松尾城(まつおじょう)

松尾城の基本情報

通称・別名

所在地

愛媛県四国中央市中曾根町乙362(水波神社)

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

真鍋通近

築城年

不明

主な改修者

主な城主

真鍋氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

曲輪、腰曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

市史跡(松尾城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

轟城(愛媛県四国中央市)[5.2km]
川之江城(愛媛県四国中央市)[6.1km]
渋柿城(愛媛県四国中央市)[9.1km]
田尾城(徳島県三好市)[17.6km]
藤目城(香川県観音寺市)[20.2km]
生子山城(愛媛県新居浜市)[21.8km]
白地城(徳島県三好市)[22.6km]
九十九山城(香川県観音寺市)[23.0km]
本山城(高知県長岡郡)[23.4km]
金子山城(愛媛県新居浜市)[24.7km]

松尾城の解説文

松尾城(まつおじょう)は、愛媛県四国中央市中曾根町乙にあった日本の城。

松尾城は、戦国時代の真鍋大炊介通周の山城である。天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国攻めに際し、中国地方の小早川隆景の侵攻を受け落城した。

城は、標高340mの山の尾根の頂上を階段状にならし、7つの郭を造り、東斜面に腰郭を長く構築している。後ろには土塁を築き切通しを掘り、敵の侵入を防いでいる。

真鍋氏の子孫は代々三島村の庄屋となった。大炊介通周の墓は、明治19年に移転されるまで、この城跡にあった。現在、城跡には水波神社が祀られている。

参考文献 

『四国中央市の文化財』ウェブサイト。

情報提供:四国中央市教育委員会


松尾城の口コミ情報

2021年03月02日 スイトピー❁伊予守感♡謝
松尾城



伊予松尾城は真鍋氏の居城。主郭は最上段郭に祀られてある水波神社⛩分社(写真①)その背後には高さ約2mの土塁があり、主郭の南には堀切と土橋が確認出来ます。虎口だったろう入り口を抜けると、視界がさぁ〜と開け広々とした頂上には階段状の郭が現れます。それは7つの郭から成ります。荒れていて、原形は少し分かりづらくなっていましたが、坂虎口の石垣や一部の石積みも残っていました。(写真②③④)

ルートは国道319号線、高速道路高架下潜ると松尾城跡の分岐(看板)有ります。左折して直ぐ右折。次の分岐を左折し、少し登った所に登山口あり。駐車場・トイレはありませんが、案内板の辺りに停車スペースがあります。また、伊予三島駅から徒歩でのアクセスも可能です。
登山口は案内板が二つ出ていましたが、一つは朽ちて古くなっています。オススメは少し新しいのかも⁈っと思った方の「松尾城復元ふるさとの道」から登ると良いと思います。(写真⑤)入口付近は藪ですが、その後は比較的歩きやすく、途中の分岐ごとに案内板があり迷わず行けます。城跡までの距離は約750mです。

城址から分岐点まで戻って、あやめ池(雨季のみ出現する幻の池?)方面へ3キロ程、南進すると水波神社本宮へ。更にそこから400m程で翠波東峰まで繋がり(山道は不明瞭で荒れています)
神割岩〜翠波高原までも行く事が出来ます。(写真⑥⑦)
ちなみに、城主真鍋大炊介氏のお墓は移転され、登山口より少し北に下った所に有りました。(写真⑧) 2021.2.7訪問


2018年03月03日 笑門来猫
松尾城

高速くぐると案内板あります。入口付近の道は狭く、車は少し離れた場所に停める必要あり。

藪の間をすり抜けて進むと、長い長い九十九折の道が続きます。最後の登りを終えて虎口を抜けると、目の前に突然、7段郭が広がります。

その場で後ろを振り向くと、四国中央市の工場地帯が一望のもとに。さらに本丸の奥に進むと、土橋や堀切も見られます。2月だったので道は比較的明瞭、迷わず登れました。



松尾城の周辺スポット情報

 お台場(碑・説明板)

 陣屋遺跡(碑・説明板)

 正法寺城跡(碑・説明板)

 正法寺城(周辺城郭)

 林道入口 駐車スペース(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 登城口(その他)

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