黒井城(くろいじょう)

黒井城の基本情報

通称・別名

保月城、保築城

所在地

兵庫県丹波市春日町黒井

旧国名

丹波国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

赤松貞範

築城年

建武年間(1334〜1338)

主な改修者

赤井直正、斎藤利三、堀尾吉晴

主な城主

赤松氏、赤井氏、斎藤利三、堀尾吉晴

廃城年

天正12年(1584)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、堀切、土塁

指定文化財

国史跡(黒井城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

柏原陣屋(兵庫県丹波市)[6.0km]
金山城(兵庫県丹波篠山市)[7.3km]
細見辻城(京都府福知山市)[11.2km]
福知山城(京都府福知山市)[13.3km]
猪崎城(京都府福知山市)[14.6km]
岩尾城(兵庫県丹波市)[14.7km]
石原城(京都府福知山市)[14.9km]
沢田城(兵庫県丹波篠山市)[15.8km]
篠山城(兵庫県丹波篠山市)[15.8km]
鬼ケ城(京都府福知山市)[18.4km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)163 黒井城

設置場所

春日住民センター[地図

黒井城の解説文



黒井城(くろいじょう)は、丹波国氷上郡(現在の兵庫県丹波市)にあった日本の城。別名を保月城(ほげつじょう)、保築城(ほづきじょう)ともいう。国の史跡。

概要 

丹波市春日町黒井地域の北にそびえる城山(標高356m)に位置する[1]。猪ノ口山の三方尾根伝いに曲輪群を配置し全山を要塞化している。建武年間に赤松貞範が築城。戦国時代には赤井直正の居城となる。天正7年(1579年)、赤井直義の時、明智光秀に攻められ落城。斎藤利三が城主となり、今日の規模にまで改修した。山崎の戦いの後、堀尾吉晴が入城。関ヶ原の戦いの後、川勝秀氏が城主となるがその後廃城となった。約250年間存続した。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(163番)に選定された。

沿革 

赤松時代

『嘉吉記』によると、足利尊氏に従軍し、新田義貞軍と戦った功績により建武2年(1335年)12月12日丹波国春日部を赤松貞範に所領され、この時に築城が始まったと思われているが、これに対して猪ノ口山にはまだ築城されていなかったという意見もある。軍事的な緊張があって初めて城が築かれるので、戦闘が終息する時期に築城するのはおかしいというのがその理由である。 その後、赤松五代、約120年間この地を統治していたようである。

赤松春日家
一代 二代 三代 四代 五代
赤松貞範 赤松顕則 赤松満則 赤松貞村 赤松教貞

もっとも赤松氏が春日部領を直接統治していたわけではなく、代官を代々配置し、遠隔統治していたのではないかと思われている。

荻野、赤井時代

その後の経緯については、現在史料が確認されていないので詳しくは解らないが、赤松氏に代わり荻野氏が春日部領を次第に納めていったのではないかと考えられている。大永6年(1526年)11月の八上・神尾山両城の戦いで黒井城の城主、赤井五郎が兵3000を率いて神尾山城の包囲軍を背後から襲い掛かったという記録があるが、赤井五郎という人物が後に黒井城で活躍する赤井直正一族とどのような関係があるのか不明である。その後の記録では天文年間(1532年-1554年)に荻野秋清が黒井城主となっていた。一方、赤井氏は氷上町の後屋城を拠点としていた。赤井時家の息子、赤井直正を荻野正元に質子として朝日城に送っていた。荻野正元の息子が黒井城の城主、荻野秋清である。

黒井城の乗っ取り戦

赤井直正は荻野秋清へ年初の挨拶に黒井城に出向いていた。その後、荻野秋清を暗殺し、黒井城を乗っ取ってしまう。原因や経緯については諸書にさまざまな説があり、正確な理由は不明であるが、同年8月5日付の『赤井時家書状』によれば、赤井直正は再び朝日城に預けられていることが確認されているので、父荻野正元が放った刺客ではなかったかと思われている。

赤井直正は悪右衛門直正と名乗り、黒井城を拠点に戦国武将の道を歩み始める。 赤井直正は細川晴元派であったと思われており、晴元の没後もその政敵である三好氏との戦いを続けた。永禄7年(1564年)に多紀郡へ侵攻、翌永禄8年(1565年)には、三好氏方の松永久秀の弟、松永長頼(内藤宗勝)を福知山市にある和久城付近で討ち取り、丹波国から反細川晴元勢力を一掃し、但馬国、丹後国へ勢力を拡大させていった。

第一次黒井城の戦い

永禄13年(1570年)3月、織田信長に拝謁した赤井直正(この時は改姓し荻野直正と名乗っていた)と赤井忠家は服命し、氷上郡、天田郡、何鹿郡の丹波奥三郡を安堵した。ところが山名祐豊らが、氷上郡にあった山垣城(青垣町)の足立氏を攻め立てた。黒井城の赤井直正と赤井忠家は即応し、山垣城に救援に向かい山名祐豊軍を撃退した。その後勢いにのって、但馬国の竹田城を攻城し手中に収めると、山名祐豊の本拠地である此隅山城に迫った。山名祐豊は織田信長に援軍を要請、織田信長は当時信長包囲網にあい、とても援軍を出せる余裕はなかったが、天正3年(1575年)明智光秀を総大将に丹波国征討戦に乗り出すことになる。

赤井直正は竹田城から黒井城に帰城、戦闘態勢を整えた。明智光秀は黒井城を包囲し、攻城戦が2ヵ月以上となった翌天正4年(1576年)1月15日、波多野秀治軍が明智光秀軍の背後をつき、総退却となった。「赤井の呼び込み戦法」と言われている。

第二次黒井城の戦い

赤井直正や弟の赤井幸家は、吉川元春に援軍を要請していたが、援軍は到着しないまま翌天正5年(1577年)10月、明智光秀は細川藤孝、細川忠興の増援を得て、第二次丹波国征討戦が開始される。このような緊迫した中、翌天正6年(1578年)3月9日、武功高き赤井直正(荻野直正)が病死してしまう。一説には、「首切り疔」の病ではなかったかと言われている。

赤井直正の子、赤井直義は幼少であったため、弟の赤井幸家が後見となって赤井家を統率することになり、明智光秀軍に備えた。しかし、明智光秀軍は波多野秀治の八上城の攻城から取り掛かった。1年余り包囲策をとり、飢餓状態と内部工作により同年6月1日開城した。

また、明智光秀軍は八上城包囲中に、八上城と黒井城の分断を目的に金山城(柏原町)を築城し、氷上郡の西部を羽柴秀長に、氷上郡の東部を明智秀満に攻略させ、黒井城の支城を押さえ孤立無援にした。

そして、八上城落城から約2ヵ月後の8月9日、黒井城もついに落城した。

斎藤、堀尾時代

明智光秀は重臣の斎藤利三を氷上郡に置き統治させた。斎藤利三の娘である春日局(幼名:福)はこの地で生まれた。本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀であったが、逆に山崎の戦いで敗れると明智光秀の勢力は完全に丹波国から駆逐されてしまう。

その後、黒井城に入城したのは羽柴秀吉の家臣であった堀尾吉晴であったが、天正12年(1584年)羽柴秀吉と徳川家康の間で小牧・長久手の戦いが起きると、赤井直正の弟赤井時直が黒井城と余田城(市島町)で徳川家康に通じ立て篭もった。

