轟城(とどろきじょう)
轟城の基本情報
通称・別名
- 大西城
所在地
- 愛媛県四国中央市金田町金川(地図は南郭を示す)
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 信藤正国
築城年
- 応永年間(1394〜1428)
主な改修者
- 大西元武
主な城主
- 信藤氏、大西氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、井戸
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
川之江城(愛媛県四国中央市)[3.7km]
松尾城(愛媛県四国中央市)[5.2km]
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九十九山城(香川県観音寺市)[18.9km]
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轟城の口コミ情報
2024年05月21日 尼崎城駿河守一口城主
轟城
[進軍編]4/29、川之江城下城後にGマップを頼りに進軍。Gマップ通りに土佐北街道(写真①)を進んでいくと道中、土佐お殿様が枝ぶりを褒めたという槍下げの松の案内板(写真②)がありました。※松が見当たらなかったので調べたところ平成10年頃枯死したとのことでした。
轟橋の上から轟城本丸方面を撮り(写真③)、目的地が近づいて来たぞとウキウキしてGマップの示す登城口に辿り着いたもののどう見ても他者さんの敷地内だったのでUターン😥来た道を引き返す際に近所の方がいらっしゃったので轟城への登り方を尋ねたら、国道192号線沿いから上がる道があって高速の脇に階段があるからそれを上がっていけばいいよ‼️と親切に教えて頂けました。逆に轟城を見学に来たことに感激されてしまいました😅
教えて頂いた通り、国道192号線沿いからスロープ(写真④⑤)を上がって行きました。高速道路🛣下の右側(瀬戸内海側)の階段(写真⑥)を上がっていくと<轟城趾>の大きな石碑がある旧二の丸跡東北隅に辿り着けました。
高速道路🛣下の左側(四国山地側)からスロープ(写真⑦)やバリケードのような階段(写真⑧)を上がっていくと本丸跡に辿り着けました。
2024年05月21日 尼崎城駿河守一口城主
轟城
[旧二の丸跡東北隅櫓編]4/29、国道192号線沿いの上り口から高速道路下の右側を上がっていくとでかい<轟城趾>(写真①)の石碑がありました。近くに記念碑建立主意書があり、年季が入った様子だったので前後半の2枚(写真②③)に分けて上げておきます。字が所々かすれている箇所がありますが終盤部分を目を凝らして読んでみると【城主大西備中守元武の雄図と後世の繁栄を想う時、一本の高速道路の開通の為にこの戦国争乱以来近代史を結ぶ輝かしい地域の史跡を一片のブルドーザーの蹂躙に任するに偲びず敢えて後世の為此処「旧二の丸跡東北隅」に「轟城趾碑」を建立した次第である】と書かれていました。
写真①の城趾碑の裏にも説明文があり(写真④)所々抜粋していくと、大西備中守は阿波三好郡に起こり轟城を阿波伊予経略の拠点としたことや四国統一の野望を抱いた長宗我部元親に対して大西備中守を盟主として反長宗我部陣営を形成したが寝返り軍と戦い遂に自刃したとのことが石碑に刻まれていました。石碑の近くに戦死した大西備中守家臣団の名前が書かれていました(写真⑤)。大西家、戦国時代とはいえ悲劇の一族だったように思えてきました。
二の丸見学後、轟城本丸方面を眺めてみましたが(写真⑥⑦)、高速道路(写真⑧)の反対側にショートカットするルートは見当たらず、一旦階段を下りて本丸に上がり直しました💦
2024年05月21日 尼崎城駿河守一口城主
轟城
[本丸編]
4/29、二の丸見学後に一旦高速道路下の踊り場に下り、高速道路左側(四国山地側)を上がり進んでいくと石碑や説明板(写真①)が見えてきました。説明板の右側に縄張り図のような図(写真②)がありましたが消えかけていました。恐らく、高速道路によって本丸と二の丸は分断されたことを示しているように見えました。(※実際、写真③の通り本丸と二の丸は高速道路で分断されています。高速道路なので車車車と轟いています🚙)
本丸の説明板は二の丸よりも見えやすいので一枚(写真④)で上げておきます。
先人がロープ部分(写真⑤)が私有地になっていることを書かれていたのであまり長居せずに下城しました。帰路は本丸から二の丸方面を撮ってみました(写真⑥)
当日、歩いていたら思いがけず大西備中守父子之墓(写真⑦)の案内があったのでお墓参り(写真⑧)してきました。その場所から轟城までの距離を調べてみると1.7㌔と出てきました。お墓はデマンドタクシー新宮便なるタクシー乗り場の🚏三角寺口から徒歩約5分の所にあり、リア攻めMAPに地点登録しておきました🙇🏻♂️
2022年08月30日 やまてつ伊予守
轟城
民家の側に城跡に続く道がありますが、落ち葉や倒木で、ほとんど分かりません。長袖・長ズボンが必須です。
2021年02月25日 スイトピー❁伊予守
轟城
轟山の山頂に大西備中守元武の居城となった、伊予轟城は有ります。松山道の高速道路建設により、主郭は消滅しており僅かな遺構が残るのみ。(①の写真)主郭は北山頂にあり、南郭部分が庭園となっているそうです。
ルートは2箇所から行けるようですが、南側から登城。松山道の高架をくぐり国道192号線へ。「土佐街道」と書かれた碑があります。ここから進むと「轟山入口」の石碑があるので城の入り口だと分かります。緩い上り坂を進むと民家もあります。(②の写真)
途中まで進み始めましたが…異変に気付きました。現在、私有地になっており中には入れません。以前は入れたようですが、いつからなのか?定かでは有りませんが、南側と北側の2箇所の案内碑にトラロープが張られ「立入禁止」とされていました。(③④⑤の写真)
このような様を目の当たりにし、少し複雑な心境になりましたが…致し方ないと思い無断で入る事をやめ、残念ですが遠くから思いを馳せました。
(2021.2.23訪問)