月06日 伊予守菜々
幻城
四国霊場61番札所香園寺の奥の院を通り過ぎた更に奥の終点に駐車場があり、そこから左の遊歩道を20分程行けば下城跡、右の遍路道を一時間近く行けば上城跡への道標があります。
一応遊歩道ですが手入れされてないので草ぼうぼう…特に上城跡は完全装備をお勧めします
この砦は河野一族が支配した。河野通信の子信家が同族河野信時の養子となり岡の庄を領していたので岡姓を称するようになった。信家7代の孫通昌が田滝村に住して幻城代となった。
興国3年(1342)南朝の惣大将脇屋義助が国府の城で病死したすきに北軍四国の総大将細川頼春が予州に攻め込んだ。川之江城を落し、新居郡に入り大保木天河寺に陣を取り幻滅内に押し寄せる。下城を守る岡弾正は城兵600余騎を率いて大日寺あたりで合戦、敵将香西出雲守と相討ちになり討死、上城の大将岡若丸は二陣の将矢野肥前守を討ち取ったが遂に城に入って自刃した。
このとき玉砕した将兵600余人の霊を祀る五輪の塚は下城ふもとにあり、千人塚と呼んでいる。
天文のころ、剣山城主黒川肥前守元春が幻の古砦を修復して出城としていたが、天正の陣後廃城となったという。
参考文献
・『小松町誌』