これを最後に黒井城は歴史に幕を閉じ、廃城になったと思われる。

城郭 

猪ノ口山の山頂部には本丸(48m×22m)、二の丸(40m×19m)、三の丸(28m×23m)と呼ばれる曲輪がある。

主曲輪

山頂部分の曲輪の大きさは東西約170m×南北約45mで、主曲輪部分の曲輪の配置、石垣の組み方、本格的な建物跡から近世風との指摘がある。

本丸
南面と二の丸方向を石垣で固め、他は土塁である。石垣は土塁の上に築かれており鉢巻石垣と同じ構造である。登り口東横の石垣の囲まれた部分には、天守の礎石とみられる石の配列があり、天守台の祖型が推察できる。しかし『中世城郭辞典』では明智光秀の周山城の天守台遺構と比較すると、疑問が残ると指摘している。昭和初期までは建造物の礎石が並んでいたと言われているが、現状確認はできない状態になっている。
二の丸
南面と本丸、三の丸側に面した所に石垣が築かれているが、三の丸側の石垣は崩壊が進んでいる。しかし崩壊があることから櫓台跡とも推定されている。また並瓦、軒瓦、冠瓦などの遺物から室町時代特有の大きな瓦葺きの建造物が、本丸東部と二の丸北西部に建設されていたと実証されている。
三の丸
隅櫓の石垣と二の門の礎石がある曲輪である。本丸、二の丸は直線上にあるのに対して、三の丸と東曲輪は「くの字」型をしており、矢掛りがかかるように配置しているのも、黒井城の特徴の一つである。城門の礎石は二列が確認でき、ある程度の規模の門があったと推察できる。

周辺曲輪

主曲輪の一段下に東曲輪(25m×15m)と西曲輪(10m×30m)と幅3mから10mの帯曲輪がある。

石垣は野面積み、隅部は算木積みと言われる工法で築かれており、いずれも天正年間の石垣と考えられている。

山麓曲輪

山頂部以外に、山麓にも北の丸、西の丸、水の手曲輪、太鼓の段、石踏の段、三段曲輪など多数の曲輪群が配されており、山頂部の防御を固めている。

特に、西の丸曲輪は「小城」とも呼ばれており、西北に約200mにわたり4段の土塁に囲まれた曲輪があり、下から二番目の曲輪に馬蹄型の土塁(上辺約2.5m×高さ約1.5m(堀切から高さ約3m))の中央部が崩されて、急斜面となり堀切を切っている。西からくる敵に対して防御を固めるとともに、「詰の城」の機能をもった曲輪跡と思われている。

石踏の段と太鼓の段の中間地点に、湧き水を溜める「水の手曲輪」があり山頂部の北側と、山頂部の南下側には横穴式の用水機構がある水の手曲輪が確認できる。

下館と出砦

猪ノ口山の登山口には、 興禅寺があり下館(しもやかた)跡であると推定されている。この下館は赤井直正が黒井城に入城した時に、奥村氏の屋敷跡を改修し、水濠と石垣などの防御施設も備えている点から、単純な居館とは一線を画しているという指摘もある。山城は山麓に居館を設け平時はそこで暮らし、戦時には山に立て篭もるのが一般的とされている。この下館を中心に家臣屋敷も建ち並び、職人町、商人町もあり、坂が多く、道も折れ曲がっている点から江戸時代の城下町とは異なり、戦国時代の城下町の面影を今も色濃く残している。また根古山、丸山、太刀野、幟立、馬縄手等の城の名残を思い浮かべる地名が数多く伝承されている。

下館以外にも3つの尾根筋の突端には、北西に千丈寺砦、北東に龍ヶ鼻砦、百間馬場、南東に的場砦、東山砦と山頂部を中心に「Y」字に出砦がある。また、千丈寺砦、龍ヶ鼻砦、的場砦、東山砦は山頂部から1km前後と等しい間隔にあり、これらの砦では似通った曲輪跡が認められている。

改修

『史跡黒井城跡保存管理策定報告書』によると、大きく分けて3つの時代に築城、改修したのではないかと指摘している。

時代 主な出来事
第1期 南北朝時代-
戦国時代初期
赤松氏が猪ノ口山の山頂部に砦のような城が考えられる
第2期 戦国時代中期-
戦国時代後期
赤井直正が城主となり山頂部には連郭式の複数の曲輪、山麓、尾根筋にも数多くの曲輪、
また下館と出砦を築き壮大な山城を築いたと考えられる
第3期 安土桃山時代 斎藤利三(織田系)や堀尾吉晴(豊臣系)が城主になり山頂部分を中心に石垣を築き、
織豊系城郭に変化したと考えられる

連郭式から輪郭式へ

また『史跡黒井城跡保存管理策定報告書』によると、山麓曲輪に属する石踏の段跡、太鼓の段、東出丸、北の丸、西の丸は山頂部分から300m以内にあり、等高線上に横移動が可能になっている。

山城は、敵方が下から上に登ってくることを想定し、曲輪も上下に配している連郭式が主であったが、黒井城は山頂部分から同心円状に曲輪を配し輪郭式へ変化し、曲輪同士の連携が可能になり横方向の防御能力が発揮する仕組みとなっている。

これは鉄砲の出現と関係し、拠点防御から面での防御に変化していく戦国末期の山城の特色をよくあらわしていると指摘している。

出砦 → 山麓曲輪 → 山頂部とどの方向からの攻撃に対しても三段構えの防御施設があるのが黒井城の特徴である。

黒井城は山頂部と出砦を結ぶと広範囲の城域になる。これは明智光秀から二度による攻撃があり、城下町全体を防御する惣構え的な機能の必要があったと思われている。

城跡へのアクセス 

  • 電車でのアクセス
    • 西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線「黒井駅」 → 徒歩登山口約10分
  • 車でのアクセス
    • 舞鶴若狭自動車道 春日IC → 国道175号 → 興禅寺
    • 猪ノ口山の登山口に無料駐車場あり
  • 徒歩でのアクセス
    • 登山口 → 主曲輪部分 徒歩約40分

参考文献 

  • 兵庫県民俗芸能調査会『ひょうごの城紀行(上)』神戸新聞総合出版センター、1998年4月、242頁-252頁。
  • 都道府県教育委員会『近畿地方の中世城館 4 兵庫・和歌山』東洋書林、2003年4月、50頁-53頁。
  • 『図説中世城郭事典』第二巻、新人物往来社、1987年6月、42頁-43頁。
  • 大梅山興禅寺『大梅山興禅寺』大梅山興禅寺、2001年10月、2頁-18頁。
  • 戦国合戦史研究会『戦国合戦大事典』六、新人物往来社、1989年1月、56頁-57頁、187頁-188頁、222頁、227頁-228頁。
  • 『日本城郭大系』第12巻、大阪・兵庫、新人物往来社、1981年3月、309頁-311頁。

黒井城の口コミ情報

2024年04月06日 たぬきち但馬守
黒井城



無料の駐車場もあります。熊鈴の警告があり、つけて歩きました。時折小雨でしたので、足元注意。ちょっと滑る所もありました。なだらかコースをお勧めします。まあ35分くらいですかね。東曲輪、本丸からの景色はいいですよ。ちょっと不気味な所もありますが、気をつければ大丈夫です。やっと登城できました!

