松尾城(まつおじょう)
松尾城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛媛県四国中央市中曾根町乙362(水波神社)
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 真鍋通近
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 真鍋氏
廃城年
- 天正13年(1585)
遺構
- 曲輪、腰曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- 市史跡(松尾城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
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松尾城の解説文
松尾城の口コミ情報
2021年03月02日 スイトピー❁伊予守感♡謝
松尾城
伊予松尾城は真鍋氏の居城。主郭は最上段郭に祀られてある水波神社⛩分社(写真①)その背後には高さ約2mの土塁があり、主郭の南には堀切と土橋が確認出来ます。虎口だったろう入り口を抜けると、視界がさぁ〜と開け広々とした頂上には階段状の郭が現れます。それは7つの郭から成ります。荒れていて、原形は少し分かりづらくなっていましたが、坂虎口の石垣や一部の石積みも残っていました。(写真②③④)
ルートは国道319号線、高速道路高架下潜ると松尾城跡の分岐(看板)有ります。左折して直ぐ右折。次の分岐を左折し、少し登った所に登山口あり。駐車場・トイレはありませんが、案内板の辺りに停車スペースがあります。また、伊予三島駅から徒歩でのアクセスも可能です。
登山口は案内板が二つ出ていましたが、一つは朽ちて古くなっています。オススメは少し新しいのかも⁈っと思った方の「松尾城復元ふるさとの道」から登ると良いと思います。(写真⑤)入口付近は藪ですが、その後は比較的歩きやすく、途中の分岐ごとに案内板があり迷わず行けます。城跡までの距離は約750mです。
城址から分岐点まで戻って、あやめ池(雨季のみ出現する幻の池?)方面へ3キロ程、南進すると水波神社本宮へ。更にそこから400m程で翠波東峰まで繋がり(山道は不明瞭で荒れています)
神割岩〜翠波高原までも行く事が出来ます。(写真⑥⑦)
ちなみに、城主真鍋大炊介氏のお墓は移転され、登山口より少し北に下った所に有りました。(写真⑧) 2021.2.7訪問
2018年03月03日 笑門来猫
松尾城
高速くぐると案内板あります。入口付近の道は狭く、車は少し離れた場所に停める必要あり。
藪の間をすり抜けて進むと、長い長い九十九折の道が続きます。最後の登りを終えて虎口を抜けると、目の前に突然、7段郭が広がります。
その場で後ろを振り向くと、四国中央市の工場地帯が一望のもとに。さらに本丸の奥に進むと、土橋や堀切も見られます。2月だったので道は比較的明瞭、迷わず登れました。
松尾城は、戦国時代の真鍋大炊介通周の山城である。天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国攻めに際し、中国地方の小早川隆景の侵攻を受け落城した。
城は、標高340mの山の尾根の頂上を階段状にならし、7つの郭を造り、東斜面に腰郭を長く構築している。後ろには土塁を築き切通しを掘り、敵の侵入を防いでいる。
真鍋氏の子孫は代々三島村の庄屋となった。大炊介通周の墓は、明治19年に移転されるまで、この城跡にあった。現在、城跡には水波神社が祀られている。
参考文献
・『四国中央市の文化財』ウェブサイト。