黒井城(くろいじょう)

黒井城の基本情報

通称・別名

保月城、保築城

所在地

兵庫県丹波市春日町黒井

旧国名

丹波国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

赤松貞範

築城年

建武年間(1334〜1338)

主な改修者

赤井直正、斎藤利三、堀尾吉晴

主な城主

赤松氏、赤井氏、斎藤利三、堀尾吉晴

廃城年

天正12年(1584)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、堀切、土塁

指定文化財

国史跡(黒井城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

柏原陣屋(兵庫県丹波市)[6.0km]
細見辻城(京都府福知山市)[11.2km]
福知山城(京都府福知山市)[13.3km]
猪崎城(京都府福知山市)[14.6km]
岩尾城(兵庫県丹波市)[14.7km]

黒井城の解説文

黒井城(くろいじょう)は、兵庫県丹波市にある日本の城跡。別名を保月城(ほげつじょう)、保築城(ほづきじょう)ともいう。国の史跡。

概要
標高356m、猪ノ口山の三方尾根伝いに曲輪群を配置し全山を要塞化している。建武年間に赤松貞範が築城。戦国時代には赤井直正の居城となる。天正7年(1579年)、赤井直義の時、明智光秀に攻められ落城。斎藤利三が城主となり、今日の規模にまで改修した。山崎の戦いの後、堀尾吉晴が入城。関ヶ原の戦いの後、川勝秀氏が城主となるがその後廃城となった。約250年間存続した。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(163番)に選定された。

沿革
赤松時代
『嘉吉記』によると、足利尊氏に従軍し、新田義貞軍と戦った功績により建武2年(1335年)12月12日丹波国春日部を赤松貞範に所領され、この時に築城が始まったと思われているが、これに対して猪ノ口山にはまだ築城されていなかったという意見もある。軍事的な緊張があって初めて城が築かれるので、戦闘が終息する時期に築城するのはおかしいというのがその理由である。 その後、赤松五代、約120年間この地を統治していたようである。
もっとも赤松氏が春日部領を直接統治していたわけではなく、代官を代々配置し、遠隔統治していたのではないかと思われている。

荻野、赤井時代
その後の経緯については、現在史料が確認されていないので詳しくは解らないが、赤松氏に代わり荻野氏が春日部領を次第に納めていったのではないかと考えられている。大永6年(1526年)11月の八上・神尾山両城の戦いで黒井城の城主、赤井五郎が兵3000を率いて神尾山城の包囲軍を背後から襲い掛かったという記録があるが、赤井五郎という人物が後に黒井城で活躍する赤井直正一族とどのような関係があるのか不明である。その後の記録では天文年間(1532年-1554年)に荻野秋清が黒井城主となっていた。一方、赤井氏は氷上町の後屋城を拠点としていた。赤井時家の息子、赤井直正を荻野正元に質子として朝日城に送っていた。荻野正元の息子が黒井城の城主、荻野秋清である。

-黒井城の乗っ取り戦-
赤井直正は荻野秋清へ年初の挨拶に黒井城に出向いていた。その後、荻野秋清を暗殺し、黒井城を乗っ取ってしまう。原因や経緯については諸書にさまざまな説があり、正確な理由は不明であるが、同年8月5日付の『赤井時家書状』によれば、赤井直正は再び朝日城に預けられていることが確認されているので、父荻野正元が放った刺客ではなかったかと思われている。

赤井直正は悪右衛門直正と名乗り、黒井城を拠点に戦国武将の道を歩み始める。赤井直正は細川晴元派であったと思われており、晴元の没後もその政敵である三好氏との戦いを続けた。永禄7年(1564年)に多紀郡へ侵攻、翌永禄8年(1565年)には、三好氏方の松永久秀の弟、松永長頼(内藤宗勝)を福知山市にある和久城付近で討ち取り、丹波国から反細川晴元勢力を一掃し、但馬国、丹後国へ勢力を拡大させていった。

-第一次黒井城の戦い-...

