田尾城(たおじょう)
田尾城の基本情報
通称・別名
- 多尾城、白地山城
所在地
- 徳島県三好市山城町岩戸
旧国名
- 阿波国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大西覚養
築城年
- 天正年間(1573〜1592)前期
主な改修者
- -
主な城主
- 大西氏
廃城年
- 天正5年(1577)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀
指定文化財
- 市史跡(田尾城跡)
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
白地城(徳島県三好市)[7.3km]
大西城(徳島県三好市)[10.2km]
八石城(徳島県三好市)[12.2km]
轟城(愛媛県四国中央市)[13.5km]
藤目城(香川県観音寺市)[14.4km]
東山城(徳島県三好郡)[14.5km]
本篠城(香川県三豊市)[16.2km]
川之江城(愛媛県四国中央市)[16.5km]
金丸城(徳島県三好郡)[17.1km]
松尾城(愛媛県四国中央市)[17.6km]
田尾城の解説文
[引用元:Wikipedia「田尾城」の項目]田尾城(たおじょう)は、徳島県三好市山城町岩戸にある日本の城跡。別名は多尾城、白地山城。三好市指定史跡。
【概要】
中世の山城で、南城と北城がある。
南北朝時代、池田城の小笠原義盛は南朝方として、北朝側の細川頼春と争うが利あらず、細川氏に服した。これに長男の小笠原頼清は従わず、讃岐国から侵攻してきた南朝の山岳武士集団・脇屋義助に呼応し、田尾城を築いて八ツ石城と連携して拠点とした。
天正5年(1577年)春、長宗我部元親の侵攻を防ぐため、白地城主であった大西覚養によって改修が行われ、弟である大西頼信(当時13歳)を城主とした。この際、城の正面が南城となる。
同年、長宗我部元親が率いる3000の軍勢が攻め寄せ、寺野武次が率いる300の兵で2日間に渡る力攻めに耐えるが、火攻めにより落城した。[続きを見る]
田尾城の口コミ情報
2019年05月08日 西市正紫雲
田尾城
吉野川左岸、阿波土佐間の街道に接している、標高462mの山頂部に築城。南北に延びる尾根の2ヶ所のピークを利用していて、北城は南北朝時代の曲輪と切岸主体の城、南城は戦国時代の土塁と堀切り主体の城となってます。
2018年12月20日 カーネル
田尾城
土讃線 阿波川口駅から
駅前の看板の地図はデフォルメされていて、田尾城まで近そうに見えます。騙された
駅前商店街を南へ下り、国道319号線を右折してから1.3kmほど進むと、左斜めに車一台分の舗装路があるのでこれを登る
道には案内がなく、不安になりながら黙々と登り続け、駅をでて50分で数軒の民家が現れ、右にお墓がある道を右後ろに鋭角に曲がると、田尾城の文字
でもまだ林道を歩くのですが、眼下には、歩いてきた赤い橋が遠くに見えるころが、長宗我部元親指揮所です。ここで車で来れます
さんざん登ってきたのに、道を挟んで山道を登る。道中は橋が架かった堀や狭間があり、楽しく登れます
登り詰めると土塁に囲まれた南城。北城との間の堀はよく残ってます
その先で引き返して駅に戻ったら190分。遠かった
2011年04月18日 転寝梟
田尾城
昨日、田尾城で『田尾城つつじまつり』があり、イノシシ肉の『戦国鍋』を食べられた模様。行きたかったなぁ…。