本篠城(もとしのじょう)

本篠城の基本情報

通称・別名

財田城

所在地

香川県三豊市財田町財田中

旧国名

讃岐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

小笠原義盛

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

財田氏(香川氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、石積、横堀(空堀)、のろし台

指定文化財

市史跡(本篠城址)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

藤目城(香川県観音寺市)[8.0km]
大西城(徳島県三好市)[8.2km]
丸山城(香川県仲多度郡)[8.6km]
東山城(徳島県三好郡)[8.9km]
朝日山城(香川県三豊市)[9.0km]
白地城(徳島県三好市)[9.6km]
爺神山城(香川県三豊市)[12.2km]
足代城(徳島県三好郡)[12.9km]
西長尾城(香川県丸亀市)[13.5km]
八石城(徳島県三好市)[13.6km]

本篠城の口コミ情報

2023年12月19日 RED副将軍
本篠城



讃岐と阿波を結ぶ要衝に築かれた財田氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。延元年間(1336年~1340年)に財田義宗により築かれたと伝わります。
財団義宗は南朝方に属し、1337年には財田合戦があり、阿波守護の小笠原義盛は南朝方に呼応し本篠城を拠点として北朝方の細川氏と戦うも、一カ月で落城し、小笠原義盛は細川氏に投降したとされます。
その後、財田氏は天霧城の香川氏に従属。
1578年には長宗我部元親が五千の兵を率いて本篠城に侵攻。対する財田常久は、僅か二百の兵で籠城し、香川氏に再三援軍を求めるも救援は無く、奮戦するも長宗我部氏家臣の横山源兵衛に討たれ、財田氏は滅亡。
その後は、長宗我部氏家臣の中内藤左衛門が入城するも、1585年に豊臣秀吉による四国征伐において長宗我部氏が降伏すると中内藤左衛門は城を捨てて土佐に退去し廃城となった様です。

見所
本篠集落南東の標高204mの山陵に築かれています。讃岐と阿波を結ぶ交通の要衝の地であり、険峻な崖地に本篠川支流を天然の堀として利用しています。
山頂に東側に土塁が残る主郭と、主郭を囲む帯郭状の副郭で構成されています。
南北はそれぞれ二条の堀切で遮断されており、特に南尾根の堀切は深い岩盤堀切です。
讃岐では珍しい竪堀は長宗我部氏の改修と思われます。
コンパクトながらも見応えのある山城です。
 
行き方は、城域北麓に登城口があり案内板と城跡碑が立っています。龍王神社の向かいに駐車することができます。

2022年03月14日 RED副将軍
青蓮寺山城[本篠城  周辺城郭]



本篠城主 財田左兵衛頭義宗公の祈願院
公園化により遺構は消失

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

密蔵寺の古寺である青蓮寺がかつてあった場所で南北朝時代の動乱期は激しい攻防が繰り広げられた地。
近隣の本篠城主 財田左兵衛頭義宗の祈願所であった様です。
1579年には長曽我部氏による兵火で焼失。

見所
塔重山公園として整備されています。
標高268mの塔重山山頂に削平地が確認できる程度で、二段の薬研堀があった様ですが公園化により遺構は見当たりませんでした。

2021年03月16日 若旦那讃岐守
知行寺山城[本篠城  周辺城郭]



標高162mの知行寺山にあった南北朝から戦国期にかけての大平氏の城。県道377側の稲荷大権現からのルートと、県道226沿い山本小学校と郵便局の間にある脇道からの登山ルートがあります。地図で確認すると稲荷大権現からのルートが距離的に近いようです。自分は後者から行きました。苦労しながら30分ほどで頂上へ。

頂上は南北に延びる広い曲輪となっており知行寺山中世城跡の石碑があります。石碑から北に進むと幅6.8メートル深さ3mの城内最大の堀切が待ってますよ。スマホで測ったのであまりあてになりませんけど。でも便利になりましたね。アプリによっては曲輪の面積も割り出せるかもしれません。さらに北に進んで2本目の堀切。これもかなりの堀切です。山頂の曲輪の西側、少し下った所に大小2つの祠が並んでいます。

