川之江城(かわのえじょう)
川之江城の基本情報
通称・別名
- 仏殿城、河江城、土肥城
所在地
- 愛媛県四国中央市川之江町1087-4
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- 複合式望楼型[3重4階/1984年築/RC造模擬]
築城主
- 土肥義昌
築城年
- 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338)
主な改修者
- -
主な城主
- 土肥氏、妻鳥氏、河上氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、石垣、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 模擬天守、櫓、石碑、説明板
周辺の城
-
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田尾城(徳島県三好市)[16.5km]
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大西城(徳島県三好市)[22.3km]
本篠城(香川県三豊市)[22.5km]
川之江城の解説文
[引用元:Wikipedia「川之江城」の項目]
川之江城(かわのえじょう)は、愛媛県四国中央市川之江町の鷲尾山(城山)にある日本の城。別名の仏殿城の名でも著名である。
概要
伊予・讃岐・土佐・阿波を結ぶ交通の要衝である川之江の鷲尾山山頂に位置した川之江城は、南北朝時代から戦国時代にかけての城であり、別名仏殿城といわれるように本来は仏閣であった。
昭和59年(1984年)に川之江市制施行30周年記念事業の一環として城山公園整備事業が行われ、本丸跡に天守、涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀などが建築された。犬山城天守を模した天守であり、その他の石垣や櫓、城門等も史実に即したものではなく、当時の名残を留めるものは、模擬天守の石垣の周囲に残存する僅かな石垣だけである。
城の縄張りは標高62mの鷲尾山山頂を主郭とする階郭式の山城である。城地の主要部分は石垣が配されており、加藤嘉明再建時のものと見られる。また、山を区画するように堀切や竪堀も存在し、これらは中世期の名残と推測される。
歴史
南北朝時代、南朝方の武将であった河野氏の砦のひとつとして、土肥義昌が南朝:延元2年/北朝:建武4年(1337年)に川之江城を築いた。しかし南朝:興国3年/北朝:暦応5年・康永元年(1342年)に細川頼春の攻撃を受けて落城、土肥義昌は討ち死を遂げた。交通の要衝であった川之江城はそれからも攻略対象となり、南朝 : 正平19年/北朝 : 貞治3年(1364年)と、南朝 : 天授5年/北朝 : 永和5年・康暦元年(1379年)にも落城の憂き目にあっている。その後細川野州家の持城になっていたが、細川通董は独力での川之江の維持が不可能として、毛利氏の助力を求めて備中国へと去り、この地は河野氏に譲渡された。
河野氏の所領になった川之江城は妻鳥友春が城主となったが、元亀3年(1572年)に三好氏配下の薦田大和守の攻撃を受けている。その後、妻鳥友春は金子元宅を通じて土佐の長宗我部氏へ寝返ったため、河野氏配下の河上安勝の攻撃を受けて落城、河上安勝が城主となる。しかし、天正10年(1582年)に土佐の長宗我部氏の攻撃を受けて、川之江城は再び落城、河上安勝も討ち死にした。
天正13年(1585年)6月16日、豊臣秀吉の四国平定軍が四国へ侵攻を開始(四国攻め)。怒涛の勢いで四国各地を席巻する。川之江城も豊臣軍による攻囲を受けたが、攻囲中の7月25日に長宗我部氏は降伏して、川之江城は開城となった。以後の川之江地方は小早川氏、福島氏、池田氏、小川氏と目まぐるしく領主が変わったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に伊予国に移封された加藤嘉明が川之江を領すると、慶長7年(1602年)に城を織豊系城郭へと改築した。しかし、嘉明が居城を伊予松山城へ移すと川之江城は廃城になった(一国一城令で廃城になったとも)。
一柳直家が寛永13年(1636年)に川之江藩を立藩し、城を再築しようとしたが、寛永19年(1642年)に死去。領地は収公され、以後の川之江は天領になったため再築されることはなかった。
アクセス
国道11号山下公園前交差点の川之江城標識から西へ折れ、約650m先の金生川大江橋手前を鋭角に右折、約350mで城山公園麓に到着。一方通行進入禁止の標識手前すぐ左の登り道に進入、約350mで城山公園山頂駐車場に到着。
付近の観光スポット
- 三角寺(四国八十八箇所霊場の第六十五番札所)
- 翠波高原
- 霧の森
- 霧の高原
- 塩塚高原
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川之江城の口コミ情報
2024年05月17日 尼崎城駿河守一口城主
川之江城
[夜景編]4/28の夜に登城🏯当日は川之江宿泊で川之江城下町を歩いていたところ、お城がライトアップ(写真①)されているのが見え、どう考えても気のせいですがお城に呼ばれているような気がして登城。
ライトアップ💡されたお城(写真②③④)や石碑(写真⑤)、城下町の夜景(写真⑥⑦⑧)を撮ってみました。
滞在していたのは大体21:20頃から20分間くらいだったと思いますが他の登城者はおらず独り占め気分を満喫しました🌠
下城後、コンビニに行ってホテルに戻る道中22時を過ぎた頃、再度お城を見上げるとライトアップは終わっていたのでお城の夜景を楽しめたのもギリギリセーフだったことに気づきました😅
