本山城(もとやまじょう)

本山城の基本情報

通称・別名

所在地

高知県長岡郡本山町本山

旧国名

土佐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

本山氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

本山氏、長宗我部氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、堀切

指定文化財

町史跡(本山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

陣ヶ森城(高知県土佐郡)[15.6km]
岡豊城(高知県南国市)[18.0km]
吉田城(高知県南国市)[18.8km]
山田城(高知県香美市)[18.9km]
萩野城(高知県香美市)[21.6km]

本山城の解説文

本山城(もとやまじょう)は、高知県長岡郡本山町本山にあった城。

本山氏の居城現在、町の史跡に指定されている。

概要
土佐嶺北、吉野川の南、田井山の東端に存在する。本山町の上街公園が本山氏の本拠・本山城址である。

歴史・沿革
城主本山氏の先祖は、清和源氏の流れをくむ吉良氏の傍流の八木伊与典とも平氏であるとも但馬国造八木氏であるとも伝わる。正確なことはわかっていない。八木氏が地名にちなんで本山氏を名乗ったとされる。その子孫、本山宗茂は、応安3年(1369年)に五橋荘内惣職という役をもらい土佐の土佐郡・吾川郡の2郡と高岡郡の東部、計5千貫という領地を獲得した。その子が本山清茂(梅慶)で全盛期を迎える。

勢力の拡大により拠点は本山城から朝倉城へと移され、本山城は清茂の子、本山茂辰へと譲渡された。天文24年(1555年)清茂の死後、茂辰は朝倉城に移ったが、永禄3年(1560年)茂辰の家臣が長宗我部氏の兵糧を盗んだために、長宗我部氏は本山城に攻撃した。本山氏は朝倉城を焼いて本山城へ帰ったといわれている。茂辰の死後は、その甥の本山親茂が本山城の城主となった。長宗我部の勢力は増し、本山氏は太刀打ち出来るものではなかった。本山城へ退いたが、ある夜、旭城主森孝頼の攻撃を受けた。本山城と旭城は宿敵関係にあり、旭城は本山城を討つことに怠りはなかった。親茂は城を打って出ようとしたが、家臣に押しとどめられ開城し、瓜生野城に篭ったが、元亀年間に本山氏は長宗我部氏の軍門に降った。

江戸時代には土佐藩奉行職野中兼山がここに邸を作ったといわれる。

本山城の口コミ情報

chotarogai様[2016年10月10日]
本山城跡の場所は分かりにくいので、まずは十二所神社を目指し急な坂を登ります。神社手前右手に標識があり、そこからいくのが一番わかりやすいと思います。私は迷い周辺をぐるぐるしてました。城跡に至るまではぬかるみも多く、滑らない靴での登山をおすすめします。また、非常に急峻な地形なので無理をせず休憩しながらのぼってください。足元にはこの地域特有の結晶片岩の石が転がっており踏みつけて転がらないように気を付けてください。脚力に自信のない方は、おすすめしません。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore