金子山城(かねこやまじょう)

金子山城の基本情報

通称・別名

金子城、橘江城

所在地

愛媛県新居浜市西の土居町2

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

金子広家

築城年

建長年間(1249〜1255)

主な改修者

主な城主

金子氏

廃城年

遺構

曲輪

指定文化財

市史跡(金子城跡)

再建造物

石碑

周辺の城

生子山城(愛媛県新居浜市)[4.8km]
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金子山城の解説文

金子城(かねこじょう)は、伊予国新居郡(現在の愛媛県新居浜市)に存在した戦国時代の日本の城である。

金子城跡の概説
桓武平氏村山党の流れをくみ、武蔵国入間郡金子郷を治めていた金子氏の一族・金子広家が、建長年間(1249年 - 1255年)に所領であった伊予国新居郡に移住し、その地を金子と名付け、領地を広く見渡せる丘陵地の頂に城を金子城を築いた。その後戦国時代にかけて勢力を拡大し、新居郡はもとより東隣の宇摩郡の実質的支配者として、伊予侵攻を謀る土佐国の長宗我部元親と和議を結び領地を安堵された。天正13年(1585年)に羽柴秀吉が四国制覇に乗り出すと(四国征伐)、その命を受けた毛利氏一族の小早川隆景の大軍により攻め滅ぼされ落城(天正の陣)、300年以上にわたる歴史を閉じた。

その後は再建されることなく、現在は展望台・東屋・遊具等が整備され滝の宮公園として市民の憩いの場となっている。昭和後期に市のシンボルとして復元する構想が立てられたが、実際の金子城と異なり江戸時代の様式の天守を擁するものであったために歴史研究家を中心に批判が相次ぎ難航し、自然消滅的に復元構想はなくなった。金子城跡は昭和53年4月6日、新居浜市史跡に指定された。

金子山城の口コミ情報

2020年09月28日 スイトピー❁ 伊予守
金子山城



戦国時代、長宗我部元親と和議を結んでいた金子氏。兵力に勝る小早川軍に落城されるとそのまま廃城となり、現在は市民の憩いの場で滝の宮公園となっている。
無料駐車場、トイレあり。
幾度かの山火事と公園整備のため、明確な遺構は残っていない。展望台からは新居大島、燧灘など素晴らしい景色が一望でき、ココに城が築かれた理由がよく分かります。
山頂の本丸跡には石碑が建ち、南に続く山峰が二の丸跡、東の山麓にある慈眼寺の上辺りが三の丸跡です。
金子山の南東山中には金子山古墳があります。慈眼寺は金子元春により建立され、郷土を守るために戦い散った武者の霊を弔っている。
1585年羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景の軍と金子元宅率いる地元勢力との小さな戦いでしたが3万余に対し2千…。
この四国攻めは「天正の陣」と伊予側からは呼ばれているそう。私は郭跡に立つと、負け戦と分かっていても死力を尽くし、戦い散った先人たちに想いを馳せます。

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