2024年01月08日 黒髭安房守
黒井城



二の丸、本丸まで30分くらいでした。整備はされていますが足場が悪いところもあります。しかし、その苦労を乗り越えた先には素晴らしい景色が待っています。是非ご覧あれ。

2023年11月29日 気分爽快信濃守
香良城[黒井城  周辺城郭]



某氏の紹介を見て、登城意欲が掻き立てられた山城です。あまり資料もなく、直登りして迷いながらの到達でしたが、期待した通りの城でした。
黒井城に行かれたら、ついでに行って見て下さい。写真では伝わらないと思いますが、参考までに。
①いきなりの竪堀
②二重堀切
③尾根を塞ぐ大岩
④大空堀(竪堀)
⑤土橋(尾根)
⑥岩盤堀切
⑦主郭
⑧三郭眺望

2023年11月06日 堀S#Sおゆき
黒井城



登山レベルは、低いですが山頂までは体力使いました。しかし、一望できる景色に、疲れは吹っ飛びました。

2023年07月26日 たまちゃん
黒井城



急坂で登りましたが、緩い坂で下りましたが、緩い坂で往復した方が楽そうです。地元の人の散歩コースのようです。(結構きついが)本丸からの眺望はとても良いです。

2023年07月03日 RED副将軍
黒井城



⁡丹波の赤鬼と称された赤井直正の居城🏯

続日本100名城

築城年代は不詳。建武年間(1334年〜1338年)に赤松貞範によって築かれたと伝わります。
赤松貞範は、新田義貞との箱根竹ノ下の戦いによる戦功として足利尊氏より丹波国春日部荘を拝領し築いたのが始まりとされます。
赤松氏は五代に渡り、約120年間この地を統治しましたが、天文年間(1532年〜1554年)には荻野氏の支配下となり居城としました。その間の経緯についてはよく分かっていない様です。
1542年、後屋城の赤井時家の次男であった赤井直正は、荻野氏に養子に入り朝日城主となります。
1554年、赤井直正は叔父である黒井城主の荻野秋清を暗殺し黒井城を乗っ取ります。
その後、赤井直正は細川晴元に従い丹波国だけでなく但馬国へも侵攻し勢力を拡大。八上城の波多野氏とともに西丹波を代表する勢力となりました。
1576年、織田信長による丹波攻めにおいて明智光秀が黒井城を包囲。しかし八上城の波多野秀治が背後を突いたため明智光秀は坂本城へ撤退しました。
1578年、赤井直正が病没。幼い赤井直義が承継し、三尾城の赤井幸家が後見となりました。
1579年、明智光秀はまず波多野氏の八上城を落とし、周辺の諸城も落として孤立した黒井城を遂に落城させます。その後に明智光秀家臣の斎藤利三が入城。
しかし、1582年に明智光秀が山崎合戦で羽柴秀吉に敗れると黒井城には堀尾吉晴が入城しました。
1585年に堀尾吉晴が近江国佐和山へ転封となると黒井城は廃城となりました。

見所
標高356mの猪ノ口山ピークに築かれています。
北から南東へ主郭、二郭、三郭が連なる連郭式。
主郭西に西郭、三郭東に東郭が配されています。
城主が斎藤利三、または堀尾吉晴の時代に改修されたと云われる野面積みの石垣が見事な丹波を代表する中世山城です。

行き方は、南麓の黒井小学校を目標に設定。更に奥へ進むと無料駐車場があります。続100名城、国史跡だけあって整備された登城路が付いています。比高は220mくらいで駐車場から30分程度で辿り着くことができます。

2023年05月07日 スタンプ取り城
黒井城



黒井城登るのが大変です約40分は、かかりました。クマ注意🐻山頂の景色良かった〜

2023年04月08日 ん君
東出丸[黒井城  遺構・復元物]

三の丸の東、「東曲輪」の表示板のある曲輪から、「多田方面へ」と表示のある道を下りました。少し進むと「マジでこれ降りるんか」と言いたくなる強烈な下り坂。視界は開けていますが、逆に掴む木もなく、傾斜がキツく、小礫が散らばり不安定な滑りやすい道で、かなり慎重に下りないと危険です。
10分程度で傾斜が緩くなったところが出丸の西端になり、登りの人のための案内標識があります。
正直、「土の城マニアなら見てもいいんじゃないの」という感じで、西の丸を見た時のような感動はありませんでした。
さらに、問題は帰路。出丸の中央を通る道を降りると何処に出るかわからないし、本丸方向に帰るのも大変。ということで、出丸西端の案内標識のあたりから西の斜面の道のように見える所を大丈夫かなと思いながら進み、5分くらいで、なんとか太鼓の段に出ました。

2023年04月08日 ん君
西の丸[黒井城  遺構・復元物]

土の城が好きな方は、本丸からぜひ足を伸ばしてほしいです。本丸から10〜15分くらいです。ただし、行程はキツいです。
本丸北側(二の丸の反対側)の曲輪の北側中央部に下り道があります(少し下に柵の入り口が見えてます)。かなり強烈な斜面で道幅も狭く、滑りやすいところもあり、慎重さが求められます。
なんとか尾根の鞍部まで降りて、少し行くと目の前にまたしても強烈な斜面が見えます。「これを登るのかー」。しかし、土の城好きのあなたは、同時にその上が曲輪であることを直感します。果たして、登り切った所は平坦地であり、西の丸の表示板が。思わず「エイドリアーン」と叫びたくなります。
そして、連郭群の中央をぶった切る大きな堀切に降りて土橋を渡って振り返り、土橋と高い切岸を見た時、「本当に来てよかった」と実感できます。
西の丸の詳細は先人様の口コミにお任せするとして、堀切や内側が塹壕状に低くなっている土塁など軍事施設としての生々しさが伝わってくるすばらしい遺構です。4月上旬の段階では、草もほとんど生えておらず、非常に観察しやすい状況でした。 
見終わったら、本丸方向に戻ることになります。今度は強烈な斜面を登ることになります。下りと違って危険は感じないので、頑張りましょう。

2023年03月16日 橙百姓
黒井城



ナビにもよると思いますが「黒井城跡」と入力すると高校に案内されました。車で行かれる方は「興禅寺」と入力した方が良いのかもしれません。興禅寺下に無料駐車場、トイレ、休憩所があります。

登山口近くにもトイレがあります。登山口の獣害フェンスに「ツキノワグマが出没する可能性があります、必ず音の出るものを携行しましょう」と注意書きしてあります。

2022年12月11日 陸奥守たろす
【金山城登城口】[黒井城  その他]



【丹波金山城登城口】
マップでは「金山登山口」です。
ちなみに金山の読みは「かなやま」ではなく「きんざん」です。
金山登山用駐車スペース(第1駐車スペース)から南に5分程で到着します。①
金山城跡の説明板あります。②
途中幾度か分岐点がありますが、城の主要部まではひたすら「鬼の架け橋」の標識頼りに登りましょう。
登城口から25分程で園林寺跡に到着。③④
園林寺跡の真上に金山城虎口、馬場跡があり城域に入ります。
さらに5分程で鬼の架け橋と本丸への分岐点に着きますが⑤、ここは鬼の架け橋経由で主郭へ!
多くの登山者の目的はこの鬼の架け橋⑥と呼ばれる奇岩で、私が登城した日も岩の前でお弁当食べたり、岩の上で記念撮影する人が沢山いましたが、主郭の石垣撮影は私だけでしたw
登城口から都合35〜40分程で山頂の石垣⑦に出会えます♪

※石垣写真詳細などはフォトを全スポット表示にしてご覧くださいませw

2022年11月27日 気分爽快信濃守
石生西河原城[黒井城  周辺城郭]



小さな段郭が、背後に土塁と二重堀切を備えた主郭らしき郭まで連続しています。沢まで続く大きな縦堀があります。

2022年11月27日 気分爽快信濃守
三尾城[黒井城  周辺城郭]



