世田山城(せたさんじょう)
世田山城の基本情報
通称・別名
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所在地
- 愛媛県西条市楠
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大館氏明
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 大館氏、河野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、石垣、堀切
指定文化財
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再建造物
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周辺の城
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永納山城(愛媛県西条市)[1.5km]
国分山城(愛媛県今治市)[5.6km]
鷺ノ森城(愛媛県西条市)[6.2km]
鷹ヶ森城(愛媛県今治市)[8.9km]
今治城(愛媛県今治市)[10.1km]
幻城(愛媛県西条市)[13.8km]
西条陣屋(愛媛県西条市)[14.2km]
大熊城(愛媛県西条市)[15.0km]
土居構(愛媛県西条市)[16.1km]
高仙山城(愛媛県今治市)[16.5km]
世田山城の解説文
世田山城の口コミ情報
2021年02月05日 スイトピー❁伊予守感♡謝
世田山城
*世田山城は愛媛県今治市から西条市にまたがる山城で東側には古代山城の永納山城址がある。その境界線上のあちこちに広がる複雑な地形と間近に瀬戸内海に接する大展望…個人的には最大の魅力だと思う。飛鳥時代や南北朝時代、歴史の表舞台にあった山城に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
*オススメは愛媛県でも珍しく、整備された遊歩道の人気ハイキング③コースが案内されている。自然保護支援山田クラブによると瀬戸内海国立公園の多島海景観と白砂青松の風景を後世に残す活動をしているそう。339mの世田山から爽快な尾根道を進むと357mの笠松山へ行ける。今回も世田薬師から登山!
駐車場…栴檀寺(世田薬師)に可能。トイレ完備。マナーを守って利用致しましょう。
*栴檀寺より入山し約30分程行くと、うぐいす谷へ。ナニコレ某TV番組に紹介されたと言う「石仏不動明王」の像あるが、間近で観覧するにはお一人様協力金200円必要。更に登り奥の院へ〜世田山城主の大館氏明墓所がある。そこから10分程で山頂到着。燧灘の多島海美を満喫!世田山城は、中世伊予国の防衛拠点であったと言われ、山頂部は一大巨岩があり、三方から望める。堀切と石列がらくだのコブ状のように高台として北西方向に続き、断崖絶壁の所が多く、北見張り台は脚がすくむ。また戦時においては、最終段階では詰めの城だったろう。
*更に進み世田山城の枝城の笠松山城へ。所々、風化花崗岩の粗い粒子の山道とまた、岩の表面も風化して脆くなっており危険なので、スリップ等注意しながら安全に心がけましょう。
山頂には観音堂が。河野四郎為世の隠居城があったと言われ、南北朝の忠臣篠塚伊賀守の居城があったと説明板あり。太平記には合戦の様子が記されているので参考にしたい。
海と山との天空回廊と言われるだけあって、天気の良い日は北は今治市全容〜来島海峡大橋〜しまなみ海道の島々から広島県まで見通せる。東〜南方面は香川県荘内半島から四国山脈が遮るものなく見渡せ、圧巻のパノラマだった!
また、見どころとして野田古墳群と野々瀬古墳群があり、中でも県下最大級の七間塚古墳は文化財に指定されている。
2020年09月08日 た〜坊 対馬守
笠松山城[世田山城 周辺城郭]
世田山城から登る事が出来ます。その他にも登山口が整備されてます。
愛媛県中世城館跡によれば連郭式であり、縄張規模は230×40です。3郭、武者走、堀切があり、河野四郎為世他の居城だったそうです。
2018年02月07日 カーネル
世田山城
瀬戸薬師の境内に、奥の院1kmと世田山城1.4kmの標識があります
お墓の左の舗装路を登ります。霊園→の看板で、矢印には従わずに、左の山道に入ります。その後も標識に従い、キレイな道をひたすら登ります
20分ほどで、奥の院と世田山の標識がある分岐に出て、世田山に向かうと道が荒れ始める
尾根にでて折り返しても道は悪く、軽くやぶ漕ぎ
最後は岩場にでて恐る恐る登ったのですが、頂上までちょっとの崖が怖くて、断念して奥の院まで戻る。奥の院には、反対方面に『世田山→』の標識が・・・
奥の院には、世田山城城主の墓所もあります。奥の院から登り尾根に出てたところの標識によれば、左折すると展望所(城址)です。展望所は狭かったです
右に行くと世田山の山頂です。遺構はよく分かりませんでした
道に迷ったこともあり、世田薬師から往復2時間でした。世田薬師バス停からバスに乗り、今治駅に戻りました
2012年06月30日 伊予守菜々
世田山城
世田薬師から登山道が出ています。
世田山と尾根続きの笠松山も城跡&古戦場なので、体力に自信のある城跡好きの方はセットで攻略をおすすめ
どちらもけっこうきつい山ですが道はしっかりしています
城の構築は、南北朝時代と推定されている。この付近一帯では、伊予の勢力と、南朝方掃討あるいは河野氏の討伐という名目を掲げて侵入してきた阿讃勢力との間で、激しい攻防戦が幾度となく繰り返された。
世田山中腹にある栴檀寺奥ノ院の傍には、世田山攻防の最初の激戦となった「康永元年の戦」に敗れ、この城で討死した大館氏明らの墓が建てられている。
現在この一帯は、瀬戸内海国立公園の区域に含まれ、山頂へ通じる世田山遊歩道は、格好のハイキングコースとなっている。
参考文献
・『東予市誌』