2024年05月17日 尼崎城駿河守一口城主
川之江城
[早朝登城編]前夜登城して、明るい時間帯の姿も見たかったので4/29の7時頃再登城🏯朝は地元の方の散歩コースやトレーニングコースになっているようでした🏃🏻♂️
石垣&天守(写真①)や前夜Gマップに上がっていたものの見つけられなかったハート石(写真②)を発見して撮ってみました。
本丸広場を散策して櫓門(写真③)をいい枡形だなぁと見たり、海や涼櫓(写真④)を眺めていました。櫓門の前の二の丸広場には土俵があり(写真⑤)、周囲に人がいないのを確認して土俵入りしてみました。
二の丸と三の丸の間に駐車場🅿️(数えたところ12台駐めれます)があり、付近に川之江🏯案内図(写真⑥)と川之江城史(写真⑦)がありました。城史を読んで2点1️⃣「数々の攻防は川之江が地理的に重要な位置にあった為の悲劇」と2️⃣「寛永13年(1636)一柳直家が川之江藩2万8600石の領主となり城山に城を築こうとしたが寛永19年(1642)病没、領地没収、幕領となり明治に至る」が印象に残りました。1点目の地理的位置ですが伊予国の東端にあたり他の四国の三国との国境が近いのと瀬戸内海にも面しているので戦国時代の領主は陸も海も色んなところの攻防を気にしないといけないので大変だったことが推察されました。2点目で一柳直家公の築城の夢が病没で叶わなかったとありましたが、直家公の夢を300年以上経った後に市民が実現させた情(城)熱に感激しました‼️
最後に三の丸を散策し、天守方面を眺めてみると天守最上階(写真⑧)が見えました。天守閣がまだ開館していない早朝に登城したため、天守閣には入れませんでしたが色んな角度の表情のお城を見れたことに満足して下城しました。
2024年05月17日 尼崎城駿河守一口城主
旧一柳陣屋移築表門[川之江城 遺構・復元物]
4/29、川之江に宿泊中にGマップを眺めていて一柳陣屋門が気になったので見学。写真①の地図の通り、川之江駅から北に進んだ川之江八幡宮の境内にありました。八幡宮に着いた時、すぐには見つけられませんでしたが境内の大きな木(写真②)の近くにありました。
有形登録文化財(写真③④)になっていて、一柳氏の家紋入り(調べたところ、丸に二重釘抜きという名前の紋でした)の屋根瓦がある建物(写真⑤)でした。説明板🪧(写真⑥)には「全国的にみても陣屋門が残っている例は少なく、特に二階建ての陣屋門はここにしかない貴重なものである。」と書かれていました。
当日、陣屋見学後にたまたまフジ川之江店さんとホテルセレクトイン四国中央さん付近を歩いていたところ一柳直家公陣屋跡(写真⑦⑧)を見つけました。(※陣屋跡はリア攻めマップに地点登録しておきました)
最後に一柳(ひとつやなぎ)という武将の名前、どこかで見聞きしたことがあるなと思い調べてみました。戦国末期に豊臣軍と北条軍の山中城(静岡県)の戦いで豊臣側で戦死して山中城にお墓が建っている武将が一柳直末公でした。直末公討死後に弟の直盛公が奮戦して山中城攻略に貢献されたようです。その直盛公の子が直家公とのことでした🖊
2023年03月26日 スイトピー❁伊予守
川之江城
伊予国の東玄関口にある仏殿城(川之江城)高速道路からはもちろん、一際目立つ紙の町の煙突の次に、四国中央市のシンボルとなっています。昭和63年3月末をもって城山公園として天守閣・櫓門・涼櫓・控塀・隅櫓が完成しています。駐車場やトイレも完備。市民から親しまれており、桜の咲く季節に訪れると特に素晴らしいです。
遺構は本丸・二の丸・三の丸。史料は残っておらず残念ですが、地形から東部を大手口とし西部を搦手としているらしいです。二の丸の東には腰曲輪があり、草木の茂みに埋もれた石垣遺構を確認できます。
余談ですが、涼櫓を貸し出ししています。一部屋一時間につき1000円。(2時間程度)お花見はもちろんお茶会等使用に大人気だそうです。
2022年08月30日 やまてつ伊予守
川之江城
公園及び資料館として整備されており、山頂まで車で行けます。当時の石垣が少し残っています。
2022年05月17日 マグロ常陸介祐平
川之江城
もともとあったお城を再現した訳ではないようですが、日本人の持つお城のイメージが詰まっています。遺構も残っているようですが、天守内の資料館が4時の閉館でギリギリアウトのため情報を得ることが出来ず確認できませんでした。時間には気をつけましょう。
2021年04月06日 弾正尹 山城守pi_pua
川之江城
本丸からの瀬戸内海眺望が素晴らしい。車でのアクセスがおすすめです。
2020年09月10日 たっかー侍従
川之江城
お城の近くは一方通行があり標識に注意下さい。訪問時西入口で照明工事があり迂回してお城近くの駐車場に停めました。見晴らしが良かったです。
2017年05月06日 小山 美濃守 政光
川之江城
川之江駅から登城入り口まで、徒歩で10分かからず、ほぼ駅からまっすぐに近いですが、若干分かりにくいかも。徒歩の場合本丸へ最短距離で行けるので、意外に早く登れます。天守への入場は16時までと少し早いので、お気をつけください。
2017年03月21日 織田上総介晃司
川之江城
天守の近くまで車で登る事ができますが、道幅は広くなく、ヘアピンカーブも多い為、運転に自信のない方は麓の運動公園に駐車して歩いて行くほうが無難です。
2012年12月31日 【隠者】史学会帰新参
川之江城
城内各所に石垣があるが天守台東側と本丸西側の一部と二の丸東の腰曲輪の石垣が本来の遺構である。
2010年09月13日 tomm加賀守
川之江城
国道11号線沿いに案内板がありますが、かすれて薄くなっており非常に分かりづらいです