名前の由来となった三つの尾根(東峰・西峰・主峰)からなる急峻な山城だが、登山道が整備されていて迷うことはない(ただし、登頂に1時間は覚悟が必要)。
東峰、主峰の眺望は素晴らしく、主峰からは黒井城がよく見える。主峰は小郭が段状に連なっているのが特徴的。

2022年11月23日 massy
黒井城



駐車場には7台程駐車できます。駐車場から本丸(山頂)までは約40分程かかりますが、本日は雲海が発生して山頂からの景色は最高でした。登る価値はあると思います。

2022年09月13日 tracer_azu
黒井城



丹波の赤鬼で有名な赤井直正の居城。

ハードコースとゆるっとコースと登城口から選べますが、おすすめはハードコースです。
こちから登ると3段曲輪があり、狭まった登城道を横矢で狙う妄想ができます。
また太鼓の段はきれいな削平の曲輪と切岸で、眺望も良く明智軍の籠る三尾城と睨み合っていたのか?などど妄想が働きます。

麓の興禅寺に駐車することができ、トイレ資料もいただけます。
また興禅寺は元々居館として利用されていたことからも城さながらの水堀、石垣もあり見応えのある寺となっています。 春日局出生の地としても有名です。

2022年08月26日 masa大宰大弐masa
黒井城



本丸まで、2つのコースがあり平坦な方を行きましたが、なかなか運動不足の身には汗ダラダラで辛かったです。

2022年05月22日 蜜黄熊織姫
黒井城



山頂が開けており、とても眺めの気持ちのよい本丸です。急坂?健脚?コースから登ると三段曲輪や遺構が見れます。35分ほどで登れると案内にも書いてあります。岩山城なので、登山靴のほうが歩きいやすくお勧めです。

2022年03月28日 大和守こばやん
黒井城



山頂に城跡あり、360度みわたせました。駅周辺から城跡まで、飲食店はあまりありません。おやつとか持参しておくとよいと思います。

2021年11月24日 城大蔵卿マニアケン
春日住民センター[黒井城  スタンプ]

黒井城のスタンプがある春日住民センターは夜遅くまで開いています。電話で確認したところ22時まで大丈夫だそうです。(要確認)

2021年11月01日 KEIKYU1000
黒井城



景色がとても良いです。城郭も土塁や石垣がよく残ってます。登山が好きな方にも良いと思います。

2021年10月07日 遠州琉々姫
黒井城

ご城印集めをしている方へ。
ご城印は完売していました( ノД`)…
ご注意下さい。

2021年08月29日 たけ大蔵卿
黒井城



登城口から歩いて約30分で本丸まで、、、急坂もあり運動靴、水、食べ物は必須なり また熊も出没しますので笛も必須なり 本丸からの眺めは格別ですぞー

2021年04月18日 るん山城守⛄⁠
黒井城



福知山城を横目に電車で黒井駅まで行きました✨
丹波の赤鬼さんの黒井城、先に行かれた皆様の写真や口コミを見て行きたくなり、突発的に行ってしまいました✨

登山初心者ですが、ここの登山道は綺麗に整備されていて、とても登りやすかったです。
根っこ道や、石の道などワクワクするような道を抜けていくと、あの石垣が見えてきます✨
野面積みっていうやつです🙂
三の丸、二の丸、本丸と、段々になっている様子は遠景からでも確認できます✨
電車で車窓から眺めているだけでも、「あれが黒井城だ!」って分かる、とてもかっこいい場所でした🙂

電車は1時間に1本しか走っていないので、時刻表の確認は必須です。
先月あたりからICカードも使えるようになったようなので、便利になったかと思います。

2021年03月28日 nari伊賀守
黒井城



3/27(土)桜満開🌸。黒井駅から徒歩圏。登山口から本丸までキレイに整備されて家族連れやご年配の方も楽しんでらっしゃいました。
山頂の本丸は広場があり、展望が素晴らしく、まったり昼食をとりました。
黒井川沿いの🌸並木も良き。

2021年02月06日 ハキ
黒井城



黒井城跡は山道も整備されていてとても登りやすい城跡でした。訪れた日は少し吹雪いていましたが、天気が良ければ見晴らしもよいと思います。山頂には手作りの自撮り出来る装置が設置されていてありがたかったです。

2021年01月24日 目白越前守鷹三
春日局庵前の駐車場[黒井城  駐車場]

登山口前の駐車場は狭いですがこちらは余裕があって安心です。

2020年12月26日 イオ右近衛中将
百間馬場[黒井城  遺構・復元物]



龍ヶ鼻砦から東に下っていくと百間馬場と呼ばれる曲輪があります。

山城で馬場と呼ばれる比較的広い(細長い)曲輪を見かけても、その多くは馬が本気で走るには全然足りなさそうな広さしかありませんが、百間馬場はその名の通り馬が全力で駆け回るにも充分な広さがあり、現在は雑木林状態で見通しは利かず、遺構もないものの、この広さを体感できただけでも北東尾根の端まで来た甲斐がありました。

2020年12月26日 イオ右近衛中将
龍ヶ鼻砦[黒井城  遺構・復元物]



西の丸の主曲輪から北東下に下りて、堀切を越えて北東尾根を進んで行ったところにある出城です。

主曲輪の日当たりの良いあたりはシダが生い茂っていてよくわからない状態ですが、北側斜面には数段の帯曲輪があり、最下段の北辺は土塁が設けられています。

龍ヶ鼻砦への尾根道は、良く整備されていた北西尾根と違って倒木がそのままだったり灌木が茂っていたりと未整備の状態で、地面を掘り返した跡やぬた場と思われる獣の痕跡も見かけましたので、ご注意を。

2020年12月25日 イオ右近衛中将
千丈寺砦[黒井城  遺構・復元物]



西の丸から尾根道を北西に進んで行くと急傾斜の小山に行き当たり、その山頂部に出城のひとつの千丈寺砦があります。

台形の主曲輪の南辺を厚さのある土塁が取り巻き、北辺にも低い土塁があり、その北下には竪堀がのびています。また、北西下の斜面には何段かの腰曲輪が設けられていました。

2020年12月25日 イオ右近衛中将
西の丸[黒井城  遺構・復元物]



西の丸は本城から北西にのびる尾根の付け根に築かれた出丸で、東端の主曲輪から西方向に4つの曲輪で構成されています。

主曲輪は南辺に土塁を設け、北東下は龍ヶ鼻砦へと続く尾根を堀切で断ち切っています。
主曲輪から西に一段下りたところが二の曲輪で、南辺を土塁が走り、北西の切岸の下にも塹壕状の土塁が見られます。二の曲輪西端には櫓台があり、その西下には堀切と土橋が明瞭に残っています。
堀切の先は三の曲輪で、細長く続く曲輪の西端には(二の曲輪と同様に)櫓台と堀切・土橋があります。
その先の四の曲輪の西端にも櫓台があり、櫓台の西下は岩盤むき出しの急斜面になっています。

各曲輪の西端に櫓台を設け、曲輪間を堀切で遮断し、北西尾根からの侵攻に何重にも備える意識が明らかな造りで、東出丸や石踏の段などと同じ出丸のひとつに位置付けられますが、規模はそれらより格段に大きく、中小規模の山城ひとつに相当するほどで、「小城」とも呼ばれるのも納得です。

