生野城(いくのじょう)

生野城の基本情報

通称・別名

御守殿、(生野代官所)

所在地

兵庫県朝来市生野町口銀谷字古城山

旧国名

但馬国

分類・構造

山城、(代官所)

天守構造

築城主

山名時熈

築城年

応永34年(1427)

主な改修者

山名祐豊

主な城主

山名氏、太田垣氏、伊藤石見守(豊臣氏代官)、間宮氏(徳川氏代官)

廃城年

大正時代

遺構

曲輪、石積、土塁、堀切、竪堀

指定文化財

市史跡(生野城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

福本陣屋(兵庫県神崎郡)[13.0km]
竹田城(兵庫県朝来市)[14.5km]
岩尾城(兵庫県丹波市)[17.8km]
糸井陣屋(兵庫県朝来市)[21.6km]
波賀城(兵庫県宍粟市)[22.8km]
鳴岩城(京都府福知山市)[24.1km]
朝倉城(兵庫県養父市)[24.5km]
小谷城(兵庫県加西市)[25.3km]
八木城(兵庫県養父市)[25.5km]
柏原陣屋(兵庫県丹波市)[26.1km]

生野城の口コミ情報

2024年10月14日 気分爽快陸奥守
岩洲城[生野城  周辺城郭]



二重堀切が凄そうで、どうやら山頂に主郭が有るらしいという情報を元に攻城してきました。
登り口が塞がれており、最近はあまり訪れる人はいないようで、途中の妙見宮までの九十九折りがわかりづらく、何度か直登りをし非常に疲れました。
また、妙見宮から山頂までは比高140m程度ですが、ひたすら急峻な斜面を登ることになり、登り口から山頂まで距離800m比高300m程度を70分もかけてしまいました。途中で何度も引き返そうと思いましたが、ど根性で登りきりました。でも、ただの登山でした。
下りは、九十九折りの道が、わりと分かり易かったのが救いです。

①この大岩を回り込むようだが道がわからない
②妙見宮からの眺望は素晴らしい。
③②の先は下の見えない崖
④妙見宮の裏には巨石が。積み上げではなく風化で割れたものかも
⑤岩盤を利用した二重堀切。ここで帰れば良かった
⑥山頂に向かう坂には岩が生えているところが
⑦段曲輪のような斜面をひたすら登る
⑧山頂に到達。眺望は途中の妙見宮の方が断然良い

2024年03月30日 捨勇伯耆守助右衛門
生野城

琵琶の丸公園の駐車場から登山道を40分ほど登ると生野城跡に到着します。城跡からは、生野の街並みがきれいに見えます。登山靴を履いて登ることをおすすめします。

2024年02月11日 ん君
生野城

駐車場は琵琶の丸公園。登山道は、つづら折れのなだらかな登山道です。城域からは生野の街並みや南、西方向の山々の景色が楽しめます。ただ、2月上旬のこの時期は、城域に雪が残っています。登山道から主郭までは、ほぼ問題ないですが、周辺の曲輪や堀切を見に行きたい人は、高低差があり雪で滑りやすく、先人の踏み跡も不明瞭なので、ストックや登山靴の装備をおすすめします。

2015年07月06日 INO【兒】右京大夫
生野城

びわの丸健康公園から登山口です

2010年08月21日 傾奇揚げ仙兵衛
生野城

天然記念物のオオサンショウウオの生息地域 野生の鹿が出没するので気を付けて

2010年08月05日 太田垣但馬守景近
生野城

中世の山城と、近世にも使われた平城からなる。
応永34(1427)年、赤松満祐討伐を命じられた山名時熈が築城し、布陣していたが、満祐の赦免により撤退した。
天文11(1542)年頃、平城が築かれ、山名祐豊が経営に当たる。弘治2年には太田垣氏が謀反を起こし、支配権を握った。
以後は、織田、豊臣、徳川と支配が続いた。

生野城の周辺スポット情報

 生野城跡 説明版(碑・説明板)

 岩洲城(周辺城郭)

 朝来市観光情報センター(御城印)

 生野銀山(その他)

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