渋柿城(しぶがきじょう)
渋柿城の基本情報
通称・別名
- 志武垣城
所在地
- 愛媛県四国中央市土居町小林
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 薦田氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 薦田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石積、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
松尾城(愛媛県四国中央市)[9.1km]
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渋柿城の口コミ情報
2025年04月26日 生駒伊予守江現蔵✿
渋柿城
渋柿城は、伊予国四国中央市にある登山で人気の赤星山から北の尾根の一つ、標高275m程の山に築かれています。愛媛に多い姓、薦田氏の居城で、1585年に豊臣秀吉による四国征伐で、城主であった薦田義清は小早川軍と戦って討死しました。
4月の曇り空のリア日和、讃岐の城友さんとの東予遠征1城目です。師匠からは先週リアした南予の天ヶ森城に比べるとラクだと聞いていたので、軽い気持ちで城友さんの口コミを見て、墓地に車を止めて出陣。
道がなく、沢登りで苔の生えた石が滑りやすいので慎重に登ります。口コミには少し行くと左手に上り口とあったのですが、登り口の赤テープに気付かず、沢を30分以上登ってしまい、途中で直登する羽目に。
滑落に注意しながら何とか主郭に到達した時は登り始めて40分以上経過してました。師匠と一緒ならこんなに苦労しなかっただろうなと思いつつ、諦めないで頑張って良かった。
遺構は素晴らしく、細長い主郭の北に曲輪が2つ、一番北の台形の曲輪の奥にある横堀から3つ竪堀が落ちていました。
これだけでも十分楽しいですが、この城の見所は主郭から南の5連続堀切。残存度抜群で、感動の遺構でした。帰路は道を間違えないように下山する予定が、やっぱりズレて降りてしまいました。
帰りに登りで気付かなかった赤テープを発見!口コミ通り少し登った所にありました。ルートを間違えなければオススメの城、2時間半の楽しい山歩きでした。
2021年02月24日 スイトピー❁伊予守
渋柿城
急峻な法皇山脈から北突する標高300mの頂上にある渋柿城。室町時代、河野氏部将の一人、薦田氏の居城。天正の陣を最後に本城は廃城となる。城の東と西は深いv字の谷で絶壁に近く、宇摩地方の最も自然地形を利用した要害城。地形的に見ても難攻不落の城だと思います。
一度目は登山口を間違え、道なき道を進む羽目になり…仕切り直し、今回リベンジと言うことで臨みました。二月、冬場にも関わらずシダの群生。膝丈〜腰高まで伸びてます。シダをかき分け進み、主郭を目指す。三つの郭が階段状に並び、東に帯曲輪があった。また曲輪に到着する間の横堀とそれに続く竪堀が数カ所あり、シダ越しに敵の攻撃を避けるための工夫を想像!そして主郭からは宇摩平野、燧灘を望むことが出来ました。
ルート…途中までは案内に従って行き、松山自動車道「土居16」トンネルをくぐって左に行くと、ガードレールの勾配のある坂道があり、その奥に墓地が見えてきます。駐車スペース有ります。
墓地左側から沢づたいに向かって道なりに進み、少し行くと左手登り口へと繋がっています。水辺の苔に滑らないよう足元注意です。
2021年02月07日 いしたりん土佐守
渋柿城
まずは墓地へ近づきます。墓地の東側に入り口があり、そこからは徒歩となります。
沢沿いに上がっていき、途中で沢の東側に登ります。
整備された道が最後まであるわけではありませんので、初めての方はスマホの地図を見ながら慎重に進む必要があると思います。
すべりやすい急坂も多いので、雨上がりの日は危険度アップ、靴や手袋なども気にして、安全優先で登るのがよいです。
高さ約275mらしい。