本城は斎藤利三の頃以降に石垣や虎口を中心に改修されていますが、西の丸では荻野(赤井)直正が改修した頃の黒井城の姿を見ることができ、ひとつの城でふたつの魅力を堪能できますので、山頂の本城からの岩場の急斜面の登り降りは大変ですが、土の城好きなら西の丸まで足を運ぶ価値は充分にあると思います。

2020年12月23日 イオ右近衛中将
東出丸[黒井城  遺構・復元物]



山頂の本城の守備のための出丸のひとつで、南東端に土塁と堀切を設け、現在は登山道が土塁を分断して通っていますが、土塁は高く分厚く往時の堅い守りが感じられます。

2020年12月23日 イオ右近衛中将
石踏の段[黒井城  遺構・復元物]



山頂の本城の守備のための出丸のひとつで、段状の曲輪の最上段に赤門が建っています。麓からのゆるやかコースと急坂コースの合流地点です。

2020年12月23日 イオ右近衛中将
太鼓の段[黒井城  遺構・復元物]



急坂コースから東に分岐(案内標識あり)したところにある曲輪で、山頂の本城の守備のための出丸のひとつです。

2020年12月23日 イオ右近衛中将
三段曲輪[黒井城  遺構・復元物]



急坂コースの途中にある段状に整地された曲輪です。

2020年12月23日 イオ右近衛中将
春日局生誕地[黒井城  遺構・復元物]



黒井城の下館跡(現在は興禅寺)は、斎藤利三が城主の頃に娘のお福(後の春日局)が生まれた地として知られ、春日局出生地の石碑のほか、産湯の井戸や幼いお福が座ったと伝わる腰かけ石があります。
また、興禅寺の南には春日局庵という休憩所があり、黒井城や興禅寺、黒井城下町のリーフレットが置かれています。トイレも併設され、春日局庵の南下には興禅寺(黒井城もOK)の無料駐車場があり10数台駐車できます。

2020年12月22日 イオ右近衛中将
興禅寺[黒井城  寺社・史跡]



興禅寺は、黒井城南麓の居館跡(下館)に建つ寺院で、七間堀と呼ばれる水堀や高石垣が城主の居館跡を感じさせます。また、南に徒歩1分の惣門は黒井城の門材を使って建てられたものだそうです。

2020年12月07日 Rocky丹波守
黒井城



先人のが書かれている通り麒麟がくる効果で人が増えたのか入れない所や石垣に網がしてあり野面積みが崩れないようになっており本丸、二ノ丸の虎口には階段が設置されています。本丸の少し下の方では石垣だと思われる大きな石や小さな石がありました。ゆらやかコースを上がりましたが結構急です。帰りは急坂コースで帰り、こちらのコースだと太鼓の段と三段曲輪を通ります。石や枯葉などで滑らないように気をつけましょう。早い時間に来れば雲海も見られると思います。登り口にある興禅寺は陣屋として使われるており総門は黒井城の城門の部材で建てられたと伝わったそうです。

スタンプは春日住民センターでガイドブックには月曜日休みとありますが開いていました。あちらこちらにスタンプは→の紙が貼ってありわかりやすいです。

2020年11月20日 従三位右大将お屋形様
黒井城



山城なので、歩きやすい靴での登城してください。登城口から片道30分ぐらい掛かります。時間に余裕がある方に限ります。

2020年10月31日 ( *¯ ³¯)っ旦
黒井城

道の駅などに黒井城のパンフレットがありますので、初めての人は先にパンフレットをゲット。
山全体が曲輪です。ここでは一番本丸に近く、JRの駅からも近い猪ノ口山登山道ルートです。
車で行かれる方は黒井小学校と興禅寺の間の道を進みますと突き当たりに駐車場があります。
満車でしたらUターンして、小学校の下まで降りまして左折、
興禅寺総門を通過して直ぐの道を興禅寺側へ左折して進むと新しい駐車場があります。
興禅寺は小さい水堀で囲い、平時は政務を行なっていた城というか館です。

「猪ノ口山」登山口から登ると一本道、
途中に獣除けの扉があります。
普段からハイキングをしていますと問題無い山です。

城跡はともかく「いや、山城ってもっと疲れるもんやろ!?」と、物足りなさがあるかも知れません。
其処で先にゲットしたパンフレットを広げてみますと少し先に「西の丸」があるではありませんか!
「西の丸」からも「百間馬場」方面と「千丈寺砦」方面へ別れるので
体力を持て余した貴方は西の丸に進もうと本丸裏にある獣除けの扉を間違いなく開けます。

が、其処に見えるのは崖です。
間違い無く奈落へ落ちていくような先の見えない崖です。
それでも貴方は崖を降ります。
帰りにこの崖を登らないといけない事を忘れて盲目に虎ロープを伝って降りるというか、降下します。

降りてしまうと誰も来ないので落ち葉でフカフカの気持ち良い所を歩いたりしながら「西の丸」に着きます。が此処まで来て帰るのは山城好きの名が廃ります。
貴方は「千丈寺砦」を目指すことにします。
一段低い所にも曲輪があり、簡単に攻略して曲輪の先端に立ちますと、貴方の目に入ってきたのは堀を切った土橋!
これは降りないと!と崖を降ります。
更に「千丈寺砦」を目指しますがなかなか着きません。
やがて疑問を抱き出したすと堀切?へ出ますので、降りますと見事な岩があり小さな標識があります。
「兵主峠
千丈寺山・黒井城跡」
あっていました!
貴方は安心して千丈寺砦を目指します。
兵主峠から下山するという絶好の機会を逃して…
更に荒修行は続き
・曲輪で字が読めない標識の近くに「千丈寺山」とあれば其処が千丈寺砦
・戻るより先へ進み「大野峠」より左側へ下山すると駐車場まで歩いて1時間くらいです。

2020年10月05日 真田
黒井城

2020.10.04黒井城跡を攻略することが出来ました!猪ノ口山の登山道は、ゆるやかコースと急坂コースがあり、足腰に自信のある方は急坂コースを行かれるのも良いでしょう。その際は足元が滑りやすいので充分気をつけて下さい。

2020年09月13日 せせらぎ太政大臣
黒井城



ゆるやかコースと急坂コースがありましたが、どちらもコースタイム35分なので、ゆるやかコースを選択。ゆっくり登ってコースタイムどおりでした。登り始めは小雨でしたが、本丸で太陽が出てきて、360度の眺望が素晴らしかったです。

2020年07月29日 ソバッソ80.0
朝日城[黒井城  周辺城郭]



朝日公民館か
少林寺さんを目標に設定
同寺の駐車場に断りを入れて駐車
駐車場から南西側にお寺を見上げながら、そちらへは向かわずにお寺の北西にある平地へ進みます。そこから水路を飛び越え、取り付いたヤブい斜面がもう城跡遺構になります。

僕はⅣ郭東側の竪堀(は破壊されており完全消失)付近の段郭に取り付いたと思います。
とりあえずトップ目指して進んで行くと、ボコボコが縦に横に入り混じり、あっ横堀に誘導されて気づいたら三方から迎撃されてますやんココ、って感じの空間に到達。
あぁここはカタイわと思いながら、イノシシが掘り返した跡を横目に高い方へ高い方へと登ります。
10分登ればⅠ郭
その間にⅢ、Ⅱ間は直進できずに進路を曲げさせられながら登る感じ。技工的な縄張りを実感します。

Ⅰ郭北側、城域北端には物見的な平べったい大土塁、その奥には大味な大堀切が出現。大堀切の内部は土橋かな?往時はもっとソリッドで深かったんかなと想像させられる設備で遮断。
両サイドには畝状竪堀が数条入っていますが、ヤブヤブのシダシダで視認は厳しい。


