本山城(もとやまじょう)
本山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 高知県長岡郡本山町本山
旧国名
- 土佐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 本山氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 本山氏、長宗我部氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、堀切
指定文化財
- 町史跡(本山城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
陣ヶ森城(高知県土佐郡)[15.6km]
豊永城(高知県長岡郡)[16.8km]
岡豊城(高知県南国市)[18.1km]
布師田金山城(高知県高知市)[18.7km]
吉田城(高知県南国市)[18.8km]
楠目城(高知県香美市)[18.9km]
介良城(高知県高知市)[21.8km]
高知城(高知県高知市)[22.1km]
井口城(高知県高知市)[22.6km]
潮江城(高知県高知市)[23.2km]
本山城の解説文
[引用元:Wikipedia「本山城」の項目]
本山城(もとやまじょう)は、高知県長岡郡本山町本山にあった日本の城。本山氏の居城。現在、町の史跡に指定されている[1]。
概要
土佐嶺北、吉野川の南、田井山の東端に存在する。 本山町の役場等のある中心地から南西に見える、周囲の針葉樹と違って広葉樹に覆われている一体が本山城址であり、一本の高い木が目立ちそこが本丸跡である。 かつては気象庁の測候所やアメダスが置かれていた。現在は城山公園として整備されている。 役場からは歩いて1時間ほどである。
歴史・沿革
城主本山氏の先祖は、清和源氏の流れをくむ吉良氏の傍流の八木伊与典とも平氏であるとも但遅麻国造八木氏であるとも伝わる。正確なことはわかっていない。八木氏が地名にちなんで本山氏を名乗ったとされる。その子孫、本山養明は、応安3年(1369年)に五橋荘内惣職という役をもらい土佐の土佐郡・吾川郡の2郡と高岡郡の東部、計5千貫という領地を獲得した。その子が本山茂宗(梅慶)で全盛期を迎える。
勢力の拡大により拠点は本山城から朝倉城へと移され、本山城は茂宗の子の本山茂辰へと譲渡された。天文24年(1555年)茂宗の死後、茂辰は朝倉城に移ったが、永禄3年(1560年)茂辰の家臣が長宗我部氏の兵糧を盗んだために、長宗我部氏は本山城に攻撃した。本山氏は朝倉城を焼いて本山城へ帰ったといわれている。茂辰の死後は、その甥の本山親茂が本山城の城主となった。長宗我部の勢力は増し、本山氏は太刀打ち出来るものではなかった。本山城へ退いたが、ある夜、森城主森孝頼の攻撃を受けた。本山城と森城は宿敵関係にあり、森城は本山城を討つことに怠りはなかった。親茂は城を打って出ようとしたが、家臣に押しとどめられ開城し、瓜生野城に篭ったが、元亀年間に本山氏は長宗我部氏の軍門に降った。
なお、江戸時代には既に城は廃れており、山内一豊は家老の山内刑部(永原一照)に本山一帯の支配を任せ、本山市街の西側の丘に邸(土居)を作りこれを支配した。これが現在の上街公園であり、本山城とは別の場所である。ここには奉行職野中兼山も住んだと言われている。
参考文献
- 山田竹系『四国の城』四国毎日広告社、1974年11月、135頁。
- 創史社『日本城郭大系』第15巻 香川・徳島・高知、新人物往来社、1979年12月、312-313頁。
- 本山城看板
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本山城の口コミ情報
2023年02月24日 秦侍従夏希
本山城
登り口が少し分かりにくく滑りやすい箇所もあるので雨上がりは要注意!発掘調査中で一部入れないところがありました。
2022年11月09日 ᴿᴱᴰ副将軍
本山土居[本山城 周辺城郭]
中世は本山城の居館跡、江戸時代は本山地域管理の拠点でした✨
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。
本山氏によって築かれたと云われる土居の一つ。本山城の居館として平時は機能しました。
本山氏は、土佐七雄の一つに数えられ、長宗我部氏と争いましたが、長宗我部元親に従いました。
1586年の長宗我部検地に際しては本山采女が住んでいたとされます。
