爺神山城(とかみやまじょう)
爺神山城の基本情報
通称・別名
- 爺神城、兎上山城
所在地
- 香川県三豊市高瀬町比地中
旧国名
- 讃岐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 詫間氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
仁尾城(香川県三豊市)[5.3km]
朝日山城(香川県三豊市)[5.4km]
天霧城(香川県仲多度郡)[6.3km]
九十九山城(香川県観音寺市)[6.7km]
甲山城(香川県善通寺市)[7.7km]
多度津城(香川県仲多度郡)[10.1km]
藤目城(香川県観音寺市)[10.8km]
丸山城(香川県仲多度郡)[11.5km]
本篠城(香川県三豊市)[12.2km]
海崎城(香川県三豊市)[12.5km]
爺神山城の口コミ情報
2023年12月02日 マグロ常陸介祐平
小山城[爺神山城 周辺城郭]
小高い岡で、輪郭式の縄張のような感じです。中央は石垣の土壇上にお堂があります。土塁や堀は見あたらず、城と知らずに訪問したら城とは感じられないと思われます。
城域には墓地があり、細川家の墓の背後には古そうな五輪塔が見られます。お城との関係はあるのでしょうか。
2023年05月19日 カモシカ
爺神山城
標高214メートル、別名高瀬富士、バレンタイン山。地元に愛されていると、つくづく感じる。残念ながら城跡の遺構は見つけられなかったが麓の看板を確認して、登城すると戦国の世を感じ取れる爺神山城でした。
2021年02月28日 若旦那讃岐守
勝間城[爺神山城 周辺城郭]
眉山の尾根の北端、小さな丘陵にあった勝間城。現在は城山神社が建っています。築城年代は不明ですが戦国時代には代々三野郷を統括していた三野大領の後裔の三野菊右衛門が城主だったようです。
国道から確認できる場所にあり、国道が三叉路に分かれる(六ツ松の信号)手前で山側に進み暫くすると左手に見えます。駐車場があるので楽勝ですよ。
ただ着いてびっくり、なんということでしょう。正面に近世城郭のような石垣です。ま下調べで知ってはいたんですけどね。そして石垣の上には保存会の石が…。熱い漢たちの思いが伝わりまくりの一句。どこかで聞いたことある気がします。
遺構は確認できませんでしたが神社裏に五輪塔があります。それとかつては井戸が残っていたらしいのですが神社の向かい側の駐車場になっているそうです。あと一つサプライズがありました。説明板です。下調べでは全く出でこなかったので最近設置されたのでしょう。石垣よりはこういうのが嬉しいんですよね。ツッコミどころはありましたけどまちづくり推進隊の心遣いには感謝です。
2021年02月17日 生駒讃岐守江現蔵✿
爺神山城
高瀬富士と言われる爺神山(とかみやま)に戦国時代、詫間弾正が築いた山城です。長宗我部軍が讃岐に攻めて来たとき、弾正は降伏せず、少ない兵と共に西麗で激戦中、馬の足が瓜のつるにとられて討ち死にしたと伝えられています。頂上に詫間弾正の城があったとされていますが、とても狭くその形跡はありません。
昭和30年代から進んだ採石工事によって、山の半分が失われて、とても痛々しい山です。
登山自体は登り25分、下り20分ぐらいで、大師堂からの登山道は整備されています。標高214mにちなんで地元ではバレンタイン山と言われていて、山頂にはハートをくり抜いたベンチもあり、360度のパノラマの景色は最高です。
2021年02月17日 若旦那讃岐守
城の丘の砦[爺神山城 周辺城郭]
陣山に本陣をおいた香川右馬助の出城。延命院勝楽寺、豊姫神社、延命古墳のある小高い丘にあったと考えられ丘周辺が城岡という地名になっています。遺構はありませんが丘の周囲には歴史を感じる古墳、石塔、墓標などの遺跡が数多くあります。
日本城郭大系によればこの城岡を高野城としています。西讃の山城4巻によれば高野城の出城または居館が城岡なのではないかとされています。どちらにせよ延命院周辺の遺跡などの分布図案内板には城の丘の砦と明記されているのでスポット名は城の丘の砦としました。
2021年02月14日 若旦那讃岐守
小山城[爺神山城 周辺城郭]
戦国時代の平山城。城主は小山備前守。JR比地大駅の南東200メートルにあるその名のとおりの小山です。山というよりは丘みたいな感じですが。現在は山頂に小さな神社があり遺構はありません。社のある所は一段高くなっており周囲にはかなり古い五輪塔、供養塔があります。
小山は線路越しに県道から確認できます。中腹辺りまでは細道ですが車で行けますよ。コンクリートで舗装された参道を見つけたら、そこからは歩きですね。当然駐車場はありませんよ。
2021年02月11日 若旦那讃岐守
友信土居[爺神山城 周辺城郭]
小山城から500メートルほど離れた場所にある平地の居館。時期、城主は不明ですがかつての名主の名前が現在まで残っているとのことです。遺構は田んぼの区画が堀跡として残っています。友信公園に車一台ほど停めれそうなスペースがあるのでそこから南に数百メートル進めば友信土居跡です。