城郭南側は、明智さんが黒井城攻めの折に接収して使用して、カスタマイズされた織豊期の明智臭プンプン遺構があったらしいですが、宅地開発の憂き目に逢い残念ながら完全に消失しています。
でも、Ⅲ郭〜Ⅰ郭まではかなり残存している印象で、十分に楽しめます。

丹波の赤鬼、荻野直正さんが黒井城を本城にする以前の本拠地だそうです。
黒井城跡にお立ち寄りの際は、ヤブヤブ覚悟でぜひご堪能下さい。


ちなみに砦巡りも楽しいです。
昼食は小富士山城を眺めながらのお蕎麦がオススメです。
やっぱ地元メグラーが知り合いにいると強いわ。


有意義な情報交換のできるSNSで有り続けて欲しいですな。




追記
地元おばあさんのお話
ダニ、メッチャつくからスプレー振っていきなさい
とのご助言。
麓のドラッグストアで医薬品のスプレー買ってガンガンかけて行って下さい。

2020年05月18日 丹波守丹波の赤鬼
道の駅 おばあちゃんの里[黒井城  その他]

数量限定 5,000枚! 下記5ヵ所の観光案内所などで絶賛発売中です!!
来丹と黒井城登山の素敵な思い出に、城山好きなあの人へのお土産に、是非 お求めください。


◆ かいばら観光案内所
住所: 〒669-3309 丹波市柏原町柏原3625
  TEL : 0795-73-0303 (10:00~16:00 / 定休日 年末年始)
  地図: https://www.tambacity-kankou.jp/about/info.html

◆ あおがき観光案内所
  住所: 〒669-3803 丹波市青垣町西芦田541-1
  TEL : 0795-87-2222 (10:00~16:00 / 定休日 火曜日)
  地図: https://www.tambacity-kankou.jp/about/info.html

◆ 丹波竜化石工房 ちーたんの館
  住所: 〒669-3131 丹波市山南町谷川1110
  TEL : 0795-77-1887 (10:00~16:00 / 定休日 月曜日)
  地図: https://www.tambacity-kankou.jp/members/detail.php?id=119

◆ 道の駅 丹波おばあちゃんの里 「物産館」内
  住所: 〒669-4131 丹波市春日町七日市710
  TEL : 0795-70-3001 (8:30~18:30 / 年中無休)
  地図: https://www.tambacity-kankou.jp/members/detail.php?id=18

◆ 氷上パーキングエリア 丹波いっぷく茶屋
  住所: 〒669-3467 丹波市氷上町本郷62-1
  TEL : 0795-82-9123 (9:30~16:30 / 年中無休)
  地図: google_map

◆ 喜久屋書店 柏原店 (コモーレ丹波の森 内)
  住所: 〒669-3311 丹波市柏原町母坪335-1
  TEL : 0795-73-1410 (10:00~20:00 / 年中無休)

◆ 遠方のお客様には、送料120円(御城印7枚まで)発送も承っております。
 

2020年03月21日 織田上総介晃司
黒井城

黒井小学校の奥にある黒井城登山口に6台くらい停めれる駐車場があります。
秋から春にかけての雲海の時期にはすぐ満車になります。(5:00で一番乗り5:30には満車になりました)

緩やかコースでも傾斜がキツく登城に約40分くらいかかります。

大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で虎口にアルミ階段の設置。本丸石垣に防護ネットの設置。侵入禁止の設置され萎えますが、遺構保護のため是非もなし。

明智光秀の軍勢に包囲された赤井直正は「見せてもらおうか!織田軍の光秀の性能とやらを!」と言ったとか言わなかったとか。

2020年03月17日 iggy摂政
茶臼山城[黒井城  周辺城郭]



茶臼山城
~丹波平定戦で光秀が本陣を構えた陣城~

黒井城から南へ約2.4kmに位置する茶臼山に構築。資料に記述はなく、伝承として本陣であったと伝わる。
茶臼山のすぐ北側には、黒井城へと向かって延びる丘陵があり、それらを含めて茶臼山城と捉えるのが城の構成上、自然であると思われます。
黒井城を真正面に見据え、敵の行動を把握するには絶好の場所で、おおかた本陣はここで間違いないな、って思うのではないでしょうか。

《遺構等》
~茶臼山城(本城、標高188m)~
明確な登城口はなく北側もしくは南側の、山に取り付きやすい場所から分け入って直登(容易)します。
頂部は楕円形の城郭を形成し、削平、切岸加工は丁寧。
主郭北側に、規模は小さいものの逆T字となる張り出しが認められる。資料によると下郭へのスロープとの説明とあるが、スロープにしてはそこそこ急で裾が切られていることもあり、また、主郭南側は緩斜ということを考えても、横矢を意識した防御設備ではないかと推測します。

~丘陵部(北出郭)~
南北約320m東西約70mの丘陵(標高108m)で、二つの堀切で3つの郭を形成。
西側の北へ進む畦道が北側の堀切に通じます。
この堀切には竪土塁が伴い、北西方向からの侵入を意識する。南側の堀切はやや甘い。
郭北端は巨岩(岩盤、落下注意!)で、物見としてうってつけの場所となっています(現状は樹木のため見通しやや不良)。
この出郭は、相当数の兵を駐屯することが可能と思われ、かつ、自在な動きができたのではないかと思えることから、やはり光秀が置いた本陣である可能性が高いと思います。

それにしても陣城って、敵方の目と鼻の先に造成するもんなんですね、余程の勢いがないと無理でしょうが。

《写真》
1.黒井城から見た茶臼山城(中央の逆お椀型山、手前が出郭)
2.茶臼山本城主郭の張り出し
3.出郭北側の堀切
4.出郭物見から見た黒井城(左は千丈寺砦)

《おまけ》
茶臼山
「富士の形は茶臼のようだ」と言われていたそうで、富士の形と茶臼(葉茶をひく石臼)は似ていることから、富士のような形の山は茶臼山と言われるそうです。
富士山=縁起が良い、という繋がりからか、かつて戦で縁起を担ぐ武将に好まれ陣が張られたそうですよ。

2020年03月15日 iggy摂政
小富士山城[黒井城  周辺城郭]



小富士山城
~丹波平定戦の際、明智光秀が置いた最初の本陣(陣城)~

黒井城(標高356m)から北東約2.7kmに位置する、いわゆる富士型の山「小富士山(標高231m)」の山頂に構築。

寛政6(1794)年に編纂の「丹波志」に「明智光秀陣場…、頂き堀形あり、此山を丹波小富士という」とあり、また「赤井伝記」には「明智日向守、小多利村(同山所在地)の高山の峰を切りならし…陣小屋となし」とあり、黒井城攻めにあたり最初に築いた陣城とされる。
敵方(赤井)の資料に記述があることからも光秀の陣城と考えたいところですが、現在のところ結論づけられていません。

黒井城全体の展望が良好ではないことから、その後、黒井城から南へ約2.4kmに位置する茶臼山城へと本陣を移したとされています。

《遺構等》
南麓の桃源寺が登山口となります。
道は付いていますが、所々、急峻な箇所あり。
城域は広くなく単純な縄張りです。
黒井城のある西方向へと下る尾根を意識して、主郭北西端に土塁を設けるも規模は小さい。
主郭東側に竪堀が1条あるもほぼわからないような状態です。