黒井城の口コミ情報

ソバッソ店長様[2017年07月03日]
追記

西の丸散策に出た友人Aと友人Bが
「崖だ崖だ」と引き返して来ましたので、かなり厳しい場所にあるようです。

ソバッソ店長様[2017年07月03日]
比高220m、主郭部まで30分
駐車場は麓の小学校を奥に上るとあります。自販機も置いてます。

先に口コミに上げた金山城跡より低いので、まぁ余裕かなと思ってましたが、どっこいしんどいしんどい。
丹波但馬の山城はボス級ばっかり。急峻で岩盤叩き割って造るとこ多過ぎ。

主郭部は立派な石垣です。これの為だけに30分登れるレベルのロケーションです。

緩やか登山道と険しい登山道が選べますが、先人の通り、緩やかも険しいです。
険しいルートの方が防衛設備と思われる平坦地と切岸セットが随所に見られます。その代わりホンマにしんどい。

尾根筋に段曲輪群と切岸クランク虎口、そこらでらしきものは沢山見かけます。
これは推測、谷筋に誘い込み登らせて、尾根と尾根から狙い打った防衛方法ではないかと。尾根先端部に砦を築いているらしいので、尾根からの侵入は至難だった事でしょう。

とにかく急峻です。
しんどいけど楽しめた。

ソバッソ店長様[2017年07月03日]
「黒井城の戦い」で明智勢が入る拠点として築いた、金山城についてです。

赤井氏の黒井城と、波多野氏の八上城を直線に結んだちょうど間に位置する所に、両勢力を分断する意味合いで築いたそうです。
場所は追入神社をナビに入れて走りゃ辿り着きます。

比高300m
登城時間は麓から40分
つづら折れの塹壕様な登山道の各所に段曲輪と虎口と思われる遺構があります。
また主郭部の石垣群は見応え十分。
山崎の合戦にて明智勢が破れた際に破城され、崩された石垣がそのまま残ってます。
縄張りは単純です。

鬼の架け橋なる、巨石を使った橋構造のスゲーのもあります。


登るのクソしんどいです
岩盤を削った道が随所にあり滑ります

楽しめるか楽しめないかはあなた次第。
僕は楽しめました。

五瓜ニ唐花紋大納言や〜きみ様[2017年05月08日]
駐車場あり。
普通の登山道と急勾配の登山道があります。
急勾配はすぐ山頂迄行けますが危ないです。
下山にも向かないですね。
麓に杖があるので使用して普通の登山道で登った方がいいです。

若狭守次郎吉様[2017年05月05日]
JR福知山線「黒井駅」より北へ徒歩10分程で登山口に到着します。登山口の隣の興禅寺は黒井城の下館だと云われています。興禅寺の少し南にトイレがあり、そこにパンフも置いてありました。

登山口から本城まではだいたい40~50分かかります。けっこう急な道もあるのでお気をつけください。

本城の石垣は見事なものです!景色も最高です!二ノ丸と本丸の間には空堀が残っています。かつてはもっと深かったと思われます。

黒井城はたくさんの出城を持っています。本城から尾根伝いで行くことはできますが、けっこう危険な道が多いのでお気をつけください!
蜂やヘビ、熊、猪にもお気をつけください!

ポリタンク大和守様[2016年07月02日]
ここでマダニデビューしました…。千丈寺砦や龍ヶ鼻砦まで足を延ばす場合は特に注意した方がよろしいかと思います。

丹波守悪右衛門直正様[2016年07月01日]
山頂部が伐採され、主郭部の石垣が麓からでも見えやすくなりました、
本丸、二ノ丸、三の丸及び曲輪群の型がほぼ当時のままの姿で残っています!
登山口は黒井小学校の上から!駐車場もあります。
その近くの興禅寺の前の休憩所にトイレがあります。
ちなみに、その興禅寺ですが下館だったとされてます!
また、春日局、お福さんの生誕地との伝承あり(^-^)

甑岩摂津守正頼様[2015年11月23日]
先人の情報にありました道の駅丹波おばあちゃんの里で貰える国史跡黒井城跡パンフ、便利です。
急坂コースの方が三段曲輪など見所あってオススメですが、滑りやすい箇所があるので、下りはゆるやかコースの方が良いと思います。
本郭から東の出丸への道はかなりの急坂で、滑りやすく、注意が必要です。それでも、見にいく価値はあるかと。
パンフの地図では東の出丸から太鼓の段を経由して三段曲輪の少し上で急坂コースと合流する道が記されてましたが、私は見つけられず、本郭下まで戻りました。

