生子山城(しょうじやまじょう)
生子山城の基本情報
通称・別名
- 庄司山城
所在地
- 愛媛県新居浜市角野新田町
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 松木通村
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 松木氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
金子山城(愛媛県新居浜市)[4.8km]
土居構(愛媛県西条市)[12.2km]
西条陣屋(愛媛県西条市)[12.6km]
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幻城(愛媛県西条市)[20.1km]
鷺ノ森城(愛媛県西条市)[21.1km]
松尾城(愛媛県四国中央市)[21.8km]
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川之江城(愛媛県四国中央市)[25.6km]
世田山城(愛媛県西条市)[26.1km]
生子山城の解説文
[引用元:Wikipedia「生子山城」の項目]
生子山城(しょうじやまじょう)は、愛媛県新居浜市立川町にあった日本の城。
概要
中央構造線によって三角末端面を形成し、ほぼ東西一直線に新居浜平野との境を成す四国山地の一山塊上に立地する。西側には国領川が急峻な渓谷を形成して北流する[1]。
『日本城郭大系』では、生子山城跡を元禄4年(1691年)に開坑した別子銅山の銅精練所跡である生子山(エントツ山、標高153メートル)地点と見なしており、別子銅山の採掘によって山が崩されたことで城跡の遺構は完全に消失したとしているが、現在の新居浜市の埋蔵文化財包蔵地地図では、生子山(エントツ山)と南東の標高300.5メートルのピークの2ヶ所を城跡と見ており、曲輪と堀切が残るとしている。
城跡へは、同市立山町の山根公園から登坂して生子山(エントツ山)に至り、さらに南東へ登り大山積神社奥宮を経て尾根筋に出ると、生子山城跡の標識のある地点に達する。
左手に20メートル進むと標高280.1メートルの新居浜平野と燧灘を一望できる見晴らし所に至る。右手に行くと鉄塔があり、その背後の急坂を登り、松山自動車道・山根トンネル直上にあたる標高300.5メートルの板ノ本三角点がある地点に登ると平らになっていて、中央に千手観音・地蔵菩薩・城主大明神の石仏を祀っている。
当城は、南北朝時代に松木通村または松木景村が築城したと伝わるが、裏付けとなる史料が存在しない。しかし南北朝以来、南朝方に属した松木氏(一条氏)が主な城主となり、戦国時代に至るまで続いた。
天正13年(1585年)7月に羽柴秀吉が四国征伐に乗り出し小早川隆景の軍が伊予国に侵攻すると、城主・松木安村は金子城の金子元宅らと共に高尾城へ入って小早川軍に抵抗したが戦死(天正の陣)、生子山城は鈴木重保が籠り防戦するも陥落し、廃城となった。
参考文献
- 【書籍】「日本城郭大系 第16巻 大分・宮崎・愛媛」
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生子山城の口コミ情報
2024年02月19日 スイトピー❁伊予守
生子山城
天正の陣で毛利勢に攻められ落城した松木氏歴代の城。砦とあって眺望は素晴らしい。
市内の重要城郭である金子山城や岡崎城も遠望でき、また天気の良い日にはしまなみ海道や瀬戸内の島々を一望出来る。
山頂には三角点もあり遺構の中心は階段状の4つの郭で、本丸跡と推定される最頂部の郭は礎石も残っている。有志によって管理整備されており、木々の伐採で手入が進み以前よりスッキリしていた。
東西は国領川等の侵食した急峻な崖によってさえぎられ、北は断層崖を経て新居浜平野へ続く。
南側は尾根により西赤石山に通ずるため、週末ともなれば登山する人も多く見かけ老若男女問わず複数人とすれ違い挨拶を交わすことも。市民より親しまれている山である。 2024.2.18再訪