陣城として選地しただけあって眺望良く、黒井城も見えるのですが、間に山(龍ケ鼻砦)があるため攻撃しづらい。
そのため本陣を移したと思われます。

《添付写真》
1.主郭北西端の土塁
2.小富士山城から黒井城(右寄り台形の山、右は龍ケ鼻砦)を見る(黒井城から左へ伸びる尾根先向こうの富士型の山が茶臼山城)

2020年01月11日 iggy摂政
黒井城



《黒井城の現況》
昨今の城ブーム(続100名城)と大河「麒麟がくる」の影響から登山者が増加、登山者の踏圧による遺構の「裸地化」が進んでいます。
大河が始まればさらなる登山者の予想もされ、これ以上の遺構の崩壊を防ぐべく、12月、応急的に本丸、二の丸、三の丸の各虎口にアルミ階段(萎えます…)が設置されました。

併せて、本丸と二の丸間の空堀直下の石垣に、崩落防止のネット(萎えます…)が張られました。
さらに、あちらこちらに杭が打たれロープ(萎えます…)で封鎖区域が設けられてしまっています。
このため、二の丸と本丸を繋ぐ土橋などは渡れなくなってしまいました。

このように、現在、年末年始の番組(最強の城等)で放送された際の本来の黒井城の姿は拝むことはできません。

黒井城は、将来的には遺構を計画的に保護修復するため、そのための遺構調査をする予定ですが、大河の影響で登山者の増加が予想される今、入山規制をかけることは難しいと判断し、このような応急的な措置をとったとのことです。

「麒麟」が終わりブームが一段落すれば、これを機に入山規制がなされ遺構調査が始まるかもしれません。

ということで、遺構の保護保存のためには致し方ない措置であると言えるでしょう。

この措置が何年(何十年)続くのかはわかりませんが、その暁にはきっと往時を体感できる戦国山城黒井城に戻っていることだと思います。
その時をじっと待ちましょう♪

なお、本丸石垣(南側)へは三の丸から北側の犬走を通って西曲輪を経由し南側へ回って見に行くことができます。
また、西曲輪から西の丸(中世城郭遺構)への道は封鎖されていませんので行くことはできますが、約4年もの間、織田(明智)の軍勢を寄せ付けなかった堅固な赤井(荻野)、「赤鬼」の城です。
急峻なところを登り下りし、容易には行けませんので無理はしないようにしましょう。

必ずや戦国山城の姿のままに…、その日までがんばれ黒井城!

2019年12月08日 ミルク右近衛大将
黒井城

現在なだらかコースが整備工事中のようで急坂コースのみ登城可能です
なかなかの坂ですのでしっかりした靴でお出かけくださいね

2019年07月15日 みずたま
春日住民センター[黒井城  スタンプ]



ロビーにスタンプ台がありますのでそのまま押すことができます。パンフレットもあるので、先に立ち寄ることをお勧めします。

2019年07月09日 陸奥守たろす
黒井城



【スタンプ設置場所】
黒井城スタンプ設置場所の春日住民センターですが、公式ガイドブックやアプリでは「火〜金曜は事前に教育委員会文化財課への申し込みが必要」とあったため、教育委員会に電話したら春日住民センターの電話番号を教えられ直接確認して、とのことでした。
(一応春日住民センター電話番号:0795-74-0225)

で、春日住民センターに確認したところセンター開所中は常設しているとのことでした。

当初の情報からは、常勤がいなくて教育委員会に連絡してセンターの鍵を事前に開けてもらうシステムかな?と思って現地にいったら立派な建物でスタッフも沢山いました。
スタンプブースも設置され、パンフレット類も置かれ、「どうぞご自由に!」状態になってました!

現在は休業日の月曜日以外はふらっと行っても大丈夫と思います。
(※月曜日の休業日の取り扱いについては未確認です)

2018年11月26日 和泉守yukinezumi
黒井城

春日インターを降りてすぐの『道の駅おばあちゃんの里』内の観光案内所で、「黒井城のパンフレットが欲しい」と言うと受付の方が出してくれました。道の駅はお弁当や焼きたてパン、お土産なども充実していました。なおパンフレットは続百名城のスタンプ設置場所(春日住民センター)にもありました。
無料駐車場から急坂コースで登頂。途中に三段曲輪、太鼓の段があります。太鼓の段から先は道らしい道はありません。太鼓の段を見たらもとの道に戻った方が良いと思います。
また本城から西の丸までのルートはかなり急峻な場所が多くロープを伝って降りたりハードでした。ルートには目印に木にピンクのリボンがくくりつけてありますので迷わず行けます。駐車場に戻るには本城からのルートしかないようなので同じ道を引き返すことになります。
帰りは緩やかコースで赤門など見ながらゆっくり下山しました。本城でお昼を食べてゆっくり散策して所要時間3時間位でした。

2018年01月03日 本田左兵衛尉家吉
黒井城

間違えました。後生→後世です(^^)

2018年01月03日 本田左兵衛尉家吉
黒井城

本丸に行くまでに、2回鉄柵があります。これは、亥の進入を防ぐ為に設置されているそうです。亥によって、石垣の周りが掘られ(ミミズを食べようと?)、貴重な石垣が崩されないように、亥の進入を防いでいるそうです。開けたら閉めて、貴重な石垣を後生に残しましょう!

2017年07月03日 ソバッソ80.0
黒井城

追記

西の丸散策に出た友人Aと友人Bが
「崖だ崖だ」と引き返して来ましたので、かなり厳しい場所にあるようです。

2017年07月03日 ソバッソ80.0
黒井城

比高220m、主郭部まで30分
駐車場は麓の小学校を奥に上るとあります。自販機も置いてます。

先に口コミに上げた金山城跡より低いので、まぁ余裕かなと思ってましたが、どっこいしんどいしんどい。
丹波但馬の山城はボス級ばっかり。急峻で岩盤叩き割って造るとこ多過ぎ。

主郭部は立派な石垣です。これの為だけに30分登れるレベルのロケーションです。

緩やか登山道と険しい登山道が選べますが、先人の通り、緩やかも険しいです。
険しいルートの方が防衛設備と思われる平坦地と切岸セットが随所に見られます。その代わりホンマにしんどい。

尾根筋に段曲輪群と切岸クランク虎口、そこらでらしきものは沢山見かけます。
これは推測、谷筋に誘い込み登らせて、尾根と尾根から狙い打った防衛方法ではないかと。尾根先端部に砦を築いているらしいので、尾根からの侵入は至難だった事でしょう。

とにかく急峻です。
しんどいけど楽しめた。

2017年07月03日 ソバッソ80.0
黒井城

「黒井城の戦い」で明智勢が入る拠点として築いた、金山城についてです。

赤井氏の黒井城と、波多野氏の八上城を直線に結んだちょうど間に位置する所に、両勢力を分断する意味合いで築いたそうです。
場所は追入神社をナビに入れて走りゃ辿り着きます。

比高300m
登城時間は麓から40分
つづら折れの塹壕様な登山道の各所に段曲輪と虎口と思われる遺構があります。
また主郭部の石垣群は見応え十分。
山崎の合戦にて明智勢が破れた際に破城され、崩された石垣がそのまま残ってます。
縄張りは単純です。

鬼の架け橋なる、巨石を使った橋構造のスゲーのもあります。


登るのクソしんどいです
岩盤を削った道が随所にあり滑ります

楽しめるか楽しめないかはあなた次第。
僕は楽しめました。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
黒井城

駐車場あり。
普通の登山道と急勾配の登山道があります。
急勾配はすぐ山頂迄行けますが危ないです。
下山にも向かないですね。
麓に杖があるので使用して普通の登山道で登った方がいいです。

2017年05月05日 橘若狭守次郎吉
黒井城

JR福知山線「黒井駅」より北へ徒歩10分程で登山口に到着します。登山口の隣の興禅寺は黒井城の下館だと云われています。興禅寺の少し南にトイレがあり、そこにパンフも置いてありました。

登山口から本城まではだいたい40~50分かかります。けっこう急な道もあるのでお気をつけください。

本城の石垣は見事なものです!景色も最高です!二ノ丸と本丸の間には空堀が残っています。かつてはもっと深かったと思われます。

黒井城はたくさんの出城を持っています。本城から尾根伝いで行くことはできますが、けっこう危険な道が多いのでお気をつけください!
蜂やヘビ、熊、猪にもお気をつけください!