東側の尾根に行くと堀切と曲輪、五輪塔があります。そして『本丸跡』の白い札が括り付けられた木を発見。ん?こっちが本丸?誰が括り付けたのでしょう。悪戯ではないと思いますが…。行かれた方はご確認ください。

登山や山歩きに不慣れな自分は小鳥のさえずりや羽ばたく音にすらビビりまくりで。あまり整備されてない山城の一人歩きは恐怖でした。頂上で知行寺山中世城跡石碑を見付けた時は泣きそうになりましたけどね。

2021年03月09日 生駒讃岐守江現蔵21日九州
本篠城



築城年代は定かではありませんが、南北朝時代の1337年南朝方の財田左兵衛頭義宗が北朝軍と戦ったとされています。
戦国時代、1578年香川氏に属していた財田和泉守常久は長宗我部の軍に攻められ、天霧城の香川信景に援軍を頼むも、援軍は来ず遂に討死しました。

三豊市財田町の標高202.8mの山頂にあり、遺構の保存状態が良く、合戦時に兵が待機した待ちの段、讃岐の城には珍しい竪堀は見応えがあり必見です!
本篠城址の看板と石碑の後ろから直登できますが、自信のない方はぐるっと回っても主郭に行けます。
主郭の切岸、土塁、東側に階段状の帯郭も残っています。

落城の際に女房達が身を投げた「伯母渕」、戦国時代に何か他の建物があったのかなと思われる「竜王神社」があり、その向い側に1台は駐車できるので、城友さん達とリア攻めの際は乗り合わせで行きましょう。

2021年03月07日 若旦那讃岐守
青蓮寺山城[本篠城  周辺城郭]



三豊市を一望できる塔重山の山頂にあったとされています。現在は塔重山公園になっており展望台からは晴天の日には瀬戸内海、伊吹島まで眺めることができます。

かつて青蓮寺という古寺があったことから青蓮寺山城と呼ばれていましたがナビを使うなら塔重山公園で探す方が確実です。スポット名は青蓮寺山城にしています。塔重山公園だと味気ないんで。頂上付近には少し狭いですが駐車場があるので安心ですよ。一応登山道も整備されてます。

頂上には中世山城の櫓をイメージしたとされる展望台があります。そして展望台の説明板によれば『二段の薬研堀と思われる空堀の遺構がある』とされています。残念なことに開発のため無くなっています、おそらく。周辺を散策してみましたが堀らしきものは見当たりませんでした。曲輪っぽいのが無いこともないのですが、これもよくわかりません。

あと展望台の展望案内に『じょうの辻山』という気になる山が。『じょうの辻山』つまり『城の辻山』。きな臭いこの城感が。調べてみようかなと。

2021年02月07日 若旦那讃岐守
橘城[本篠城  周辺城郭]



戦国時代大平伊賀守国秀の居城(山城)。のち矢野氏の居城。別名天王城。財田小学校の北側にある標高111メートルの山頂に築かれています。

財田小学校に隣接する財田町総合運動公園の駐車場に車を停め遊歩道を上がって主郭まで10分足らず。遺構としては主郭の土塁、主郭南西隅の櫓台、西側両端の突出した曲輪、西側に二つの空堀など他にも盛り沢山。注目は土塁と櫓台でしょうか。びっくりするほど綺麗に残っています。讃岐にこんな城があるのがうれしくなりました。

また地元中学生が作成した橘城案内板に東宮城、奥ノ内城という聞き慣れない名前があり、じゃあそこも行かない手はねえなと。

本篠城の周辺スポット情報

 本篠城址の碑(左側が登山口)(碑・説明板)

 本篠城址の説明看板(碑・説明板)

 橘城址(碑・説明板)

 橘城址(碑・説明板)

 橘城(周辺城郭)

 神田城(周辺城郭)

 青蓮寺山城(周辺城郭)

 知行寺山城(周辺城郭)

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