2022年05月07日 やまてつ伊予守
生子山城
地元でエントツ山と呼ばれている生子山から、さらに進まないと行けません。鉄塔が目印になります。
2022年01月24日 スイトピー❁伊予守
生子山城
本丸砦の南側には堀切が残存します。見るためには、本丸跡には上がらず端にある犬返しへと続く山道を進んで下さい。登山道はとても整備されていますが、ココの一部は道幅がかなり狭くなっているので、足元十分にお気をつけ下さい。
2022.1.23再訪問
2022年01月06日 スイトピー❁伊予守
生子山城
生子山城へのもう一つの登山道をご紹介します。「新居浜市山根市民グラウンド」の北側の庭園内東屋付近から「煙突山新登山道」と示された案内板があります。有志によって管理された山道です。杖も完備されています。
15分ほどでえんとつ山と生子山の分岐点に出ます。生子山城目指し進むと南東に大山積神社奥宮があります。年末だったので締め飾りを有志の方と見られる女性が付けられていました。
その方のすすめで「少し急な斜面にはなるが近道だ」と教えて頂き、前回とは違ったルートから登城しました。(木に青色ペンキで印のみ)こちらは特に案内板はありません。
標高280.1メートルの地点に到着。「生子山城址」の説明板があり出丸と言われるその平坦地からも新居浜平野と燧灘を一望できます。
さらに後方の山上に進み主郭へ。一段小高い頂上300.3メートルに三角点があり、城砦跡とされています。
南側に千手観音•地蔵菩薩•城主大明神の石仏を祀っています。
主郭手前、段廓らしき平坦地もありそこからの眺めも絶景です。
また、巨大な赤煙突が町のシンボルとして建っているえんとつ山も本城跡と言われているが、廃城ののち時を経て別子銅山が発見され、製錬所の建設などにより遺構は消滅しています。
(最終訪問日:2021.12.30)
2021年10月27日 tad333参議
生子山城
イオン側の道路からも徒歩で登れます。徒歩の場合は運動にもなりおすすめです
2020年10月16日 た〜坊 対馬守
生子山城
エントツ山から登る事が出来ますが、その辺から急峻な山道となりますので、注意して登って下さい。
2020年10月08日 スイトピー❁伊予守
生子山城
生子山は「えんとつ山」と呼ばれ市民に親しまれており、別子銅山名残りの高さ20mのえんとつのみが残され、国の登録有形文化財になっています。生子山城は山頂300.4mに築かれた松木氏の城で現在整備され、主郭は周囲より一段小高く、切岸加工された削平地にありますが、急な傾斜のためロープが取り付けられています。ゆっくり上ると三角点や南側には城主を祀った「城主大明神」の碑なとがあった。ここは天正の陣で毛利勢に攻められ落城した城砦の本丸があったと記載。
先ずは整備された広い道(明治時代、牛車道と呼ばれていた)を進むと「えんとつ山」との分岐があるが、反対側の山積神社奥之院側へ鳥居を潜り進みます。ここは市内はもちろん燧灘、四国山脈などを一望出来るパノラマビューな場所です。そして、こちら右奥より、細く傾斜の急な山道へと続きます。途中、案内板が各所にあります。
少し分かりづらかったですが、腰郭、堀切、出丸など確認出来ます。
*おすすめ登城ルート…県道47号線沿にある山根公園外側の無料駐車場へ。トイレ、案内板、登城杖あります。(他に登城口あり)
余談ですが、個人的には「犬返し」もオススメです。初心者は100分程かかりますが、尾根伝いに行ける岩場があります。とても素晴らしい絶景が見られます。
ちなみに名前の由来は、犬も登れない岩場。ということで犬返しと言われてるそう…。
2014年05月05日 まったり丹波守屋
生子山城
規模は小さく周りは薮で特別な防御設備の存在はわかりませんでした。岩が多く、天然の石垣になっていたかもしれません。四国山地の入口に有り瀬戸内海、松山方面、高松方面の見晴らしが良く、規模からして見張り砦的な存在かもしれません。鉄塔の南に土橋らしき物が有り山頂は削平地が有ります。削平地には城主を奉る石仏が有ります。鉄塔脇から山頂まで崖っぷちや滑り易い斜面なので登る時は安全に気をつけて自己責任でお願いします。