柏原陣屋(かいばらじんや)
柏原陣屋の基本情報
通称・別名
- 柏原藩陣屋、柏原城
所在地
- 兵庫県丹波市柏原町
旧国名
- 丹波国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 織田信休
築城年
- 元禄8年(1695)
主な改修者
- -
主な城主
- 織田氏
廃城年
- -
遺構
- 長屋門、御殿、移築櫓(石田大蔵神社)、井戸
指定文化財
- 国史跡(柏原藩陣屋跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
金山城(兵庫県丹波篠山市)[3.3km]
黒井城(兵庫県丹波市)[6.0km]
岩尾城(兵庫県丹波市)[10.3km]
篠山城(兵庫県丹波篠山市)[13.9km]
沢田城(兵庫県丹波篠山市)[14.3km]
細見辻城(京都府福知山市)[15.2km]
八上城(兵庫県丹波篠山市)[17.5km]
藍岡山城(兵庫県三田市)[18.6km]
福知山城(京都府福知山市)[19.2km]
猪崎城(京都府福知山市)[20.5km]
柏原陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「柏原陣屋」の項目]
柏原陣屋(かいばらじんや)は、兵庫県丹波市柏原町(丹波国氷上郡)にあった陣屋。柏原藩の藩庁。国指定の史跡。
慶長3年(1598年)織田信長の弟信包が3万6千石で入り、3代続くが慶安3年(1650年)嗣子なく断絶した。以後45年の長きにわたり天領となった。元禄8年(1695年)信長の次男信雄の孫の宇陀松山藩主信休がお家騒動の咎により領地を半減され2万石で入る。移封より19年経た正徳3年(1713年)幕府より陣屋を築くことが許された。以後10代にわたり織田氏が治め、明治にいたる。
現存建物
長屋門は正徳4年(1714年)に造られた表門で内部は左側が番所、右側が馬見所と砲庫で、文政元年(1818年)御殿が焼失した時も延焼を免れた、創建時から残る唯一のものである。御殿は正徳4年、初代信休により築かれたものであったが、文政元年の火災で焼失し、文政3年(1820年)に再建されたものである。再建されたものの明治維新後に解体され、現在では再建時のおよそ5分の1が現存しているにすぎない。
なお、正確な建築年代は判明していないが、太鼓櫓は大手門にあり、番所や物見櫓の役割も果たした。明治になってから石田大蔵神社境内に移築された。
現在、陣屋跡地は丹波市立崇広小学校の敷地となっている。
周辺
- 丹波市立柏原歴史民俗資料館(隣接)
- 旧氷上郡各町村組合立高等小学校(隣接)
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柏原陣屋の口コミ情報
2022年12月01日 尼崎城駿河守一口城主
柏原陣屋
[柏原城下町神社⛩巡り]11月27日、当日はレンタサイクルを観光案内所に返却後、まだ元気があったので柏原の神社巡りと織田家廟所のお参りに行ってきました。観光案内所の目の前に柏原八幡宮があったので長い石段を上がってお参り。本殿は工事中でしたが奥に進むと三重塔と秀吉公寄進の<厄除開運・難逃れの釣鐘>という鐘がありました。石段を下りて織田神社にもお参りして、次に建勲神社にお参りしました。建勲神社は信長公を祀る神社で全国には柏原と京都市、天童市の三社しかないと説明板にありました。最後に柏原高校の近くを通って織田家廟所にお参りに行きました。※織田家廟所の写真は城郭写真に上げておきました。
柏原城下町は、道標が多く設けられており目的地までの方角が分かりやすく周りやすい街でした。
2022年12月01日 尼崎城駿河守一口城主
柏原陣屋
11月27日、JR福知山線の柏原(かいばら)駅から徒歩にて登城。陣屋を見学しようとしたところ入口に<向かいの資料館で入館券をお買い求め下さい>とあったので、歴史資料館に入館してまず予習。何となく織田家が柏原にあったのは知ってはいたのですが前期と後期に分かれていたのは知らなかったので勉強になりました。資料館の横には信長公の弟で前期初代藩主織田信包公像がありました。資料館を出て陣屋の中を見学しましたが陣屋内に入るとセンサーで感知してくれるらしく音声案内が始まりました。陣屋を出て右手に進むと更地のスペースがあり、藩政時代に何があった場所なのか表記がしてありました。
この日はレンタサイクル🚲で丹波の御朱印巡りをする予定だったので貸出受付時間になったところで観光案内所に向かいました。
2022年10月23日 RED副将軍
柏原陣屋
織田信雄の末裔の陣屋跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1713年に織田信休により築城。
織田信休は、織田信長の弟の織田信雄を祖とする系譜です。1695年に宇陀松山藩の家督を相続しましたがお家騒動による相続であり、幕府にも知られることとなり、所領を減らされた上で柏原藩に移封。移封から19年目にようやく陣屋の建設が幕府に許可された経緯によるものです。
その後、織田氏が10代続いて明治を迎えました。
見所
長屋門は築城当時から現存しています。
御殿は火災で焼失したため1820年に再建されたものですが、明治維新後に解体され、檜皮葺唐破風の玄関と桟瓦葺寄棟造の大書院が現存しているにすぎません。
近くの大歳神社にも太鼓櫓が移築現存しています。
2020年03月21日 織田上総介晃司
柏原陣屋
観光客用の駐車場(リア攻めマップ参照)に停車。
先ず柏原陣屋長屋門と表御殿に向かったのですが、駐車場からは太鼓やぐらのほうが近かった。しかも太鼓やぐら前に2台停めれる駐車場有り。
柏原を(かしはら)と思っていたら(かいばら)と読むそうな…
かいばらと言えば海原雄山「こんなもん食えるかー!」
2017年05月03日 橘若狭守次郎吉
柏原陣屋
柏原陣屋跡には御殿(一部)と長屋門が現存しています。説明板と石碑もあります。御殿に入るには歴史民俗資料館のチケットが必要ですので、入りたい方は資料館→陣屋跡の順に訪れることをオススメします。
陣屋跡の向かいには織田信長の実弟の初代柏原藩主織田信包公の銅像が建っています。柏原は江戸時代、織田家の支配下にあった為、町の至るところで「織田木瓜紋」を目にします。
かつて陣屋にあった太鼓櫓は明治時代に石田大蔵神社に移築されて、今も其処にあります。
他にも織田家霊廟や木の根橋など色々と面白いスポットがあるので、是非一度、柏原の城下町ぶらり散策をしてみてはいかがでしょう。
2015年11月07日 まるき〜陸中守
柏原陣屋
柏原陣屋には長屋門現存、中の建物は向かいの歴史民族資料館の観覧券200円で同時入場できます。
中は御殿の様、人は居らず通路を通る際にセンサーが反応して自動的に照明が付くようになっている。ものの数分で回って来られます。
センサーの反応時の「カチっ」という音にビビりまくり(;^_^A
駐車場は近くの観光案内所に数台、大ケヤキの木の根橋、太鼓櫓、織田神社と見所がある。