まるき〜淡路守様[2015年11月06日]
先ず登り口、駐車場左からのゆるやかコースと駐車場奥から登る急坂コースがあります、

ゆるやかコースでもココ、ホンマにゆるやかコース?と思えるほどの山道、道は岩肌が見えてゴツゴツしておりたまに尖った岩が足に突き刺さる…極力静かに足を運ぶように歩かないと下にポロポロと石がこぼれます
後ろに人がいる場合は気をつけましょう。
赤門に到着すると下の景色を見ながら一休みできます。更に先へ登ると東曲輪跡が先ず見えて三の丸、二の丸、本丸と段々々と一段づつ上がる形状になっているのがよーくわかります。360度見渡せ、風がよく通り、凄〜く気持ちの良い空間、本丸にあるベンチは固定されておらず平らな所にある訳でもなく座るのは注意が必要です。
南西方向にある本丸〜二の丸をつなぐ?石垣の真ん中辺りは草で隠れてわかりにくいが崩れています、あまり近づかない方が無難かと、下の通路は狭く崖になってますので…
帰りに三段曲輪が見たくて急坂コースを歩きましたが降りるというよりも急降下なイメージ、危険(;^_^A

[鯵]トレノ治部少輔吉右衛門様[2015年11月01日]
駐車場は6台程度ですが停められます。
石段を上がるルートはかなり急な山登りになりますが、頂上まで100m間隔で残りの距離が分かります。
ハードな山登りの後は、本丸跡から見渡す事の出来る景色は最高です。
至福の瞬間ですね。
お勧めコースは左側から上がる、なだらかコースです。行きと帰りに違うコースを是非どうぞ。
登って良かったと思う黒井城でした。

徳川内大臣源朝臣康武様[2015年07月08日]
国道175号沿線(舞鶴若狭自動車道・春日IC隣)の道の駅「丹波おばあちゃんの里」の観光案内所で、『国史跡黒井城跡』パンフレット、『丹波戦国武将伝(黒井城の戦い)』パンフレット、『春日局誕生の地・興善寺(黒井城根小屋)』パンフレットが貰えます♪
内容濃くて、とてもお得(^w^)

コロ助様[2015年01月12日]
黒井駅から徒歩15分で登山口に到着。急坂コースとゆるやかコース、2つの登山道があります。どちらも登山口から20分程で石踏の段に到着し、時間的にはあまり変わりませんでした。

雪は、本曲輪の北側の影になる部分にうっすらとだけ残っていました。本曲輪周辺は綺麗に整備されていて、石垣には興奮しました。残念ながら霙混じりの天候でしたが、晴れた日の眺望はきっと素晴らしいだろうと思われます。

案内表示は少ないです。木に巻かれたタフロープを目印に辿ったのですが、太鼓の段から東曲輪まで行くのに、少し道を見失いました。西曲輪から本丸に戻る時には、来た道を忘れて軽く迷子になりました。登城準備は通常よりもしっかりめを推奨します。


福知山駅の観光案内所に、黒井城の戦いのパンフレットがありました。

A&M様[2012年05月04日]
本丸からの360度眺望が素晴らしいです。1日に2回も(ほぼ毎日)登られてる方にお会いしました。山岳ガイドもされているそうで、色々親切に教えていただきました。またお会いしたいです。

まったり丹波守屋様[2010年10月02日]
追記
本丸付近は綺麗に整備されており、眺望が良いです。

まったり丹波守屋様[2010年10月02日]
黒井小学校の校舎と体育館の間の先に登山口と駐車場が有ります。本城西曲の先の茂みにトラロープが有ってそこを降ると崖(天然の石垣?)になり、更に進むと西の丸、千丈寺砦へ続きます。
西の丸のすぐ先には土橋ならぬ岩橋がありますよ。
私のUPした写真の
石碑の有る方の中央辺りが明智光秀が攻めて来た方角です。

害獣除けのフェンスはちゃんと閉めましょう♪

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