2016年07月02日 ポリタンク大和守
黒井城

ここでマダニデビューしました…。千丈寺砦や龍ヶ鼻砦まで足を延ばす場合は特に注意した方がよろしいかと思います。

2016年07月01日 丹波守悪右衛門直正
黒井城

山頂部が伐採され、主郭部の石垣が麓からでも見えやすくなりました、
本丸、二ノ丸、三の丸及び曲輪群の型がほぼ当時のままの姿で残っています!
登山口は黒井小学校の上から!駐車場もあります。
その近くの興禅寺の前の休憩所にトイレがあります。
ちなみに、その興禅寺ですが下館だったとされてます!
また、春日局、お福さんの生誕地との伝承あり(^-^)

2015年11月23日 甑岩式部卿正頼
黒井城

先人の情報にありました道の駅丹波おばあちゃんの里で貰える国史跡黒井城跡パンフ、便利です。
急坂コースの方が三段曲輪など見所あってオススメですが、滑りやすい箇所があるので、下りはゆるやかコースの方が良いと思います。
本郭から東の出丸への道はかなりの急坂で、滑りやすく、注意が必要です。それでも、見にいく価値はあるかと。
パンフの地図では東の出丸から太鼓の段を経由して三段曲輪の少し上で急坂コースと合流する道が記されてましたが、私は見つけられず、本郭下まで戻りました。

2015年11月06日 まるき〜出雲守
黒井城

先ず登り口、駐車場左からのゆるやかコースと駐車場奥から登る急坂コースがあります、

ゆるやかコースでもココ、ホンマにゆるやかコース?と思えるほどの山道、道は岩肌が見えてゴツゴツしておりたまに尖った岩が足に突き刺さる…極力静かに足を運ぶように歩かないと下にポロポロと石がこぼれます
後ろに人がいる場合は気をつけましょう。
赤門に到着すると下の景色を見ながら一休みできます。更に先へ登ると東曲輪跡が先ず見えて三の丸、二の丸、本丸と段々々と一段づつ上がる形状になっているのがよーくわかります。360度見渡せ、風がよく通り、凄〜く気持ちの良い空間、本丸にあるベンチは固定されておらず平らな所にある訳でもなく座るのは注意が必要です。
南西方向にある本丸〜二の丸をつなぐ?石垣の真ん中辺りは草で隠れてわかりにくいが崩れています、あまり近づかない方が無難かと、下の通路は狭く崖になってますので…
帰りに三段曲輪が見たくて急坂コースを歩きましたが降りるというよりも急降下なイメージ、危険(;^_^A


2015年11月01日 トレノ丹波守吉右衛門勝重
黒井城

駐車場は6台程度ですが停められます。
石段を上がるルートはかなり急な山登りになりますが、頂上まで100m間隔で残りの距離が分かります。
ハードな山登りの後は、本丸跡から見渡す事の出来る景色は最高です。
至福の瞬間ですね。
お勧めコースは左側から上がる、なだらかコースです。行きと帰りに違うコースを是非どうぞ。
登って良かったと思う黒井城でした。

2015年07月08日 徳川内大臣源朝臣康武
黒井城

国道175号沿線(舞鶴若狭自動車道・春日IC隣)の道の駅「丹波おばあちゃんの里」の観光案内所で、『国史跡黒井城跡』パンフレット、『丹波戦国武将伝(黒井城の戦い)』パンフレット、『春日局誕生の地・興善寺(黒井城根小屋)』パンフレットが貰えます♪
内容濃くて、とてもお得(^w^)


2015年01月12日 コロ助
黒井城

黒井駅から徒歩15分で登山口に到着。急坂コースとゆるやかコース、2つの登山道があります。どちらも登山口から20分程で石踏の段に到着し、時間的にはあまり変わりませんでした。

雪は、本曲輪の北側の影になる部分にうっすらとだけ残っていました。本曲輪周辺は綺麗に整備されていて、石垣には興奮しました。残念ながら霙混じりの天候でしたが、晴れた日の眺望はきっと素晴らしいだろうと思われます。

案内表示は少ないです。木に巻かれたタフロープを目印に辿ったのですが、太鼓の段から東曲輪まで行くのに、少し道を見失いました。西曲輪から本丸に戻る時には、来た道を忘れて軽く迷子になりました。登城準備は通常よりもしっかりめを推奨します。


福知山駅の観光案内所に、黒井城の戦いのパンフレットがありました。


2012年05月04日 A&M
黒井城

本丸からの360度眺望が素晴らしいです。1日に2回も(ほぼ毎日)登られてる方にお会いしました。山岳ガイドもされているそうで、色々親切に教えていただきました。またお会いしたいです。

2010年10月02日 まったり丹波守
黒井城

追記
本丸付近は綺麗に整備されており、眺望が良いです。

2010年10月02日 まったり丹波守
黒井城

黒井小学校の校舎と体育館の間の先に登山口と駐車場が有ります。本城西曲の先の茂みにトラロープが有ってそこを降ると崖(天然の石垣?)になり、更に進むと西の丸、千丈寺砦へ続きます。
西の丸のすぐ先には土橋ならぬ岩橋がありますよ。
私のUPした写真の
石碑の有る方の中央辺りが明智光秀が攻めて来た方角です。

害獣除けのフェンスはちゃんと閉めましょう♪



黒井城の周辺スポット情報

 石踏の段(遺構・復元物)

 春日局生誕地(遺構・復元物)

 三段曲輪(遺構・復元物)

 太鼓の段(遺構・復元物)

 東出丸(遺構・復元物)

 西の丸(遺構・復元物)

 千丈寺砦(遺構・復元物)

 龍ヶ鼻砦(遺構・復元物)

 百間馬場(遺構・復元物)

 黒井城碑(碑・説明板)

 山頂(碑・説明板)

 野村城(周辺城郭)

 小富士山城(周辺城郭)

 茶臼山城(周辺城郭)

 三尾城(周辺城郭)

 朝日城(周辺城郭)

 国領城(周辺城郭)

 鹿集城(周辺城郭)

 石生西河原城(周辺城郭)

 香良城(周辺城郭)

 興禅寺(寺社・史跡)

 称名寺(寺社・史跡)

 猿田彦神社(寺社・史跡)

 歌道寺(寺社・史跡)

 八幡宮(寺社・史跡)

 円光寺(寺社・史跡)

 観光案内所(御城印)

 春日住民センター(スタンプ)

 観光協会(スタンプ)

 大乗寺手前駐車地(駐車場)

 黒井城登山口駐車場(駐車場)

 三尾城中山登城口駐車場(駐車場)

 春日局庵前の駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 道の駅 おばあちゃんの里(その他)

 【金山城登城口】(その他)

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