長宗我部氏が改易となり山内一豊が土佐に入封すると家老の永原一照が領主として本山土居屋敷を本拠としました。
1630年には野中氏が入封。野中兼山は藩政改革など実施しました。
1718年に参勤交代のルートが北山越えに変更となると本山土居屋敷は本山御殿として藩主の宿泊所に利用されました。
見所
吉野川右岸の丘稜上に築かれており、現在は上街公園として整備されています。
石垣造りの上段・中段・下段からなる館跡が残っています。
2022年03月22日 水野右京大夫祐利【7】
本山城
大原富枝記念館からまっすぐ南に伸びる細道(途中激坂あり)の終わりまで行ったところの、神社下に車を停められるスペースがあり、そこからは歩きです。分岐点には必ず看板があるので見落とさなければたどり着けます。
古い墓所脇を抜け、苔むした石段を通り過ぎると沢を渡る木の橋があって、険しい山ながら水には苦労しなかったかなと思われます。
駐車場から約20分で眺望が開けた場所に至り、そこが二ノ段と呼ばれるところ。
石垣も見られますが、二ノ段とその上にある詰ノ段は大正時代に森林測候所の職員住宅が設置され改変されているとのことで、もしかしたらこの石垣も後年のものかもしれません。
詰ノ段の更に上には大正時代に設置された石碑があり、その向こう側は巨大な堀切となっています。使われている石は下を流れる吉野川でよく見られるもののようです。
2022年03月08日 こはるか
本山城
さくら市の方から来なかった為看板がなくどこから登るか分からずキョロキョロ。山頂には立派な看板が‼︎ 本山の町もしっかり見える城跡でした(^^)
2019年06月28日 衣谷副将軍其土
本山城
公共交通で地域限定攻略するなら県庁前発、高知駅、学校分岐(県立歴史民俗資料館の下)経由のバス一本で繋がっています。ただ大杉駅近くのデカ盛りで有名な定食屋、「ひばり食堂」もオススメ。
2019年06月28日 衣谷副将軍其土
本山城
大雨の翌日に地域限定ので登りました。登山道はアスファルトで固められているけど、水が大量に流れ滑りそうで危なかったです。
2018年08月31日 近江守Silvine
本山城
大原富枝文学館から、本山城へ登る十二所神社への道を進んで一つ目の交差点(自販機が左側にあります)を右に曲がって200m行くと本山土居屋敷跡があります。本山氏の平時の館跡で、江戸期には本山地域を支配する屋敷が置かれました。本山城跡に残る石垣は全て後世に測候所が作られた時のものですが、土居屋敷の石垣は往時のものです。
2017年12月24日 織田上総介晃司
本山城
国道にも案内板は無いので本山町役場と本山小学校を目指し、小学校の向かいの駐車場に停めます。
そして前の方も言ってるように十二所神社を目指して歩きます。すると案内板があります。
墓所の横を通る道は滑りやすく、城跡までの道も勾配があるので気をつけましょう。
トイレは無いので、コンビニなどで済ましておいたほうがいいです。
本山城から大豊町に行くと日本一の大杉と美空ひばりの顕彰碑があります。
2016年10月10日 尾﨑内匠頭傅兵衛
本山城
本山城跡の場所は分かりにくいので、まずは十二所神社を目指し急な坂を登ります。神社手前右手に標識があり、そこからいくのが一番わかりやすいと思います。私は迷い周辺をぐるぐるしてました。城跡に至るまではぬかるみも多く、滑らない靴での登山をおすすめします。また、非常に急峻な地形なので無理をせず休憩しながらのぼってください。足元にはこの地域特有の結晶片岩の石が転がっており踏みつけて転がらないように気を付けてください。脚力に自信のない方は、おすすめしません。
本山城の周辺スポット情報
石積み(遺構・復元物)
本山町史跡文化財案内板(碑・説明板)
本山城跡碑(碑・説明板)
本山城説明板(碑・説明板)
本山土居説明板(碑・説明板)
本山土居(周辺城郭)
和田城(周辺城郭)
瓜生野城(周辺城郭)
高石城(周辺城郭)
小倉山城(周辺城郭)
中島城(周辺城郭)
田井古城(周辺城郭)
田井上小城(周辺城郭)
宮古野城(周辺城郭)
旭城(周辺城郭)
和田西城(周辺城郭)
屋所城(周辺城郭)
下津野城(周辺城郭)
渡瀬城(周辺城郭)
騎馬城(周辺城郭)
井窪城(周辺城郭)
大石城(周辺城郭)
古田城(周辺城郭)
山崎城(周辺城郭)
葛原城(周辺城郭)
十二所神社(寺社・史跡)
山内刑部の墓(寺社・史跡)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
墓所を抜ける登山口(その他)









